廿楽あいかはロボットなのか? 6/6話

「印象操作って知ってるかい?」


 アールグレイの香りを楽しみながら、廿楽に問いかけた。


「都合のいいことばかり言って、聞いてる人たちの印象を意図的に変える行為。僕がそれと似たようなことをしただけ」


 例えば……好きな教科がないのに、嫌いな教科がないことだけを取り上げて『学習意欲がある』と言ったり。

 趣味がないのに、苦手なことがないことだけを取り上げて『好奇心旺盛』だと印象づけたり。

 好きな人がいないのに、嫌いな人がいないことだけを取り上げて『平等に接してあげられる』ことにしたり。


「廿楽さんは今、僕のことを『大人っぽい』と評した。それはなぜだい?」

「なぜ……そう感じたからです」


 彼女から返ってきたのは、ひどく抽象的な回答だった。

 でも、それで正解なんだ。


「そう、そう感じた。たった一杯の紅茶でそう感じてくれたんだ。実は僕が辛いのが苦手だったり、コーヒーや紅茶は砂糖やミルクが必須だということさえ知らなかったり。そういう情報を隠すことで、廿楽さんにそう思わせただけなんだ」

「……苦手なんですか? 辛いの」

「ペ、ペペロンチーノくらいなら耐えられる!」


 自分でもまだまだ子供だと思う部分はわかってる。わかってるけど……全面的に苦手ってわけじゃない! いずれ辛いのだって、克服してみせる!


 とまあ、そんなことはさておき。


「別にみんなが求めていたのは真実なんかじゃない、廿楽さんがどういう人なのかを知りたかっただけ。僕は虚偽の情報を言ってなんかない」

「…………」

「ただ、廿楽さんをいい人だと印象操作しただけ」


 普段、僕は冬樹以外の人にこんな喋り方をしない。当たり障りのない口調で、なあなあの関係で人と浅く関わる。

 しかし、彼女に至ってはそんなことどうでもいいと思えた。取り繕う必要性を感じなかったのだ。


 嫌われただろうか? ……いや、嫌われただろうな。印象操作をしてみんなを騙したと堂々と本人に告げたのだ。少しでも期待した彼女を裏切った行為ともとれるのだから。


「……気を悪くしたのなら、悪かった。それじゃ」


 ぐっと紅茶を飲み干し、バッグからハットを取り出して立ち上がる。


 まだ彼女の紅茶は飲みかけだが……プレゼントするとしよう。そのまま水道に捨てても構わないし、なんだったらカップごと捨てても構わない。

 廿楽本人もこれで満足しただろう。あと、僕とはもう関わりたくないはずだ。



「――待ってください」


 だと言うのに、彼女はあろうことか僕の腕を細い手でがっしりと掴んできたのだ。


「なっ、ちょ、離せ……」

「いいえ、離しません。まだ訊きたいことがあるんです」


 こ、こいつ、意外に力が強い……いや、ちょっと待て。何気に僕より身長が高いような……いやいやいや! そんなわけ! これは僕からの視線だから廿楽が大きく見えるだけだ! 端から見れば同じくらい! なんなら僕の方がちょっと大きく見えるはず!


「あなたが印象操作を行ったということはわかりました。でも、その理由をまだ訊いてません」

「……は?」

「なぜ、みんなに私を『いい人』だと印象づけたんですか? そもそもなぜ私に声をかけたのですか?」

「………………言いたくない」

「なぜですか」

「別になんだっていいだろ」

「じゃあ、言うまで帰しません」

「いや、そんな興味ないだろ」

「いいえ、興味あります。なんたって私、『学習意欲があって』『好奇心旺盛で』『誰とでも平等に接する』、いい人ですから」

「……!」


 自分の発言がここで返ってくるだなんて考えもしなかった。


 彼女の手を強引に引き剥がすこともできる。だが、この様子を見るに彼女はしつこく訊いてくるだろう。最悪、みんながいる前でも平然と問い詰めてくる可能性すらある。


 ……なら、今二人しかいないこの状況で言ってしまうのがいいのではないだろうか。


「……僕のせいでお前が周りから白い目で見られるのが、嫌だったんだよ」

「なぜですか? 別に武藤さんのせいじゃなくても私は既にそういう目で見られてます」

「……それを理由に、お前から難癖をつけられたくなかったからだよ」

「難癖なんてつけません」

「つけるかもしれないだろ」

「つけません」

「もしもの話だ」

「つけません」

「――あぁもう! しつこいな!」


 とうとう声を荒げ……廿楽にはっきりと告げた。


「そもそも人を浮いた存在扱いするのが嫌いなんだよ! 所詮、廿楽だってみんなと同じ普通の高校生なんだ! 他人がどうこう言おうが、僕はお前をロボットだと思ってない!」


 僕の怒声が教室内に響き渡った。

 再び静寂が訪れ、段々と血が昇っていた頭も冷静になっていく。


「……それだけ。本当にそれだけだ」


 ああ、しまった……何も彼女を怒鳴り付けることなんてなかったじゃないか。


 しかし、もう言ってしまったものはなかったことにできない。これ以上僕と関わったところで、廿楽が傷つくだけだ。

 手を引き剥がしてその場を去ろうとする。


「…………」

「………………あの、手を離してくれるとありがたいんだが」


 ――のはずが、廿楽は一向に腕を掴んだままだった。

 無理矢理引き剥がそうともするが……全然剥がれない。というか、さっきより強く握られてる感がある。


「……これじゃ、どっちがいい人なのかわかりません」

「は?」

「武藤さん。私と友達になってください」

「なんで!?」

「なってほしいからです」


 今のでどうしてそうなるんだ。僕、結構酷いことしたはずだよ……?


「いやいや、おかしくない?」

「おかしくありません」

「理由がさっぱりわからないんだけど?」

「武藤さんがいい人だからです」

「どこら辺でそう思ったの!?」


 自分で言うのもなんだが……客観的に見ると、初めましての女子に怒鳴り付けた最低の男子だったぞ。どこをどう見ればいい人だと思えるんだ。


「武藤さんは私を普通の女子高生扱いしてくれました。だから、いい人だと思いました」

「いや、それは……」

「あれは嘘なんですか?」

「う、嘘じゃないけど……」

「じゃあ、いい人です。友達になってください」


 どうしよう。延々とピッチングマシーンにボールを投げられてるかのような気分だ。

 自分の目的が達成するまで永遠と投げ続けるぞ、こいつ……。


「武藤さんにとって、私は普通の高校生なんですよね? なら、友達になってくれてもいいのではないでしょうか?」

「……でも、僕、お前が思ってるよりいい人なんかじゃないぞ。それでもいいのか?」

「構いません」

「また声を荒げるかも」

「構いません」

「それでお前の気分を害しても?」

「構いません」

「…………」


 もうダメだ。何言っても意見が変わらない。


「……まあ、なっても、いいけど」

「ありがとうございます」


 最終的に僕から折れてしまった。

 いや、仕方ない。結局こうすることが一番無難な選択なんだ。断ったところで何度も言ってくるだろうし……それに、友達になってくれるのは嬉しいし。


「じゃあ、これからもこうして武藤さんと話していいですか?」

「………………はぁ。僕、基本的に小説読んでるから、ずっと黙ってるけど」

「はい、それでいいです」

「……じゃあ、好きにしなよ」


 どうせ断ったところで同じことをしてくるだろう。それに無視することも了承してくれるのなら、読書の邪魔にもならない……はずだ。


「友達になるし、こうして放課後に会話もしよう……だから、そろそろ腕を離してくれないか?」

「……わかりました」


 僕が聞き入れたことに満足したのか、廿楽の持つ手が緩む。


 ――瞬間。


「――っ!」

「あっ」


 僕は振り返ることなく、走って教室から出ていった。

 元々運動が得意ではない。廊下は走ってはいけないし、個人的にも走りたくなんかない。


 でも、走るしかなかった。走らないといけなかった。


「はぁっ……はぁっ……!」


 息を荒くしながら、昇降口まで駆け抜ける。

 ふと、昇降口にある姿見鏡を見た。


 夕焼けに照らされた僕の顔。額にはうっすらと汗をかいている。



 今、自分でもわかるくらい顔が赤くなってるのは……きっと夕焼けのせいに違いない。

 僕は帽子を深く被り、自分の靴箱までそそくさと歩いていった。

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