掌編小説・『散歩にGO』

夢美瑠瑠

掌編小説・『散歩にGO』

(これは2020年の3月25日の「散歩にGO]の日にアメブロに投稿したものです)


掌編小説・『散歩にゴー』



 老私小説作家の古木寒巌(こぼく・かんがん)氏は、今日もお決まりの散歩コースを、特注した象牙製のステッキ馬を携えて、「六根清浄、融通無碍、行雲流水、天下御免、逍遥自在・・・」などと訳の分からないことをつぶやきながらそぞろ歩きしていた。

 もう春も酣(たけなわ)で、染井吉野の桜が八分咲きで、春の主役らしい完璧で豪奢な偉容をそろそろ誇示しつつあった。

 彼の好きな赤やピンクの椿も、艶々した濃緑の葉叢はむらを背景に目を楽しませるコントラストで魅惑的に可愛らしくそこここの生け垣で咲いていた。

 空気はふわふわした駘蕩たる明朗さでたゆたい、あたたかな陽光がきらきらと踊っていた。

「春だなあ・・・」

 と、彼は目を細め、陶然とした心持で呟いた。

 もう後何度こんな風に美しい日本の春を迎えられるだろうか。

「春は人生にとって、奇跡的な恩寵で、「新生」という概念の詩的な昇華、象徴である。春が来ることで初めて人間は自分が確かに生きているということの喜びを、そして吾々が自然と共に一体になって生きていることの喜びを、確かに実感できるのかもしれない・・・云々」と、彼は小説の一節に書いたことがある。

 漠然とそのくだりを反芻しつつ、「もしこれが最後の春だとしたら・・・「早蕨の萌えいずる春」にもう出会えないとしたら・・・こうして歩いている時間は限りなく尊い貴重なひと時ということになる。あだや疎(おろそ)かにできない。こういう美しい風景や馨(かぐわ)しい春の薫りを心底堪能しておこう・・・」そうつくづく思うのだった。

 “春宵一刻値千金”そう書いた漢詩の作者の気分が、よくわかる気がした。

 李白の「黄鶴楼にて孟浩然の広陵にゆくを送る」の中の、「煙花三月揚州に下る」というくだりを、古木氏は非常に好きであったが、この「煙花」は「霞のたなびく春」という意味らしい。

「李白は酒一斗、詩百篇」というが、そういう数多の漢詩のうちの白眉がこの漢詩で、さらにその圧巻がこの「煙花」という表現の、なんとも言えないゆるやかで爛漫とした「表現の至宝」ではないか・・・「詩仙」と呼ばれた天才の、最も本領が発揮された珠玉のような一言・・・

 そう考えて彼はこの言葉を愛するのである。


 あれこれ考えに耽っているうちについ歩きすぎて気が付くといつもは避けている「猛犬注意!」という札のある家の門に差し掛かっていた。

 この家には例のドーベルマンという犬が二匹も飼われているのである。

「しまった」と思う間もなく、「BOW!BOW!BOW!」という凄まじいような吼え声が襲ってきた。犬たちは飢えた狼のように目を血走らせている。

「ひゃあああ!来るな!来るな!」

 もう「煙花」もヘチマもなくなって、古木氏は這う這うの体で家まで逃げ帰ったのであった。


<了>


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