第2話 暴走列車は酔いに乗って
その頃にはもう、アニメはネットで見られる時代になっていたけれど。
もうちょっと早くにそうなっていてくれればと、どれだけ思ったか分からない。
そうなったらなったで困難はあったかも知れないけど、少なくとも、何も言わずに自分を凝視してくる親を背後にアニメを見るしかなかった、あの地獄の時間よりはマシだろう。
寒くて長いだけの冬がようやく終わりを迎え、そろそろ桜が咲き始めようかという頃。
私は、思いがけない出会いを果たした。
それは、親の勧めで半強制的に入った結婚相談所での、出会い。
最初は全く気が進まなかったけれど、何度か色々な人と話をしているうちに、もしかしたらいい出会いもあるかも知れない。そう思えるようになってきた。
あたたかな家庭を作りたい。
相手の好きなものを決して軽蔑しない、むしろ共に楽しめるような――
そういう人と、もし出会えたら。
そう願っていた時、私が出会ったのが――
私より5つほど年上の男性。
やや大柄で、人なつっこい笑顔に大きな目が印象的で、眼鏡をかけている。
名前は、
最初にホテルのレストランで出会った時の私は、とても緊張していて。
何かするたび、「すみません」を連発してしまっていた。
でも、何度かデートを繰り返すうち、お互いに色々なことが分かってきた。
まず、木持さんも私と同じ、アニメや漫画大好きなこと。
むしろ私以上に詳しいと言っても良かった。
私が家族に遠慮するあまり、だいぶ遠ざかってしまっていたアニメや漫画。
それとは対照的に、早いうちから一人暮らしを始めていた木持さんは、実家から出ると同時にアニメや漫画にハマったらしい。
何回目かのデートで、私たちは首都圏郊外にドライブしに行って、春の桜を見に行った。
ろくな貯金もなく、車も運転出来ず、ずっと仕事と勉強ばかりだった私にとって、景色を楽しめるドライブはそれだけで、新鮮な体験だった。
そしてその日の夜。
帰りに立ち寄った居酒屋で、私はかなり飲んでしまい。
いつの間にか、木持さんに愚痴っていたのである。自分の家族のことを。
「本当にもー、うちの親ってば酷いんですよ。
私が夜中にアニメ見てたら、イチローの打率ぐらいの確率で居間に入ってきて」
「あぁ、実家だとありがちだなぁ~
そういう時の親の視線、キツイですよねぇ。僕は幸い、アニメにハマったのは実家出てからだから、あまりそういうことはなかったけど。
でも、そういう時って親も巻き込んでハマらせちゃうって話も聞きますけどねぇ」
「いや、無理です無理。他ならともかく、ウチじゃ無理。
見るのやめろとかは特になかったけど、凝視してくるんですよ。凝視」
「え?」
「アニメ見ている私の背中を、何も言わずに凝視。
それで番組が終わると一言、ぽつりと言ってくるんです。くっだらないとか、目も顎も鼻も気持ち悪いとか」
「うわぁ……」
「そんな状態で、楽しめるわけがないでしょう?
それでいて、自分は娘を自由にさせて見守ってあげている優しい親のつもりなんですよ。悪気がないから余計にタチ悪い。
いっそ、見るのやめろと潔く言ってくれた方が、どんだけマシだったか分かりません。
表面的に酷いことされたわけじゃないから、こっちが『やめて』って言っても、『何で?』ってなっちゃう」
言葉が熱くなる。
頭がかあっとのぼせている。
自分でも何を言い出したのか、よく分からなくなってきている。
「だから私……
好きなものを好きだって、いつまでたっても、誰にも、うまく言えなくて」
その時には、木持さんの表情から笑顔が消えていた。
でも、私は続けてしまう。
「それだけじゃないですよ。
うちの親、私が自分の稼ぎで買ってきたお菓子、勝手に見つけ出して食べちゃうし。
で、『こんなに身体に悪いもの、食べちゃ駄目よ』とか言ってくる。
それが当たり前だから、私は家じゃ食べたいお菓子も食べられないんです。ふふ、ヤバイでしょー?」
「えぇ……」
「仕事が年度末で忙しくてお昼も夜も食べられなかった時、深夜にやっと帰れてコンビニで買ったカップ麺食べてたら、ものすごい形相で怒られましたよ。何そんなジャンクフード食べてんだ!って。
娘が一日中何も食べてなくて、やっと食べ物にありつけたのに、ですよ?」
「……」
お酒の勢いで、完全にヒートアップしている。
結婚を考えている相手に、言ってはいけないことを言ってしまっている。
自分でもそう気づいたが、もう止まらなかった。
「まだありますよ。
うちの親、ノックもせずに部屋入ってくるなんて当たり前で」
「え、えぇっ!?」
そこで木持さんの表情が完全に真顔になったが――
それでも、走り出した暴走列車が止まることはなく。
「人のいない間に部屋に入っては、私の本や漫画を勝手に読むのも当たり前。
それを見越して、親に見せつけたい本や漫画を敢えて置いておいたこともよくありましたけど、見事になーんにも伝わりませんでしたねぇ」
「そんな……」
「それで帰ってきたら、弟と一緒に『こんなもん読むな!』の連発ですよ。
いや~、実家暮らしって楽とは言いますけど、そういうリスクもありますからねぇ~
結構ツライんです、あはは」
大仰に手を叩きながら、笑ってみせる私。
でも、木持さんはもう、一切笑わなかった。
それどころか、じっと真剣に私の目を見つめている。
そして、彼が呟いた言葉は。
「
それは……ご両親に、やめてくれとは言わなかったんですか?」
「何度も言って、それですからね。諦めてます。
あんまり言うと、もう30にもなる娘を養ってやってるのに、って泣かれますし。
家の収入、今は大半が私と弟の収入なのにですよ? 家事だって、土日祝日の食事は私が作るし、皿洗いも水回りの掃除もだいたい私がやってますし」
「それは凄いな。
僕は料理と掃除は苦手で、外食ばかり。風呂なんか見られたものじゃないです」
「でも木持さんは、だいぶ前から一人暮らしされてたんでしょう? それだけで凄いですよ、私から見れば。
私なんか、自立出来てないのは確かだし、親に何か言える立場じゃないですからね。
そもそも実家暮らしだったら、ある程度プライバシー放棄しなきゃならないのは普通でしょう?」
「いや」
木持さんはそこで、テーブルの上に放り出されていた私の右手首に、そっと自分の手を乗せた。
大きな手のひらの暖かさが、じんわりと伝わってくる。
「それは……
多分、普通じゃないです」
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