第3話

〈火曜日〉

 あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。

 め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。

 あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。

 め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。

 あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。

 め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。

 あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。

 め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。

 あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ。

 め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。め。

 目が覚めるとそこは見慣れない世界で、三日前までのわたしなら驚天動地の心地だったろうけど現実は寧ろ天と地の間であるかもしれないと何となく察しは付いた。雨が頭上に限らず前後左右から殴り続ける為に視界は朧気、しかし身体が湿る気配が無いのは渇望していた新感覚で、あの女はこの身体条件を先取りしていたと思うと多少嫉妬した。勿論傘のある雨日和も快適ですよと注釈は忘れない。足元以高は白色と影のような薄墨色が広がるだけで人工物は見当たらず、十メートル見通すのがやっとだが、確かに踏み締める感覚はありながら透過する眼下には、馴染みある世界と思しき光景があり光の加減から恐らく明け方と窺える。眼を凝らせば垂直、水平方向を自在に追求出来る程の視力を境界越しに得、雨具で無理矢理自転車を漕ぐ出勤者や朝練を取り止める陸上部の姿を見下ろす。

 さて五分程経ったが消滅する気は毛頭感じられないので、所謂天上世界ではないと思われる。記憶が万全であるが故に死の切迫を引き摺り、同時に覚えた気持ち良さみたいなものに尾を引かれ、フラフラしながらこれからどうしようかと目先へ歩く。

「君、滑り台に吊るされていたよ」

 すると雨女が靄の中から輪郭を生みそう語り掛けてきた。それ自体に足が竦むことは無いが、ようこそこの世界へとでも恰好付けられるのが駄作ではお決まりの第一声は理解を前提としたものだった。

「どうも、おはようございます」挨拶と時間認識は世界間共通だろうとこちらは丁寧に応じる。

「あ、お察しの通りここが雨天世界。で、君は雨女気質だった訳だ。いやまさか偶々出掛けた日に偶々出会った第一身分が十万に一人の逸材とはね。一応言うと雨女だからって誰が何の気質、身分なのかは判別出来ないから。今の君なら分かると思うけど」

「予想以上に地表世界と違う、というか何も無い場所ですね。地域柄ですか?」

「何処も同じじゃないかな。それに何も無い訳ではない。付いてきてごらん」

 手を引かれるがまま先の見えない将来へ向かって突き進む。二日前の説明曰く地表世界でこうなれば雨天世界へ戻れないらしいけど、今この場で舌を噛み切れば雨天世界から別世界への転移は可能なのかね。そうなれば死ぬまで延々と退屈を味わう見返りとして天上世界への切符発行を遅らせられそうだけど。

 雨天世界でもデート出来るとは想像していなかった。雨を一途に愛した報いかしら。程無くして着いた地点には、鉄骨だか木材だか判然としない支柱がそれぞれの傾斜を描く下、硬質で汚れの多いソファに憧れたような台座が置かれる。開放感しかない屋根の下にお邪魔する気は起きなかったけど、雨天世界なりの空気を読んで台座に腰を下ろす。

「元々雨天世界にある素材を組み立てただけの掘っ立て小屋だけど、そこら辺よりは落ち着くでしょう?」一見して雨粒以外の自然物は認められない世界で、評価される機会の滅多に無い作品を仕上げるとは余程暇だったのだね。人生は暇潰しだから真っ当な行動だと思うよ。吹き荒れる雨風は申し訳程度に柱を覆う襤褸紛いを全く意に介さず、実益を端から求めないデザイン志向性には感銘を受けるばかりだ。

「わたしがさっきの場所で転生したのは無作為ですか?それとも必然?」

「必然。地表世界で死ぬとその座標に対応した雨天世界の座標に転生し、雨天世界で死ぬと事前に俯瞰で指定した位置または最後に俯瞰した場所へ転生する」その座標とこの拠点が然程遠くないということはやはり身近な存在だったのではなかろうか。

「それで滑り台って何ですか?わたしを殺したのは日比谷マリで間違い無いですか?」

「うん、上から見ていた。日比谷ちゃんは私みたいに君をぐちゃぐちゃにした後、幅広の道側にある遊具に手を結んで干物にした。助けてあげられなくてごめん、と謝る必要は無いよね。こうして雨女になれたんだから」刺殺後の記憶は身体に残っていないので確と俯瞰してくれて参考になった。しかしそうでなかったら返り討ちに恵まれた終始不幸な人生の幕を閉じていたので、結果オーライと喜べはしない。

「……日比谷は晴女ということですか」もう一つ脳天に注いでいたアイデアを口にすると雨女は頷く。あぁ、わたしも雨女だから便宜的に雨女先輩と呼ぶことにしようか。

「そうみたいね。これでこの地域に現存する第二世界住民が四人以上であることが確定した」先輩はニヤリと笑う。

「四人?一人多くないです?」言いながらあぁそうかと自己完結するけど解説は任せた。

「俯瞰して。日比谷が三階自教室の席に座る様が見えるでしょう」先導されて嫌々重要人物を狙いズームすると、憎たらしい表情が確かに健康そうに緩んでいる。

「彼女は君を殺して飾った直後消失した。その後晴天世界で死んで雨天の今日今朝方第一身分化し、殺したことも殺されたことも無かったかのように振る舞っている。第二世界の仕組みを自力で解き明かすには早過ぎるし、私が殺した際に何も無いだろう晴天世界にて自殺を可能にする道具は持っていなかったから、恐らく彼女は自身が晴女気質と知らないまま殺され、心優しい晴天世界住民から世界の理を教わると同時に殺してもらい、君の周りに人が居ない時間を狙って降下したんだろう。既に第二世界経験があり第一身分化していた可能性もあるけど、何にせよ晴天世界住民の協力者は確実に居る」

「日比谷とは幼稚園からの腐り切った縁なのでそれはないです」

「純粋な第一身分だったと。死に慣れていないのも要因かもしれないけど、死体を晴天下の衆目に晒したのは私達に殺された怨恨と虐めっ子の特性、君の第一身分化を困難にする目的からだろう。優位な立場にある者はそれが一度でも覆されれば徹底的に相手を貶めるから」身に沁みる経験があるのか知ったような口を聞く先輩。

「私達には地表世界において考えるべきリスクが大別して二つあり、天候次第で降下する第二身分または第一身分化した前第二身分に対して殺される殺害リスクと、第一身分に対して捕まる可能性を踏まえた目撃リスク、死体の場合は特に事件化リスクがある。いがみ合う運命なのかね、晴女と雨女が殺し合いになったケースは過去にもあるらしいけど、第一身分同士殺し合った後、第二身分側は相手を事件化させようと工作し、第一身分側は目撃リスクと殺害リスクを念頭に注意を振り撒き、第二身分側の消失が事件化しない内に第一身分を殺せれば第一身分化して立場逆転、これを繰り返していずれお互い事件化すればそこで第二世界永住エンド。協力者が教えたのか知らないけど、一発目から君を事件化させるなんて日比谷ちゃんは賢いね。第一身分化を予防すれば基本的に雨天時さえ注意を払えば良いから。それでも少なかれ消耗する神経に見合うだけ、学校と君の抹消には執着があったのかな。御覧なさい、公園が警察とブルーシートで大人の為の施設と化しているわ。死体が消えて騒然としているのかね。きっと君の死は家族にも友達にも知れ渡るから、第一身分化は諦めた方が良いかもしれないね」

「両方居ないですけどね」俯瞰の知識に偏りがあるのは良いとして、クソ、先輩をもっと信用して日比谷が晴女気質と分かっていれば、目撃リスクに脅えることなく日比谷を事件化出来ていたのに。その仮定は無理があるか。

「あらそうだったの」

「あなたではなくわたしを殺した理由は」

「協力者が私と君の密会デートを俯瞰していたのでしょうね。雨女の私を利用する君が首謀者だと判断して伝えたのか、悪意無く君の情報を伝えて虐めっ子の想像力が働いたのか。何となく後者である気がするけど」

「だけど俯瞰でわたし達の歪な関係性くらい知っているはずですよね。協力者諸共アイツを晒上げにしたいのですが」晴女の時点で反りが合わない上、アイツは精神に加え物理的苦痛を与えてきた。わたしの指示した痛みはこれ程だったかと戦争の虚無感を悟る、訳ないだろ。アイツはまだまだ報いを受けるべきだ。

「この通り音は聴こえないから言葉の暴力は拾えなくて仕方ない。リベンジは良いけどまずは深呼吸して作戦を考えよう?」本心では今すぐ復讐第二弾に飛び出たいけれど、暴れ方を間違えれば地表世界住人に雨女を警戒され、偶の降下さえ出来ない窮屈なセカンドライフを送る未来は明白だった。

「降下はもうした?してないならバレない程度に散歩してきたら?今日の彼女は厳重警モード、ほら今も友達を周りに侍らせていつもと違う帰り道を往く。お泊り会でも開くのかね」

 気付けば放課後、教室の保護から解かれた日比谷は立場を逆転しかねない挙動不審で背後を気にする。確実に再度殺すにはその警戒網を掻い潜らないといけない。

「降下はします。でもその前に」わたし自身は別にこのまま雨天世界に住み続けて構わない。地表に大した思い入れは無いし時折ふらりと降下出来ればそれで良い。ただ日比谷がのうのうと第一身分を謳歌するのは癇癪を引き起こしてならない。精神安定剤としての一案は既に思い浮かんでいた。

「一先ず死んでくれますか?」

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