そんなに怖くない創作百物語

第15話 大きな目

弥子さん(仮名)という知り合いがいる。

その弥子さんが二十代のころに介護福祉士として

中規模の特別養護老人ホームで働いていた時の話。

弥子さんによると、彼女の仕事相手である痴呆の老人たちは

不思議なことを日常的にするらしい。

部屋の角をジッと見つめ続けたり、居ない人と話し続けたり

ある時は、自分の悩みをパッと当てられたり

普段は痴呆だが、時折正気に戻るおばあさんに澄んだ目つきで

「あんたはこの仕事に向いとるけど、茶髪のあんちゃんは

　向いとらんと自分で悩んどる。そろそろ辞めるかもなぁ」

と言われた数日後に、言われた当人が辞めたりと

驚くことが多かったそうだ。

「他にも何か印象的なことや不思議なことはあった？」

と尋ねる自分に弥子さんは

痴呆の老人たちはおかしなことをしても今話したこと程度で

とくに怖くもなかったが、それよりも当時働いていた施設自体に

恐ろしい現象が多かったそうだ。

怖いことが起きるのは決まって夜勤の時で

同僚数人と交代で数時間おきの施設の見回りや、宿直室で当番などをしていると

誰も入っていない個室の、呼び出しベルがいきなり鳴ったり

食堂で背後を通り過ぎる人の気配がして振り返ると

誰もいなかったりしたそうである。

「まあ、その程度はいつものことだから、慣れるし

　そのうち笑えるようになるからいいんだけど。

　幽霊なんかより、結局、人間の方が怖いでしょ？

　同僚のヘルパーさん達って、おばちゃんが八割だから

　職場についてのあることないことの噂話が凄くて。

　そっちの方が若い時の自分にはよっぽど怖かったわ」

と弥子さんは笑いながら、自分に言ってから

一番怖かった現象について話してくれた。

施設の高い吹き抜けになっている玄関ホールの天井には

大きな天窓が嵌めてある。

その天窓は、宿直室のパネルで操作しないと

絶対に開かないようになっているのだと弥子さんは言った。

それが起こったときは、同僚たちは休憩で寝ていて

弥子さんが独りで見回りをしていた時間だった。

時刻は午前三時過ぎだったそうだ。

まず、玄関ホールに入ってすぐに

開くはずのない天窓が自動で駆動音と共にゆっくり開いた。

すでに多少のことでは動じなくなっていた弥子さんは

ため息を大きくついて、どうせ宿直室で誰かが自分を

驚かせようとするために操作しているのだと決めつけ

落ち着いてそのまま見回りを済ませ

天窓を閉めるのと、ついでに同僚を叱りに行くために

戻ろうとしたのだが、ふと上から視線を感じて

開いた天窓を見上げた。

そこからは月夜に照らされた巨大な一つ目が

……とてつもなく大きな血走った緑色に輝く眼球を持った目が

弥子さんを見下ろしていたそうである。

そしてそこからの記憶がないのそうだ。

気づいたら、そこで寝ていて

見回りに来た年配女性の同僚に揺り起こされたらしい。

見上げると天窓はまだ開いたままだった。

疲れすぎて倒れたと言い繕って、その日はそのまま帰らせてもらい。

二日ほど休んでから、弥子さんはなんとまた、いつも通り出勤したそうである。

「あんな大げさなこと、二度は無いと思ったから」

という直感を信じた弥子さんが正しかったようで

その後、職場を変えるまで、もう天窓が自動で開くことも

あの大きな目がでてくることもなかったそうだ。