第13話 中川さん(仮名)

中川さん(仮名)という

知り合いの四十代半ばくらいの男の人がいる。

仕事は建築大手に勤めるサラリーマンである。


彼はこう言っては悪いが見た目はよくない。

本人も自覚していて、自らネタにするほどよくない。

かなり太っていて、額はとても広く、顔立ちもお世辞にもいいとは言えない。

しかも百八十近く身長はあり、縦にも横にも広いので

色々とそういう美点ではない部分が

倍加されて、強調される感じだ。


しかし、常に笑顔を絶やさない彼はとても感じがよく

身なりも常に清潔にしていて

声色も心地よいし、話題も豊富で、性格も爽やかなので

友達は多く、もう十五年以上連れ添った美人の奥さんと

彼の言うことをよく聞く、奥さん似の中学生の息子さんと

彼の雰囲気の良さを受け継いだ小学校高学年の賢い娘さんがいる。


数年前のある夜、彼と居酒屋で飲んでいた時に

自分は失礼だと思いつつも、軽口のついでに

「ダイエットとかしないんですか?」

と訊いてしまって、すぐに我に返り謝った。

いくらそれなりに長い知り合いとはいえ失礼すぎる。

中川さんはまったく気にしてない様子で

「若いころしたことはあるんですよ。ジムで筋トレもして

 かなり良い体型にもなったんですけど

 とくに周りの反応も変わらなかったし、それに……」

と言って中川さんは少し考えた後に

「ちょっと、不思議な話をしていいですか?

 僕の長年の思い込みって言うか

 ちょっと狂気じみてるとこも、あるかもしれないですけど」

自分は面白そうな話が聞けそうなので、ぜひにと答えて

ビールをもう一杯注文した。

中川さんも日本酒を注文すると、自分の身の上話をし始めた。


中川さんは、子供のころからわりと大柄で太っていて

運動もそれほど得意ではなく、そしてモテなかった。

友達も少ないながらも居て、勉強はそれなりに出来たので

学校に居場所がないこともないが、通うのが好きというほどでもなかった。

中学では柔道部に入ったが、試合では万年補欠で

特に楽しくもなかったが、辞めるほど辛くもなかったので

三年間やり通した。


高校では部活はやめて、勉強一本に絞ることにした。

県内三番目くらいの偏差値の進学校に入学したが、

そこで彼を人生初めての軽いいじめが待っていた。

その進学校は、伝統的に野球とサッカーに力を入れていたので

スポーツ特待で入ってきた百八十を超えるようなムキムキの大男が

彼のクラスに居た。

高校にもなって、まるで小学生のような猿山のボスを気取っていたその男は

彼の次にクラスで大柄だった、身長だけなら学年で圧倒的に一番だった。

そして彼は、中川さんの身体的特徴を標的に言葉でのいじりを毎日始めた。

中川さんは最初は何をされているのか分からなかった。

彼は見た目は良くないが、小中では彼より大きな子はほぼ居らず

幸運なのか、そういう目に遭ったことは一度もなかった。


そこで中川さんは、店員さんが持ってきてくれた

新しい日本酒をグラスに注いで旨そうに飲み、しばらく満足そうな顔をした。

「あの……もしかして、新たな性癖に目覚めたとか?」

自分がその不可解な表情を見て、恐る恐る尋ねると

中川さんは苦笑しながら

「違いますよ。不快な話を聞かせ続けるのも悪いので

 結果から言いますよ。その子は入学一か月で靱帯断裂して

 すぐに学校を辞めていきました」

「そうなんですか……運が良かったですね」

中川さんはニヤリと笑って

「不思議なことにですね、僕は彼から罵られるほど

 体調は良くなり、クラスメイトから同情を集め

 そして、彼が靱帯断裂して教室から消えた日の翌日には

 人生で初めて、クラスの女子から告白されました」

「……どういうことですか?」

「その時は気づかなかったんですよ」

中川さんは満足そうに日本酒に口をつけると

再び雰囲気良く話し始めた。


人生初めての彼女とは三か月ほどで別れた。

そして、中学までと変わらない平穏な高校生活が

彼に再び訪れたが、高校の間に彼に二度と彼女ができることは無かった。

数年後、その進学校から、ストレートに都内の有名大学に入った彼は

地元とは違う東京の生活に何とか馴染みながらも

学業をしつつ、生活し始めた。

初めての一人暮らしが安定して余裕が出てきた彼が

入学半年後に、人生初のバイトをコンビニで初めたときのことだ。


わりと来客の多い、日中や夕方のレジ打ちを任されていたのだが

その時間帯には、二十歳かそこらの逆立てた髪を金髪に染めて

耳にピアスをしている派手な服装の男がよく来た。

彼は必ず大柄な中川さんの顔を見るとチッと舌打ちして

去り際に背中を向けて

「キモ」

とちょうど中川さんに聞こえるくらいの音量で

必ず言ってくるのである。

最初は幻聴か何かかと思ったが、同僚にもさりげなく近くにいてもらい

確かめてもらうと、本当に言っていた。

他にも数名、自分を見ると顔を顰める女子高生やOLが居たそうである。

中川さんは穏やかにほほ笑みながら

「原因は自分の見た目だろうな。とは思っていました。

 ただ、当時はまだぎりぎりネットも普及してなくて

 見た目をよく見せたり、痩せる方法なんかもわからず

 自分も一人暮らしの生活とバイトと勉強でそこまで対応する余裕はなかったので

 言われるがままにしていました」

「きついですね……」

「いやいや、ここからが面白いところです」

中川さんは、上機嫌につまみの追加を頼んだ。


しばらくそのバイトをしていると人生二度目の彼女が出来た。

「バイト先の同僚の年上の人です。それからは毎日が楽しくって」

まだ男や、自分を見て顔を顰めてくる客たちは

バイト先のコンビニに通い続けていたが

彼らのことも気にならないどころか、同情するくらいの精神的余裕を

中川さんはもてるようになった。

「……のろけ話だったんですか?」

現在進行形でモテない自分がつい言ってしまうと

「ははは。そう聞こえたらすいません。話さないと先に進めない部分なので」

自分は何度か軽く頷いて、ビールを飲んだ。


幸せにあふれる中川さんと対照的に

彼に軽く悪口を言う客たちは、次第におかしくなっていった。

「キモ」

と去り際に必ず言ってくる男は、目の下に濃い隈ができて

青白い顔をしながら、フラフラと来店して

コンドームと一緒に、パンやコーラなどを買っていくことが増えた。

顔を顰めてくる人たちも、体調が見るからに悪くなり

次第に来店しなくなってきた。


ある時、白髪で背の低くきれいな服装をしたお婆さんが入り口から

スッとそのまま彼の立っているレジの前まで歩いてきて

彼を見上げ


「あんた、接客業に向いてない。

 あんたがやるべき仕事は、お客さんと深い信頼関係を築く仕事だ。

 あんたみたいなのが、多くの人目につく、ここに居たらいけない」


そう毅然とした表情で言ってきた。

中川さんはおかしな人に絡まれたと思い

休憩室に居る店長を呼び出そうかと一瞬考えもしたが

何となく、老婆を見て思う所もあり

「仕事中なので、あとで詳しく聞かせてもらえませんか?」

と丁寧に頼んでしまった。すると老婆は頷いて

「これ置いとくわ、ここに来な」

住所の書かれた紙切れをレジに置いてその場を立ち去った。


中川さんは、バイトが終わった後に

近所だったその老婆の示した住所へとすぐに向かった。

危険だとすら思わなかった、直感が必ず行けと告げていた。

辿り着いた雑居ビル二階の古めかしい鉄扉を叩くと

ガチャリと開けて、先ほどの老婆が出てきて

「入んな」

とぶっきらぼうに顎で入るように指示してきた。

老婆は中川さんを室内の座敷部屋に通すと

座布団を敷いて、彼に座るように促し

さらにちゃぶ台を置いて、それを挟んで中川さんと対面上に座った。

老婆は肩のあたりをボリボリと軽くかいた後に


「めんどくさい話は無しにするよ。

 あんた、自分に突っかかってくる低級な人間に

 自分の不運を捨てる力を持ってる」


中川さんは何を言われてるかしばらく理解できなかった。

それが伝わったのか老婆は少し苛立った顔で

「あんたは、見た目は正直、まったく冴えないが

 中身は相当に大したもんだ。私にだって、その目を見れば分かる。

 しかし、その中身を見られない人間が世の中にはかなり多い」

中川さんは黙って聞いていた。

「そういうかわいそうな人間たちに絡まれることはあるだろ?」

中川さんが頷くと、老婆は頷き返して

「やっぱりそうか。そしてそいつらが不幸になっていく。そうだね?」

ふと思い出したので、高校の頃の辞めていった同級生の話をすると

「やっぱりそうか。今のあんたの職場では

 客があんたの力の犠牲になってる。今すぐに辞めるべきだ。

 バイトしないといけない事情があるなら

 私の知り合いで、貸倉庫の警備をしてもらいたい男がいる。

 体格のいいあんた向きだよ。人にも会わないし」

老婆は連絡先を書いたメモをさっと中川さんに渡してきた。

そしてすぐに帰るように言われる。

別れ際に老婆が

「あんたは、その力を悪用しないようにするべきだ。いいね?」

と念を押してきたので、中川さんは深く頷いた。


老婆の言うことを中川さんは、すぐには真に受けなかった。

その後、一か月ほどコンビニのバイトを普通に続けていると

ある日を境に、男は来なくなった。

そして、中川さんに顔を顰めてくる他の客たちも

さらに減っていった。

そんなある日、ふと自宅のアパートで

テレビを見ていると、ニュースで見覚えのある顔が映った。

コンビニに来ていたあの男だった。

何でも、同棲相手と無理心中を図るために自宅に放火して独り死んだらしい。

火はボヤだったようで建物の損傷は極少なく

相手は幸いにも軽症でしかも意識があると

ニュースキャスターは怪訝な表情で言っていた。

蒼くなった中川さんは、すぐにコンビニの店長に電話を入れて

申し訳ないが今日で辞めると告げた。


バイト先で出来た彼女とも何となく疎遠になって

しばらく仕送りのみで生活を切り詰めながら

勉学に励んでいた中川さんは、ふとバイトがまたしたくなり

取っていた老婆から渡されたメモを取り出して

そこに書いてあった電話番号にかけて

バイトがしたいと告げると

「ああ、待ってたわ。兄ちゃん、妻野(仮名)さんの紹介だな?

 そろそろ来る頃だって、聞いてたからなぁ」

妙に納得した口調で、壮年の男が言ってきて

それから面接へと行くと、とんとん拍子に倉庫番のバイトが決まり

勤めることになった。

結局、大学を卒業するまでそこで中川さんはバイトし続けて

かなり生活の助けになった。

しかし老婆とは二度と会うことは無く、あの雑居ビルに彼から行くこともなかった。

そして、東京の大手商社にそのまま就職した。


彼は入社三年目に、ダイエットをしようと決意する。

ジムに通って、体を鍛え体重も絞る。

体力的にはとても充実した時期をだったと中川さんは振り返った。

「でも、それがよくなかったんですよ」

彼は苦笑いしながら、日本酒に口をつけた。


体力がつき、自分に自信もついた中川さんは

自信過剰になり、仕事で大きなミスを半年間に二回した。

二回とも事前連絡や、下準備をしっかりしておけば

結果的に起こらなかったであろうミスからだった。

今までの人生で感じたことのないストレスで

まともに眠れなかった中川さんの額はそこでかなり後退したそうである。

「たぶん、僕は、痩せたらダメなんだと思います

 自信過剰になってしまうので、ちょっと人様から侮られるくらいの

 体型が良いんですよ」

そう中川さんは、つまみの鶏の唐揚げをを口に入れながら言った。

その後、中川さんは紆余曲折あって

今の大手建築会社に転職して順調に働いている。

ダイエットを放棄して、元の体型に戻った中川さんは

今の奥さんとも知り合い、そして子宝に二人分も恵まれた。

その後、東京本社から、支社のあるうちの市に家族を連れて転勤してきた。


少し、気になったので尋ねてみた。

「あの、中川さんに彼女ができた時って

 周りの人が不幸になって……」

奥さんができて、そして子供二人って

その法則から行くと、かなり周囲が……。


中川さんは微笑みながら

「いや、皆、良い人ばかりなので

 友達とか自分の職場や取引先の人が死んだりとか

 不幸に遭ったりとかはまったくないですよ。ただ……」

「……ただ?」

自分が固唾をのんで彼の顔を見つめると

「十五年くらい前から、道を歩いているとよく

 若い子から、すれ違いざまに軽い悪口のようなことを

 言われることは増えました。しかも

 最近はいい歳した大人でもそれなりにありますね」

「例えば、コンビニの彼のように……?」

「そうです。ただ、僕にはどうしようもないじゃないですか。

 知り合いでもないし、仕事があるから、外に出ないわけにもいかないし

 かといって、ダイエットしても自分の仕事に悪影響ですし」

「家族もいますしねぇ……」

「そうですそうです。仕方ないんですよ」

中川さんは、彼なりに他者にそう言われないように

できるだけ良い雰囲気や、堂々とした歩き方をするように

しているのだが、それでも絶えないらしい。

「見た目偏重社会ですからねぇ……」

自分が何とも言えない気持ちになっていると

中川さんは黙って

悲しんでいるのか嬉しがっているのか

よくわからない不思議な表情で少し笑って

日本酒に口をつけた。

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