第八章 ウンディーネは魂を失う

それから数日後のことであった。また製鉄所を利用したいという人物が、製鉄所にやってきた。製鉄所には来客が耐えないのは日常茶飯事であるが、その人物は女性で、もっとはっきりいうとまだ女の子で、名前を菅信子といった。年齢は、一緒にやってきたお母さんの話だと、12歳というが、それにしては子供らしくなく、老け込んでいた。

「どうしてこちらを利用しようと思われたのですか?」

応接室に彼女と彼女の母親を招き入れながら、ジョチさんは聞いた。

「ええ、私が仕事が忙しくて、家を開けることが多くなったものですから、からっぽな家に一人にさせてしまうのも、可哀想だと思いまして。その間、こちらでお預かりしていただくわけにはいきませんでしょうか?」

母親は、申し訳無さそうにそういうことを言った。

「それは、いいんですけどね。こちらは、とりあえず空きはありますし。でも、12歳という若い年齢の方は、これまでこちらに来たことがありませでした。学校でいじめにあったとか、そういうことで登校拒否をされたんですか?」

ジョチさんがそう聞くと、

「いえ、そういうことではありません。そこははっきりしています。いじめにあったとかでは無いんです。ですが、先日運動会の組体操の練習で、人間ピラミッドを作ったときに、最上段の生徒さんが、落下して大怪我をしたそうで。それを目撃してから学校に行かなくなりました。」

母親は悲しそうに答えた。

「はあ、全く近頃の学校は見栄っ張りだな。どうせ、うちの学校はこんなに元気でやっているって見せびらかしたくて、生徒にそういう事やらせるんだろう。そんな見栄っ張り、果たして教育になるのかな。中国の雑技団とか、北朝鮮のマスゲームとか、そういうのとはまた違うと思うんだけどね。」

一緒にいた杉ちゃんが、大きなため息をついた。

「つまり、彼女自信が怪我をしたとか、そういうことでは無いのですね?」

ジョチさんがまた聞くと、

「はい。この子自身は怪我をしませんでした。ですが、ピラミッドが崩れて、最上段の生徒さんが、大怪我をしたとき、周りの教師の方は、何もしなかったそうなんです。」

と、母親は答えた。

「はあなるほどねえ。確かに、落っこちた当人も辛いけどさ、目撃した人も可哀相になるよねえ。」

杉ちゃんが、大きなため息をついた。

「そうですね。一斉崩落とか、事故が起きやすい種目だと思います。直接は関係ない話ですが、その怪我をされた生徒さんは、損害賠償とか、そういうことはしたのでしょうか?それをしておかないと、学校という組織はなかったことにしてしまいますからね。」

ジョチさんがそう言うと、

「ええ、落下した生徒さんは、意識がまだ戻らないそうで、どうしているのか、私達にもわかりません。」

お母さんは正直に言った。

「そうなんですか。そういうことでしたら、学校の先生はまずあてになりませんから、弁護士に相談するといいと思いますよ。あまり知られていませんが、教育委員会も、何も当てになりませんからね。そういうことは、法律家の方に、お願いするのが一番です。」

「でも、彼女のことはどうしたらいいんだろうね。ピラミッドが崩れたのを目撃しただけでは済まされない。何よりも、上に乗っていた生徒さんは、意識が戻らないわけだからなあ。」

ジョチさんがそう言うと、杉ちゃんが言った。

「スクールカウンセラーとか、そういう方には連絡しましたか?」

「はい、それが、他の子の事で手一杯でこの子のことは何もしてくださらないのです。」

確かにそのとおりだ。もうひとりか二人くらい学校にはカウンセラーを置いたほうがいいと思う。100人とか、200人とか生徒がいるのに、たった一人しかいないのはおかしいと思う。

「他の子の事で手一杯ね。学校のシステムって、ほんとにいざと言うとき、役に立たないよな。もうちょっと、考えてシステムを作ってほしいよな。」

杉ちゃんはまた言った。

「とりあえず、彼女にはこちらへ来ていだだきまして、他の利用者さんたちと一緒に勉強するなりしてもらえば良いと思いますが、なるべく早く、手立てを打つように、学校にいるカウンセラーさんにも、お話をしておいてください。そうでないと、彼女も傷ついてしまいます。」

「わかりました。」

ジョチさんの話に、母親は決断した様に言った。

「とりあえず、私は仕事がありますので、これで戻りますが、どうか、信子の事を見てやってください。」

「了解しました。」

ジョチさんはしっかり頷いた。そして、頭を下げて立ち上がるお母さんを玄関先まで見送っていった。一方、杉ちゃんの方は、信子さんを連れて、製鉄所の中庭の方へいった。

「おーい!新入りが来たよ。なんでも小学生の女の子だ。みんな仲良くしてあげてね。」

杉ちゃんが利用者たちにいうと、利用者たちは、すぐに信子の所へやってきた。

「大丈夫、ここを利用しているお姉さんたちは、皆優しいよ。」

と、杉ちゃんは言うのだが、信子はとても悲しそうな顔をするのだった。

「どうしたの?なにか嫌な事でもあった?」

できるだけ明るく杉ちゃんがそう言うと、

「だって、担任の先生に似てるから。」

と、信子は答えた。子供というのはときに無責任な発言をしてしまうものである。それをどう受け取るのかは、大人の感情と技量によるのであるが。

「そうか、担任の先生は若い女性だったんだ。顔が似てるってことは、誰にも変えられないし、仕方ないことでもあるわよね。」

罵倒されているのになれている利用者たちだから、そう言えるのかもしれないが、信子は、ありがとうという感じの顔をした。

「まあそれは仕方ない。他の誰かに相手になってもらおう。あのね、信子ちゃん、決して自分の気持ちは自分の中に溜め込んでは行けないぜ。必ず誰かに話すんだよ。」

「そうよ。そうでないと、あたしたちみたいに、社会に適応できない人間になっちゃうわよ。」

杉ちゃんの話に利用者たちは優しく彼女に言った。信子はまだ怖いと思っているような顔だ。

「なるほど、つまりバカ教師は、若い女性だったわけか。まあねえ、指導力がなかったということだな。ただ、誰かのそばにくっつくしかないということか。」

杉ちゃんがそう言うと、いつの間にか水穂さんがやってきて、

「そんな事言っても、先生だって人間なんだし、そこばかり責めては行けないよ。それよりも、信子さんがどうやって楽になれるか考えよう。」

と杉ちゃんに言った。信子は、杉ちゃんと水穂さんの顔を見て、

「わあきれいなおじさん。まるで役者さんみたい。」

と、思わず言った。

「わあじゃなくて、ちゃんと人に会ったんだから、ご挨拶しなくちゃ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「ごめんなさいおじさん。はじめまして。私、菅信子です。」

子供らしく彼女は自己紹介した。

「菅信子さんね。僕は磯野水穂です。よろしくおねがいします。」

水穂さんも彼女に挨拶した。

「どちらの学校に通われているのですか?まだ小学生でしょう?」

「はい。第二小学校です。」

信子が答えると、

「ああ、あの問題が多いと言われる学校ですね。」

水穂さんは答えた。

「おじさん知ってるの?」

信子が聞くと、

「ええ知ってますよ。なんでも他の利用者さんでも、第二小学校でいじめにあって卒業できなかったという方を見たことがありました。先生の指導力もまるでないとか。」

水穂さんはすぐに答えた。

「だから、あなたも変な先生に出会ってしまったのだと思います。他の利用者さんもみんなそうでしたから。」

「本当!おじさんわかってくれる?」

信子は嬉しそうに言った。

「はい、誰かがわからなければ、信子さんの気持ちは解決しないでしょうから。」

水穂さんは、優しく言った。

「そうしたら、おじさんと遊ぼうか。ピアノを弾いてあげますから、こちらに来てください。」

「はい。」

信子はにこやかに笑って、水穂さんのあとをついていった。そして二人は四畳半に入った。水穂さんが子犬のワルツとか、モーツァルトのソナタを弾いたりしているのが聞こえてきた。でも、杉ちゃんは、水穂さんの体のことが心配で仕方なかった。

「あーあ、大丈夫かなあ。水穂さんにまとわりつくのはいいんだが、子供というのは時折無茶な要求をするからな。」

「そうですね。誰か手伝い人でも頼みたいですね。水穂さんでは、ちょっと不安なところもありますね。」

それを聞きつけてジョチさんも杉ちゃんのところにやってきて、そういう事を言った。

「そうだよ。周りのやつが力になれないからな。」

「ダメ元でいいですから、家政婦斡旋所に連絡しましょうか?」

ジョチさんがそう言うが、杉ちゃんは少し考え込んで、

「よし、あの女性に頼もう!」

と手を打って言った。

「あの女性とは、誰のことですかね?」

ジョチさんが聞き返すと、

「ほらあ、この間、水へ連れ戻されたウンディーネみたいにきれいな美女だ。彼女の電話番号まだ捨ててないよね?残ってるだろ?」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「そうですね。確かに彼女の名刺は捨ててありません。」

ジョチさんは、応接室へ戻って、机の引き出しの中から、一枚の名刺を取り出した。そしてスマートフォンを取り、そこに書いてある電話番号に電話をかけてみた。

「あの失礼ですが、杉山春さんの電話番号で間違いありませんか?」

ジョチさんが繋がったのを確認してそう言うと、

「スギヤマは。」

と中年の女性の声がする。春の番号だから、若い女性の声だと思うのだが、それとはまた別の声だった。

「杉山は、一週間前に自殺してなくなりました。もうこの携帯も解約するところでした。」

「はあ、、、そうですか。一体どうして彼女はそのような事をしたのでしょうか?」

ジョチさんがそう聞くと、

「はい。もうこの世には生きられないって、手紙には書いてありました。まあ、仕方ないかもしれません。そうするしか、彼女は解決できなかったのではないかと思います。」

なんとも機械的な答えであるが、それが事実ならそれで間違いなかった。家族や本人なら納得行くのかもしれないが、他人には、納得できない答えでもある。

「そうですか。まあ、この世にいないのなら代理人を頼むしかありませんね。でも、僕達からみたら、彼女には生きていてほしかったな。」

ジョチさんはそう言って、電話を切った。杉ちゃんがすぐに、

「一体どうしたの?」

と聞いた。

「ええ、彼女、杉山春さんですが、一週間前に亡くなられたそうです。とりあえず、他のものに頼まなければならないと思いますけど、亡くなられたというのは驚きですね。」

ジョチさんは急いでいった。

「そうかそうか。しかし本当なんだな。水に戻ったウンディーネは魂を失うとはな。」

杉ちゃんもそう返した。

「それにしても、あまりにも突然でびっくりしました。お悔やみかなにかを送りましょうか。」

「そうだね。彼女のお母さんに連絡してみる?」

「わかりました。」

ジョチさんはもう一度スマートフォンを取った。

「なんべんも電話をかけてしまって申し訳ありません。あの、失礼ですが、杉山春さんのお母様と変わっていただけないでしょうか?」

ジョチさんがそう言うと、

「はい、杉山春の母親ですが?」

声が別の声に変わった。

「この度は、春さんが自殺なさったそうで、誠にご愁傷様です。春さんはなにかあったのでしょうか。ちょっと経緯を聞かせていただけませんか?」

「ええ。春は、もともと私の家で暮らしておりました。もともと精神障害があったというか、発達が遅れている子でしたから、定職に着くことができないで、私があの子の面倒を見ていたんです。学校にも馴染めませんでしたし、眠ることだって、満足にできなかったのです。会社や組織に行かせても、出かけるだけで、えらく疲れてしまうような子で。それなのに、どうしても自立したい、できることでなんとかしたいと言い張って、家を飛び出していきました。そんなわけですから、本当に私の言うことはまるできかない困った娘でした。」

母親はつっけんどんな口調でそう返した。

「でも自立したいと思う気持ちは、自然なことだと思うんですけどね。」

ジョチさんが言葉を濁してそう言うと、

「いえ、あの子は人の助けなしでは生きていけません。自分の髪の毛を結ぶことだってできないのですから。とても自立なんで無理な話です。将来は施設で暮らすことを考えていましたが、それなのに、あの子は一度でいいから、自分のやりたいことをしたいなんて、そんなワガママを言って。なんとも言えない愚かな娘だったと思います。とりあえず、こちらに連れ戻して、病院につれていくつもりでしたが、そのさなかに自殺しました。」

変に事務的な答えだった。

「そうですか。」

と、ジョチさんは言った。

「春さんはそのような女性であったとしても、施設に入れるしかなかったのかもしれなくても、やりたいことを持っていてもいいと思うんですけどね。」

「いえ、それはありません。それよりも、あの子が生きていくには、誰かの介助が基本的に必要だと言うことを理解していなかったんです。だって部屋の片付けとか、脱ぎ着した服をきちんとしまうとか、部屋を掃除するとか、そういうことは、一切できなかった子でした。なにかしようとすれば、すぐ疲れてしまって息切れして。結局渡しがすべて代行していました。そんな子がどうして長生きできましょうか。私がいなければ何もできない。他人の面倒を見るなんて、できやしないんです。私がいなければ、どこへも行けない子です。」

ジョチさんの言葉に、お母さんはそう反論している。

「では、春さんは、何もできない人間とお考えですか?自殺して良い人間だと思われますか?」

ジョチさんがまた聞くと、

「はい。私が産んだ子ですから、私が責任を持たなければならないと思っていました。私が、一人では何もできない子にしてしまったわけですから。でも、こういう形で終わってくれて、ある意味、肩の荷がおりた気もします。」

お母さんはそう答える。

「そうですか。それではご遺体はどうされましたか?火葬されたんでしょうか?」

「ええ、親として、最期はしっかりさせなければと思いましたので、家族葬という形で、お寺で供養してもらいました。遺骨は、私達が管理することはできないので、せめて家の桜の木のこやしにしようと、砕いていただいて、桜の木の下にばらまきました。」

「わかりました。いわゆる、今流行りの樹木葬ですか。」

「はい、それが一番だと。死んだときだけは、誰かの役に立たせようと思ったのです。」

お母さんははっきりといった。

「そうですか。実はですね。僕は本日、春さんと関わりのあった人物として、お悔やみの品物でも差し上げようと思い、お電話させて頂いたのですが?」

ジョチさんがそう言うと、

「そんなものいりません。こちらはやっと、普通の人間のするような日々が取り戻せたのですから、お悔やみなどされても困ります。」

と、お母さんは言った。

「そうですか、それではつまり、暴れたり怒鳴ったりしたことも少なくなかったんですね。」

「はい、もう手がつけられないほど半狂乱になりましたし、自分でもどうしたらいいのかわからないと言って泣き叫ぶこともありました。当人すらわからないのですから、こちらはどうしたらいいのかわからず、収まってくれるのを待つしかなくて。もうそれから解放されたことでも嬉しいです。だからもう、いいんです。」

「お医者さんとか、カウンセラーさんとか、そういう方には見せなかったんですか?」

ジョチさんがそうきくと、

「はい、見せませんでした。見せたら私の仕事に支障が出ますから。」

お母さんははっきりといった。

「そうなってしまったら、誰かに介入してもらうことも必要だと思います。それをしなかったお母様にも問題があると思いますよ。」

ジョチさんも、毅然としていった。するとお母さんは、

「私は、問題など何もありません。仕事もしてるし、税金だって払ってますし、娘のことだって、施設を決めるなど、しっかり考えています。娘のほうが私のすることを受け入れなかっただけです。」

というのだった。

「とにかくお悔やみの品などは、一切不要です。それに娘のことは仏壇にも奉納していませんので、お線香を上げるとか、そういうことも必要ありません!」

「はいわかりました。そう思っていらっしゃるのならそうしましょう。本当に失礼しました。」

ジョチさんは、お母さんの考えは変えられないと思い、一つため息をついて電話を切った。

「やれやれ、困りますね。きっと適切な治療や対処をしなかったせいで、家族が歪んでしまったのではないかと思います。」

「まあいずれにしても、ウンディーネはウンディーネだな。もともと魂がないが、人間と結婚すると魂を得る。そして、夫に裏切られたウンディーネは魂を失うと。」

ジョチさんの話しに杉ちゃんが言った。

「そうですね。ウンディーネと言えるかもしれませんね。そういう異種族になってしまっている様にしないと、共生していくことはできないですからね。今の社会は、普通の人間と、異種族と分けなければ、生きていかれないと言うのもまた問題です。多分彼女は、癲癇を持っているとか、そういう簡単なことだったと思うんです。ですが、長年に渡る無理解のせいで、いつの間にかウンディーネにされてしまったのでしょう。」

「きっと、本来の彼女は、ウンディーネにならなくても良かったのではないかと思うよ。それに、本来なら、お悔やみをされてもいいはずだ。僕も、ちょっと、樹木葬しかされなかったのは、腹が立つな。」

杉ちゃんは、やれやれという感じの顔で言った。

「きっと、彼女のご家族は、彼女の事をウンディーネと思わないと生きていかれないと思っていたんだろうが、なんとか、彼女に、魂をもう一回持たせて上げるわけにはいかないかな?」










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