第六章 第一歩

その日もさむい日だった。朝から寒くて、なんだか春というのは本当に気まぐれで嫌だなあと思われる季節でもある。

「こんにちは。」

杉山春が、製鉄所にやってきた。  

「あの、杉山ですけど、彼女、石ノ森小夜子さんはいますか?」

「はい、中庭で松の世話をしてます。」

と、杉ちゃんに言われて、春は中庭に行った。たしかに中庭で、石ノ森さんは石灯籠にかぶさった松の枝を切っていた。そういう大掛かりなことをしてくれるのだから、もともと勤勉なタイプなのだろう。

「こんにちは。」

「ああ、今日来てくださる日でしたね。」

石ノ森さんは、脚立の上から降りた。

「実はねえ、石ノ森さん、今日はあなたに向いているんじゃないかと思われる学校のパンフレットを持ってきたの。」

春は、カバンの中から、リーフレットを取り出した。

「はあ、望月学園高校。あの、スマートフォン一つで授業が受けられると宣伝している高校ですね。」

そこへやってきたジョチさんが、リーフレットを見ていった。

「でも、学校の授業は、どうしても質問したくなることだって出るでしょうし、何でもオンラインで完結するということはないと思いますが。」

「そうかしら。でも、オンラインだからこそ、できることもあるわ。」

ジョチさんの発言に、春はすぐに言った。

「例えば、オンラインであれば、過去の経歴にこだわらずに、学ぶことができるじゃないですか。何より、誰にも合わなくて済むから、余計な気遣いも不要よ。周りの生徒さんに合わせないで、自分のペースでやれる利点もあるし。だから、決して悪いものではないと思うわ。」

「でも、一度断られちゃいましたし。やっぱり吉原で働いていたとなれば、みんな断るんじゃないかな。」

石ノ森さんは、自信がなさそうに言った。

「まあ、そうかもしれないけど、教育を受ける権利は保障されているぞ。」

と杉ちゃんが言った。

「前に行った高校は、それを受け入れる度胸がなかったんだよ。」

「逸れならなおさらオンラインでやってくれるところがいいわ。」

春も、そう言って、彼女を励ました。

「でもですね、いきなり志願するにはちょっと情報が足りなすぎます。見学したほうが良いと思います。」

ジョチさんが心配そうにそういうと、

「じゃあ、行ってみましょうか。予約すれば、見学させてくれると思うから。」

春はすぐに答えを出したのであった。そしてすぐスマートフォンを出して、電話をかけ始めた。

「ああ、すみません。望月学園高校さんですね。あの、私、そちらへの入学を検討しているものですが、いかがでしょう、そちらの様子を見学させてもらうわけにはいかないでしょうか。あ、よろしいですか?では、今日の11時頃そちらに伺います。はい、よろしくどうぞ。」

そう言って、春は電話を切った。

「すぐ受け付けてくれましたわ。急いで行きましょう。」

「本当にお前さんはやることなすことが速いな。」

杉ちゃんが驚いた顔で言った。

「まあ、早ければ良いと言うわけでは無いですけど、すぐに行動に移せるという方は珍しいです。」

と、ジョチさんも言った。彼女は、それを無視して、タクシー会社に、電話をかけはじめる。電話を切って、数分後、タクシーがやってきて、春と、石ノ森さんを乗せて、望月学園高校のあるところに向かった。

「はい、ここですよ。望月学園というところは。確か、光幼稚園を改造したところですよね?それならここに間違いありません。」

運転手が止めたところは、本当に小さな建物で、高校として成り立つのだろうかと思われるところだった。幼稚園ということだが、建物は、とても小さく、園庭と思われる庭も、猫の額と言えるほど小さい。

「まあ、とりあえず、ここがひかり幼稚園があったところですからね。一応降りてください。」

運転手にそう言われて、二人は、そこでタクシーを降りた。とりあえず、小さな門をくぐり、猫の額くらいの前庭を歩いて、小さな建物の入り口のドアをギイっと開ける。中は、普通の学校にある、職員室と似たような感じなのだろうか、机と椅子が、いくつか、並べられていた。黒板もちゃんとあるし、たしかに、勉強するところという雰囲気はある。

「こんにちは。私たち、こちらを見学させていただきたくて、参りました。先程、電話したものです。」

と、春が言うと、一人の中年のおばさんが、

「はい。わかりました。予約を承っておりますので、どうぞお入りください。」

二人を、中へ招き入れた。二人は、おばさんに言われたとおり、スリッパを借りて、中に入った。

「はい、こちらが、教室でございます。」

中年のおばさんは、二人を机が置いてあるスペースに案内した。

「これが、教室なんでしょうか?」

思わず春が言った。

「ええ、うちでは、ほとんど、オンライン授業で間に合うので、学校に来るといえば、わからないところがあって、質問に来るとか、それとも、家で勉強をする環境が無いので、自習をしたくて、こちらへ来たいとか、そういう人が、こちらに来る程度ですので。」

と、おばさんが言った。

「そうなんですか。それでは、こちらに入学してくる人は、どんな人がいるんですか?」

「はい。もちろん、心が病んでいる人もいますし、体を病んでいて、学校に来られなあったり、あるいは、家庭の事情で勉強する暇がないという生徒さんもいます。」

春が聞くとおばさんは答える。

「そうですか。誰か一人、そういう生徒さんに合わせていただけませんか?」

春がまた聞くと、

「ええ。残念ながら、まだ、今日は登校してくる生徒さんがおりませんので。」

おばさんは、ちょっと閉口した様子で言った。

「そうですか。誰か一人、そういう生徒さんに合わせて頂いたら、余計に、入学してみたいと思うんですが。だって、一応学校であるわけでしょ?だったら、学校らしく友達を作るとか、そういうこともしたいと思うんですけど。せめて授業を見させてもらうとか。」

春がそう言うと、おばさんは、

「はい、授業でしたら、こちらで行われています。」

と、机に座っている、何人かの男女を指さして示した。彼らは、確かに小さなパソコンを相手に、一生懸命なにかキーボードを打っている。

「これが、授業ですか?」

思わず春は聞いた。

「ええ、全てオンラインで完結できる学校ですから。」

おばさんが、そう言うと、

「ただ、パソコンに向かい、キーを打つだけでは、先生だって、やりがいは無いと思うんですけどね。」

と、春がいうと、おばさんは、

「いいえ、そういうようにして、初めて勉強ができる生徒もいるんです!」

ときっぱり答えた。多分、きっと彼女が校長先生なんだと思うのだが、でも、なにか足りないような気がする。

「そうでしょうか?でも、学校は一生懸命お互いに切磋琢磨して、それで、お互いを高め合う場所だと思いますけどね。」

「そんな考えはもう古いと思います。」

と、校長先生は言った。

「今は、実際にあうことが全てではありません。顔はどんな顔をしているのか知らなくても、メル友として、長続きする例もあるでしょう。それを学校教育に持ち込んでもいいのではないでしょうか。学校は、これまでいろんな若い人の精神疾患の原因になったことも確かなんです。それからの弊害をできるだけ減らすためにも、学校が必要最小限でもいいのではないかと思うのです。」

「確かに。そうかも知れませんが、でも、人間は対人関係の中で暮らしている生き物です。それを断ち切って、文字だけのやり取りで勉強をさせるなんて、若い人の感性が育たないのではないかと思います。」

春が、そう反論すると、

「そうでしょうか。私は、そうは思いません。私は、いろんな人にあって、多かれ少なかれ事情がある人にあって、それを受け入れて成長するというのは、もう過去のものだと思っているのです。だって、今の時代は、多少違いがあっても、受け入れるどころか、徹底的に潰してしまう時代ですよね。それのせいで、自殺を図ってしまう子供も大勢いる。そういうところに、わざわざ、通わせて、自殺を図らせるのであれば、そういうところに行かせないで、オンラインで完結するシステムのほうがよほど成功していると思います。もちろん、学校というところというか、教育を受けるということは必要だと思います。ですが、それのせいで命を奪われてしまうということは、避けなければならないと思います。」

と、校長先生は、長らく言った。

「そうなんでしょうか。私、出身は沖縄なんですが、沖縄では、割とのんびりしているせいでしょうか、ある程度、障害のある子が、学校に通った例もありましたけど、皆さん受け入れて、一緒に勉強していましたよ。」

春が言うと、

「ええ。それは、沖縄だからできるんですよ。ですが、ここは違います。そういうことができる地域のことを、できない地域に持ち込んで、理想論にしてしまうからおかしくなるんです。できないことは、できない事とはっきりさせて置いたほうがいいのです。」

校長先生は、すぐに反論した。

「そうですか。生徒さんが、誰もここに来ないというのが、ちょっと寂しいですね。私は、そう思います。人間って、何気ない会話で、救われることもあるんです。問題が解決しなくても、人に話せば楽になれたという例は、いくらでもあります。それもオンラインで解決ということになったら、本当に、寂しいと思います。それに、成長期の子供さんや、勉強したい生徒さんにとって、対人関係を学ぶ場というのは、非常に、重要だと思います。学校は、みんなと違う生徒がいたら、それをどうやって受け入れるか学習できる絶好の場所です。それを、生徒さんから奪ってしまうのはどうかと思うのですけど。」

「いいえ、そのようなことは絶対にありません。私達は、学校のせいで、死ななければならなかった生徒さんを救うためには、人間に触れさせないことだと学びました。そして、それを、直に触れさせないで、間接的にオンラインで学ばせることが、一番いい方法だと確信したのです。」

いくら言っても糠に釘であった。二人の主張は、お互いの話を聞いても、解決しないと思う。

「あの、春さん、私、もういいです。オンラインとか、そういうことは、私はもういいですから。学校に行くことであれ、オンラインで学ぶことであれ、大事なことは、私が勉強したいという気持ちになることでしょう。私、オンラインでも構いません。ただ、勉強をするには学校に行かなきゃ行けないだけですから。学校の形態がどうのとか、学校が有害だとか、それよりも、勉強したいという気持ちが大事なんだと思います。」

石ノ森さんが、春に言った。でも、彼女をどうしても学校に行かせてやりたいと思っていた春は、石ノ森さんの方を向いて、

「いえ、勉強はオンラインでは完結しません。それにオンラインでは、一番大事な相手を許すということが学べない。それは、一番のオンラインの弱点だと思うんです。」

と、急いで言った。

「そうかも知れないですけど。現に、私のような、汚らしい仕事をしている人間が学校に行っても、きっと周りの生徒さんは、嫌な思いをするだけだと思います。それよりも、こういうオンラインで、会わないで勉強するほうがよほどいいと思う。私は、先生の意見に賛同します。」

石ノ森さんは、春の意見に言った。

「でも、これから、生きていくに当たって、一番大事な事を学べるのは、学校に行く以外なかなか無いんですよ。」

「いえ、それはきっと他のところでもできると思います。それに、一度見学に着ていますし、ここで先生が一生懸命パソコンを打っていらっしゃるのもわかるから、私、頑張れると思います。」

「失礼ですが、そちらの方は、何をされていた方なんですか?」

校長先生がそう言い合っている、春と、石ノ森さんに言った。

「ええ。私は、とても恥ずかしい話ですけど、吉原で働いておりました。もうこの地名を聞けば、何をしているとかすぐおわかりになることでしょう。私が、何をしていたのか。」

石ノ森さんがそう答えると、校長先生は、そうですか、とにこやかに言った。

「わかりました。それでは、学校に行くということはしないほうがいいかもしれません。他の高校では、そうやって、事情を抱えた生徒さんが、そのせいでいじめにあってしまい、自殺を図ったケースもあります。それなら、オンラインで完結するほうがとても嬉しいことでしょう。もしなにかありましたら、メールで相談することもできますから。ぜひ、ここで一生懸命勉強してください。」

「ありがとうございます。」

石ノ森さんは、嬉しそうに言った。

「そうですか、、、。」

春は、まだちょっと悔しそうだが、でも、そう頷いている。

「大丈夫です。あたし、こういうところでもちゃんとやれると思います。」

「では、こちらに一通りの資料が入れてありますから、お持ち帰りください。」

校長先生に言われて、石ノ森さんは、資料の入った茶封筒を、受け取った。

「ありがとうございます。」

石ノ森さんは、にこやかに笑った。

二人は、またタクシーに乗って、製鉄所へ戻った。途中、一台の車が、二人を追いかけてきているのに、タクシーの運転手は気が付かないようだった。何故か、一台の黒い車が、二人の乗ったタクシーのあとについてきた。でも、途中で離れてしまった。製鉄所に戻ってくると、ジョチさんが、心配そうな顔をして二人の帰りを待っていた。

「おかえりなさい。どうでしたか?望月学園は。どんな感じだったのか、お話聞かせていただきたいですね。」

と、ジョチさんは、二人を縁側に連れて行った。

「おーい。お茶が入ったぜ。」

それと同時に杉ちゃんが、お茶を車椅子のトレーに置いて、やってきた。

「はい、今日のお茶は、富士のやぶきた茶だよ。」

杉ちゃんの車椅子に置かれたトレーから、皆お茶をそれぞれ取った。

「望月学園は、いかがでした?」

布団に座っていた、水穂さんがそういった。

「そうですね。なんでも、パソコンの中で完結してしまう、架空の城みたいなところでしたよ。」

と、春が答えると、

「でも、校長先生も、優しそうだったし、すごく好感が持てました。あたしは、そこで学ばせてもらえたら嬉しいなと思いました。」

石ノ森さんも、それに答えた。

「そうですか。なんだか、今の時代、人の渦から離れて静かに過ごすことが、障害者のする社会貢献みたいな、感じになっているんでしょうね。それは善なのか悪なのか、今はわかりませんが、でも、一つの答えではあるのではないかなと思います。」

「理事長さんらしいですね。僕は、どちらでも、楽な方を選べばいいのではないかと思いますけどね。」

水穂さんは、お茶を飲みながら、ふっとため息をつくのだった。

一方、静岡からえらく離れた、都内の広々としたマンションの中で、一人の中年の女性が、なにか書類を書いていた。なんだかすごく偉そうな、そういう感じの人で、普通の人とは、また違うような、そんな雰囲気のある女性だった。きっとみんなに先生と呼ばれる有力な女性なのだろうなと思われる雰囲気があった。

「局長、調査の結果ですが。」

そう言いながら、一人の男性が入ってきた。

「ええありがとう、それで、娘はどこにいるのか、調べていただけましたでしょうか?」

と、その女性は言った。

「はい、お嬢様は、静岡のフジと言うところにおります。そこで、他の人の話を聞いたり、学校へ連れて行ったり、そんな事をしているようです。」

男性がそう言うと、

「じゃあ、春を、こちらへ連れ戻すということは可能ですか?」

と女性は聞いた。

「いやあ。どうですかねえ。そこまでは、依頼内容に入っていませんでしたからね。それより、言われた通り、謝礼はお支払いしてくれるんですか?」

男性にそう言われて女性は、ええ、ありますよと言って、一枚の小切手を差し出した。

「これで、どこでも好きなところに出られるでしょう?」

「ありがとうございます。」

男性は、小切手を受け取った。

「追加で調査とか、そういうことはありますかね?」

「いいえ、大丈夫です。娘の居場所がわかったら、私が娘を取り戻しに行きます。娘が静岡の富士という、あまり遠くないところにいるのなら、もしかしたら戻りたいのかもしれないし。」

女性は、すぐに答えた。

「しかし、局長は、すぐに外へ出てどうのという余裕はないですよね?だって、こんなに仕事を抱えていて、忙しすぎるほど忙しいのに。」

男性がそういうことは、この女性、どこかのお役所の偉い人であることは疑いなかった。

「いえ、構いませんわ。幸い。仕事では、無遅刻無欠席で通っておりますし、有給などもほとんど使っていませんから、なんとか娘を取り戻す日程は組めたと思います。あの子ときたら、今回はどうしても自立するんだと言って、私の前から何回も姿をたぶらかしているけど、今回もきっと一人で戻ってくると思うわ。それは、割と近くに住んでいることでよくわかりますよ。私からやっぱり、離れたくなかったのよ、あの子は。」

と、女性は言うのだった。まるで答えがもう見えてしまっているような、そんな感じの言い方だった。

「でも、母がしんどいと、私にも漏らしていたことがあります。」

男性は小さい声でそう言うと、

「私がしんどいですって!そんな事絶対にありません。あの子は私買いなければ、何もできないのよ。好きだったことも、みんな私が金銭的に援助して、初めて出来上がるんだから。」

と、女性ははっきりと言った。男性は、局長のそういうはっきりしすぎているというか、そういうところが、娘さんを追い詰めてしまったのではないかと言おうとしたが、女性のその顔を見てやめた。女性は、それくらい怒りに満ちている顔をしていたのである。

「かならず、娘をここへ連れて戻します。あの子は、私なしでは、何もできない子ですから。」

「はあ、、、。すみません、、、。」

男性は、すごすご引っ込んでいった。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る