第五章 年増女郎
寒い日だった。なんだか春の気候というものは本当に気まぐれなもので、体の調子をおかしくさせたり、ちょっと精神状態がおかしくなってしまう人もたまに出てしまうものである。春は確かにうつ病にかかりやすいというが、それはある意味では、日本の国家的な問題と言えるのではないかと思うような気がする。
その日も、新しく製鉄所を利用したいということで、一人の女性が両親に伴われてきた。
「はあ、えーと、名前は、石ノ森小夜子さんですね。出身は、この富士市ということですが、数年前まで、東京に住んでいらしたんですね。」
ジョチさんは、とりあえず、彼女が書いた入会申込書を見て、そういった。
「都内のどこに住んでいらしたんですか?」
「ええ、それはとても恥ずかしいことで言えないんですけど。」
と、石ノ森小夜子さんはそういった。隣にいた、両親も、とても恥ずかしそうな顔をしている。
「偉い方には、ちょっと口に出して言えないようなところです。」
「はあ、わかりました。今でこそ、人気があるわけではないけど、そういう店で働いていたのは、その派手なルックスを見ればわかりますよ。生きていくためには仕方ないということはわかります。それは、仕方ないことですので、そういう人を差別してはいけませんよね。ですから、受け入れることにしましょう。」
ジョチさんは、すぐわかってしまった顔で、そういったのであった。
「そうですかって、わかってしまわれたんですか?」
と、石ノ森さんは、恥ずかしそうに言った。
「ええ、恥ずかしがってはいけませんよ。そういうことがあった人もいるんですから。それより、今どうするかを考えましょう。あなたはなぜ、こちらに来たいと思われたんですか?」
ジョチさんがそうきくと、
「はい。もうすぐ、40歳になるので、仕事場から首になって、それでこちらに帰ってきたんですが、何しろ、体を売る以外に仕事をしたことがないので、新しい仕事をしようと思っても、何をしたらいいのかわからなくなってしまったんです。それで、毎日落ち込んだ状態が続いていて。それで、父が、ここで誰かと話をすれば、少し買われるんじゃないかって、勧めてくれたんです。」
石ノ森小夜子さんは、そう答えた。
「はあそうですか。それで、どちらか医療機関には、行かれましたか?」
と、ジョチさんが聞くと、
「ええ、うつ病と診断されました。医者は、時間が経てば治るといいますが、一向にその気配がありませんので、うちに入れていては、ちょっと刺激がなくなってしまうのではないかと、言うことで、私が調べてきました。」
と、彼女の父親が答えた。もう高齢になっているのに、彼女の面倒を見ようというのだから、よほどしっかりした両親なのだろう。
「わかりました。じゃあ、それでは、希望される利用時間とかありますか?」
「ええ。ちょうど、私達は、午前中に仕事をしていることが多いので、その間に、こちらで預かっていただければ。」
ジョチさんが聞くと母親が答えた。
「わかりました。じゃあ、その時間帯に着ていただければ大丈夫ですよ。なにか習い事でもされると、また変わってくると思うんですがね。それは、されないですか?」
ジョチさんがそうきくと、
「はい。それも考えましたが、習い事の先生に申し入れても、私が、そういうところで働いていたといえばすぐ断られます。」
と、彼女は即答した。
「わかりました。必要であったとはいえ、やっぱり、そのような場所で働いているのであれば、そうやって、偏見の目で見られてしまうことも多いですよね。それにしても、40を目前にするまで、働いていたということは、よほどのやりてだったんでしょうね。ああ、これは冗談です。」
ジョチさんが言うと、石ノ森小夜子さんは、とても恥ずかしそうな顔をした。
「いえ、恥ずかしがらなくて大丈夫です。それでは、こちらでお預かりできますので、どうぞ勉強するのもよし、誰かと話すのもよし、こちらで有意義に時間を作ってください。」
「でも、大丈夫でしょうか?」
母親が心配そうに言った。
「もうこの子は、40近いですし、よその利用者さんとも年齢も違いますし。話もあわないのでは?」
「いや、大丈夫ですよ。それは、ちゃんと利用者たちも考慮しているのでしょうから。それに、問題を抱えているのに、年齢というのはあまり関係ないんですよ。」
ジョチさんはにこやかに笑った。父親が、この人達に任せようと、母親に言った。それでは、お願いしますと言って、両親は、石ノ森小夜子を残して、製鉄所を出ていった。
「それでは、こちらを利用することで、なにかしたいことはありますか?」
と、ジョチさんが小夜子さんに聞くと、
「それが、何をしたらいいのかわからないのです。確かに、父母はお店があるから、ここに置いておきたいと思うんでしょうけど、何をしたらいいのか。全くわかりません。」
と、彼女は小さな声で答えるのだった。
「じゃあ、とりあえず、ここにいる女性たちに、自己紹介するとか、なにか話をしてみたらいかがですか?」
ジョチさんは彼女に言った。
「でも、私みたいな、汚い仕事をしている人間の話なんか聞いてくれるでしょうか?」
小夜子さんは心配そうだ。
「いや、それはわかりません。汚い仕事かどうかは、あなたが決めることではありませんよね。相手の受け取り方次第でしょう。全部の方が、あなたのことを好意的に受けてくれるかはわかりませんが、何も話さない限りあなたが、何もできないことも確かです。つまり、やってみなければわからないということですね。」
と、ジョチさんがしたり顔でそう言うと、
「そうですか、、、。こんな汚い仕事をしてきた人間の話、聞いてくれるでしょうか?」
小夜子さんは、まだ自信がなさそうだった。
「やってみたらいかがですか?あなたが動いてみなければ何も変わりません。まずはじめに、あなたが話しかけて見てください。だめだったら、別の人を探せばそれでいいんです。」
ジョチさんは、とりあえずそういった。
「や、やってみます。」
と、彼女は、椅子から立ち上がって、とりあえず応接室を出て、広い廊下へ出て見たのであるが、なんだか初めてきたところで緊張しているのか、それとも、彼女の過去が重すぎて話せないのか、本当に、何をしたらいいのかわからないという顔をしていた。ジョチさんは、あえて彼女にどうしろとも言わなかった。確かに、彼女が、働いていた場所は、一般的な女性があまり口に出して言いたくない場所でもある。
彼女が、廊下をどうしたらいいのかわからないという顔つきで、ウロウロしていると、
「こんにちは。杉山です。今日も水穂さんのお話を聞きに来ました。」
と言って、杉山春が、玄関のドアを開けて、入ってきた。ちょうど、春が入ってきたのと、廊下を彼女がうろついていたのとほぼ同時で、春は、彼女と鉢合わせしてしまった。
「あら、あなたは、新しい利用者さんですか?」
春が、彼女に聞くと、
「ええ、今日から、こちらを利用させていただくことになりました。石ノ森小夜子です。」
と、彼女は答えた。
「わかりました。石ノ森さんね。私は、杉山春と申します。こちらで間借りしている、磯野水穂さんの相談に乗って差し上げています。水穂さんはどこにいますか?」
春は、彼女に言った。
「ええ、ああ、あの、その、、、。」
小夜子さんが、何がなんだかわからないという顔をしてそう言うと、
「わかりますよ。それでは、水穂さんのところに一緒に行きましょう。」
春が、そう言ったので、小夜子さんは、春に従って、水穂さんのいる四畳半へ行った。四畳半からは、中庭が見えるようになっている。中庭には池があり、何匹か鯉が泳いでいた。その隣には、石灯籠があり、近くにイタリアカサマツの木があった。なんだか、こんな日本庭園に、西洋の木であるイタリアカサマツが植えてあるのは、ちょっと、ミスマッチなところもあった。
「水穂さん、おげんきですか。今日もこさせていただきました。」
と、春が四畳半のふすまを開けると、ちょうど、水穂さんは杉ちゃんと一緒にお茶を飲んでいた。
「今日は咳き込まないのね。じゃあ、またお話を聞かせてもらおうかな。最近、寒い日と暑い日で寒暖差が激しいけど、体の調子はどう?」
と、春が聞くと、水穂さんは、
「ええ、変わりありません。」
と、答えた。すぐに隣にいた、小夜子さんにも気がついてくれたようで、
「ああ、あなたは、そういえば、今日新しいかたが見えるって、聞きましたが、あなたが、新しい利用者さんですか?」
と水穂さんは、すぐに彼女に聞いた。
「はい。私の名前は、石ノ森小夜子です。」
と、小夜子さんは緊張しながら、答える。
「石ノ森さん。東北によくある名字ですね。もしかしたら、東北の方ですか?」
水穂さんがそうきくと彼女は、
「ええ、私の両親は、こちら静岡の生まれなんですが、祖父が東北だったと聞いています。」
と答えた。
「一体どうしたの?水穂さんのこと、真剣なかおで眺めちゃって。」
杉ちゃんにそう言われて、小夜子さんは、小さな声で、
「いえ、いえその、とても美しい方なんだなと思って。」
と言った。
「そんなものどうでもいいよ。それで、新人会員が、今日は何しにきた?」
杉ちゃんがそう言うと、
「いえ、いえ、本当に、だって、外国の俳優さんみたいにきれいだから。」
小夜子さんは急いで答えた。
「そうだけど、あんまりきれいでも喜ばれないやつだっているんだよな。そういう事言われて、嬉しがるやつばっかりじゃないの。容姿の事褒められれば、男が喜ぶとは限らない。」
「ご、ごめんなさい。私、前の職場でそういうふうにするようにされてたから、その癖が出てしまったんです。」
杉ちゃんにそう言われて、小夜子さんは、急いでいった。
「はあ、男の容姿を褒めるような職場にいたのか。それってどんな職場かな?」
杉ちゃんに言われて、彼女は余計に顔を赤くした。
「ああ、申し訳ありません。こんな汚い職業人前で言うべきじゃありませんでした。ごめんなさい。」
「あやまんなくていいよ。そういう職業が、あるってこともわかってるから。お前さんは、女郎さんだったんでしょ?で、どこの遊郭で働いてたの?飛田か?それとも、吉原か?」
水穂さんが、杉ちゃん、そういう事をくちにださせていうのは、可哀想ですよ、というのであるが、杉ちゃんは、黙っていないのである。
「ごめんなさい。そんな人間が、ここへ来ちゃだめですよね。」
「そうじゃなくて、どこの遊郭で働いていたのか教えてほしいんだけど。」
杉ちゃんに言われて、彼女は、
「はい、東京の吉原のソープランドで働いていました。」
と、答えた。
「そうか。それでそういうふうにいろっぽい化粧をしているわけね。安心してね。誰もそれを責めるやつは、ここにはいないからね。」
杉ちゃんはカラカラと笑った。
「それで、吉原の女郎が、なんでここに来たんだ?」
「ええ、ソープランドから、首になって、それで何もすることがなくなってしまって、それで鬱になってしまって、ここにこさせてもらったんです。」
と、彼女は杉ちゃんに質問に答える。
「そうか。つまり、年増女郎か。まあ、そのくらいの年齢になればいくら若作りしても、無理があるもんな。」
杉ちゃんは、腕組みをして話を続けた。
「それで、どうしてうつ病になって仕舞ったの?」
と、春が聞いた。
「ええ。首になって、とりあえず、他の場所で働こうと思ったんですけど、どこも働かせて貰えなくて。私、一生懸命、もうソープランドには関わらないって言っても、通じなくて。それに、私、高校に行かなかったから、学歴も無いし。だから、どこにも働かせて貰えそうな場所が無いんです。」
「どんなところで働かせてもらおうと思ったの?」
春がまた聞くと、
「カフェのウエイトレスとか、事務とか、色々当たってみたんですけど、中卒だし、車の運転もできないんじゃ、雇えないってそればっかりで。」
と、小夜子さんは答える。
「まあ、たしかに、そうかも知れないな。新しい職場が見つかるのは、女郎さんというのはそれこそ大変だよ。」
杉ちゃんが、そう言うと、水穂さんもそうですねと頷いた。
「それが連続して続けば、たしかに落ち込みますし、うつにもなってしまわれると思います。」
「良かったなあ。水穂さんが、そうやって相談に乗ってくれるんだからな。」
杉ちゃんもそう反応したが、春が違うことを言った。
「どうして、高校に行かなかったの?」
「ええ。受験のストレスだったんでしょうか。足が遅かったこともあり、いじめられたんです。同級生に。それで私が、学校にいかなくなるしか、解決方法がなくて。」
よくあることであるが、結構深刻な問題だった。確かに、いじめというものはいろんなところであるが、それを作った人物がそこを退けばいいのかということではない。
「そうだったの。それで、売春のしごとをはじめたのは、いつからなんですか?」
と、春が聞くと、
「そうですね。18歳からです。18歳で家出して、初めはピンサロのようなところだったんですけど、その後で、ソープランドに引き抜かれて。それで、この歳になるまでずっと働いてきました。」
と、彼女、石ノ森小夜子さんは答えた。
「それは大変だったんですね。ああいうところは、女しかいない職場だから、女の執念のようなものが、平気で出ると聞きます。あなたは、それに耐えていられたんだから、もっとすごいことをしているんだと思うわよ。普通の人がしてきたよりも。」
春がそう言うと、
「そんな事ありません。体を売るなんて、そんな事、汚いことだと思いますし。」
と、小夜子さんはいうが、杉ちゃんも水穂さんも、そうかなと言う顔で彼女を見た。
「少なくとも、僕達は、お前さんたちを、なにかしろとか、そういうことは、しないよ。」
「そうですよ。昔も今も、やむを得ず、女郎に身を落としてしまったという人は大勢いますし。吉原炎上の主人公だってそうだったわけですよね。」
杉ちゃんも水穂さんも、そういうのだった。
「じゃあ、私は、何も悪くなかったと皆さんは仰ってくれるのでしょうか?」
彼女が驚いた顔でそう言うと、
「ええ。僕たちは、少なくともそう思いますね。あなたのことを、汚い女性だとか毛頭思いません。」
水穂さんがそう答えたので、小夜子さんは顔に涙を流した。
「泣かなくていいんだよ。それより、お前さんは、これから、女郎さんではなくて、別のしごとをしたいという気持ちがあるんだろ?それでは、それを実現するためには、どうするか。を考えよう。」
と、杉ちゃんが彼女を励ました。
「でも、私、学歴もないし、大した知識があるわけでもありません。私は、もう就職はできないと、私は思います。だって、本当にいろんな会社へ面接に伺いましたが、それも全部ダメだったし。」
「何もできなかったというのなら、なにか新しい物を得るための時間だと解釈されたらいかがでしょうか?」
小夜子さんがそう言うと、春が、にこやかに言ってそういう事を言った。
「どこの会社でも働けなかったというのなら、働くための材料を作れと言っているのだと思われたらいかがでしょうか。そのために、時間が、たくさんあったのではないかしら?それなら、有効に使いましょうよ。必ずなにか得ることができるわ。そういう時間って、人間には持っていられることもあるんですよ。」
春は、彼女に言った。
「だったら、高卒の時間を作りましょうよ。高校に行けないのであれば、今からいき直せばいいじゃない。そのために、時間があるんだと考えればいいのよ。ご両親もまだ健在なんでしょう。それなら、余計に、そうすればいいのよ。そうしてくれたほうが、ご両親も喜ぶわ。」
「そうだ。それがいい。この製鉄所にも、おばあさんになって高校へ行ってたやつがいた。勉強するのに、年齢なんて関係ないんだよ。何歳でも人生に出発があってもいいのさ。」
春の話に杉ちゃんもすぐに言った。
「でも、こんな年で、改めて高校なんて。」
小夜子さんはそう言うが、
「大丈夫だよ。通信制の高校であれば、90歳で入学した例もあるんだから。それに、何もしないで、うじうじしてたら、完璧に負けだぜ。それほど、人生を無駄にしちまうことは、大損だな。」
と、杉ちゃんがカラカラと笑った。
「それなら、私が一緒に行ってみましょうか?通信制の学校であれば、私もいくつか知っているわ。そういうところであれば、授業とか、見学させてもらえるはずよ。この富士市にも、そういう学校はいくつかあるし。あわないなと思ったら、他の学校へ行けばいい。それだけのことだと思って、気軽な気持ちで行ってみましょうよ。」
春が、そう言って、スマートフォンの画面を見せた。確かに、通信制高校の宣伝のページが乗っている。そこには確かに、年齢は関係なく学べると書いてある。家庭の事情で家事をしなければならないので、こちらの高校に来たとか、精神疾患にかかってしまって、高校へ行けなかったのでこちらにこさせてもらったとか、そういう生徒の紹介文もちゃんと載っている。
「でも私、そういうきれいな理由があったわけでもなく、体を売ってたような人間を、受け入れてくれる高校は果たしてあるでしょうか?」
と、小夜子さんは気後れしてしまうようであるが、
「ええ、大丈夫よ。もっとひどい過去、違法薬物をやっていたとか、そういう子でも受け入れてもらうことができた、学校もあります。だから、大丈夫です。きっと、受け入れてくれる学校はあると思います。」
春は、彼女を励ました。
「早速行ってみましょうよ。あなたの事を、受け入れてくれる学校があるかどうか。一人で行ってもだめなら、二人で行けば変わるかもしれないわ。一緒に行ってみましょう。」
「そうそう。善は急げだ。すぐに行ってきたほうが良い。お前さんも運がいいな。こういう、力になってくれるやつがいてくれてさ。」
杉ちゃんにも言われて彼女は、
「わかりました。行ってみます。」
と、涙ながらに言った。
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