第二章 コザからきた謎の女
由紀子のスマートフォンがなった。
電話の相手は個性的な声だったから、多分杉ちゃんで間違いない。
「ああ由紀子さんかい?明日は用事がなければ手伝いにきてくれ。なんか、明日は日曜で、利用者さんの人数も少ないんだって。よろしく頼むぜ。」
と、杉ちゃんは言っている。
「ああ、わかりました。水穂さんのことなら、手伝いにいきます。」
由紀子はそう言って電話を切った。
「利用者さん、少ないんですか?」
と、蘭は、思わず聞く。
「はい、最近は、製鉄所を利用してくれる人も少なくて、なかなか水穂さんの世話をしてくれる人もいないんですよ。」
由紀子は、苦笑いして答えた。
「そうですか。でも、あいつはそんなに悪い状態ではないと思ったんですが。あいつ、そんなに悪いんですか?」
蘭は、由紀子にきいた。
「ええ、柳沢先生もそう言っています。でも、なんだかもうやる気がないというか、ずっとねたきりで、悪い物食べたわけじゃないのに咳き込んで。なんだか、私達もどうしたら良いのか、わからないんですよ。」
由紀子は、とりあえずありのままの状態を答える。
「そうなんですか。それは困りますね。製鉄所の利用者さんだって、あいつに助けてもらわなければ困るでしょう。あいつは、ゴミみたいな人間なんかじゃありません。あいつは、本当に製鉄所の利用者さんたちに必要な、人間なんだ。今ここで弱らせたらだめですよ。なんとかしなければ!」
蘭は、由紀子の発言に力を込めて返した。
「由紀子さん、あいつがいま訴えていることについて教えて下さい。」
「果たしてあるのかな。」
由紀子は、蘭にそう返した。
「それはきっと、水穂さん自身が、この世から消えることをのぞんでいるのではないかしら。私はそう見えます。なんとかして止めたいですけど、水穂さん、まったく気がついてくれないようです。」
「わかりました!なんとかあいつに治りたいという意志を持ってもらうようにしなければ!」
蘭は、持っていた飲み物を急いで飲み込んだ。
「でも、蘭さん、あたしだってその思いを伝えようとしているんです。ですが、全然伝わらないんですよ。どうしてなんだと思うけど、こういうときには、素人が何かしないほうが良いのではないかしら。誰か、説得に自信のある方、そういう方にやって頂いたほうが良いのではないかなと思うんですよ。だからあたしは、お医者さんに相談しようかと。」
蘭は由紀子の言葉を聞いて、決断した。
「よし、こうなったら、餅は餅屋です。僕も心当たりがあるので、その人にお願いしましょう。」
「心当たりって、誰か知り合いでもいるんですか?」
蘭の言葉に由紀子は急いでいった。
「ええ、知り合いというか、偶然知り合っただけですが、何か知恵をかしてくれるかもしれない。だから、こういうときは、素人が下手なことをするより、そういうことを職業としてくれる人に頼みましょう。」
蘭は、スマートフォンを取り出した。
「スマートフォンのアプリでは、うまくいかないのではないですか?」
由紀子は、心配したが、蘭は財布を取り出して、杉山春の電話番号が書かれた名刺を取り出した。
「こういうときは、直接お願いしたほうがいいですよね。クラウドソーシングのようなものは、まったく役に立たないから。」
それはたしかに由紀子もそう思うのであるが、由紀子はまだ心配であった。
「この方に、メールを送ってみます。そうしたらうまくやってくれるかもしれない。」
蘭は、メールを打ち始めた。
蘭と由紀子がカフェでそんな事を話している間に製鉄所では。
「こんにちは、竹村です。クリスタルボウルのセッションに参りました。」
そう言って製鉄所の玄関前にやってきたのは竹村さんだった。
「ああ竹村さん。悪いけど、水穂さん、ちょうど薬で眠ってしまっていて。」
と、杉ちゃんが言うと、
「いえ、全く構いません。眠っていらっしゃるのなら、より深く眠れるようにすることができます。」
竹村さんは、構わずに台車を押しながら、四畳半へ行った。ちょうど、水穂さんの近くには柳沢先生がいたが、竹村さんは何も気にしなかった。
「私、竹村優紀と申します。クリスタルボウルの奏者をしています。よろしくおねがいします。」
竹村さんは、柳沢先生に言った。
「本日は、水穂さんに、クリスタルボウルの演奏をするためにこさせていただきました。」
そう言って竹村さんは、7つのクリスタルボウルを縁側の上においた。真っ白な風呂桶みたいなものを見て、柳沢先生は、これは何だという顔をした。
「怪しいものではございません。欧米ではきちんとした医療行為として認められております。日本では、こういうものの、普及が遅れているだけです。」
竹村さんはクリスタルボウルをすべて置いて、二本のマレットをとった。
「大丈夫です。何も害はありません。45分間の短い時間ですが、演奏させていただきます。」
竹村さんはクリスタルボウルを叩き始めた。ゴーンガーンギーンと確かにお寺の鐘を模したような不思議な音色で、なかなか表現しづらいものがあった。でも、気持ちよくて、雲にのっているような音。確かにリラックスできることは、疑いなかった。
「じゃあこれで終了です。短い時間でしたが、ありがとうございました。」
そう言って竹村さんはマレットを置いた。
「どうもありがとうございます。」
杉ちゃんが、竹村さんに5000円を渡すと、竹村さんはハイと言って受け取った。
「不思議なものですな。水穂さんは音がなっている間、全く咳き込みませんでした。静かに眠っていられたということも、非常に珍しいことです。」
柳沢先生がびっくりした顔で言った。
「へへん。ゆっくり眠ってられるのは、たしかに珍しいよな。医者はおっきな腫瘍があるとか、血管が詰まっているとか、そういうときには、いいかもしれないが、リラックスするとか、気持ちを穏やかにするとか、そういうことは、苦手なようだね。」
杉ちゃんがそう言うと、柳沢先生は、ハイと言った。
「そうですね。そういうことは、医者にはできません。ただですね。」
「ただなんだよ。」
杉ちゃんがそう言うと、
「そういうセラピーと言うか、そういうものは、お金が高すぎるのが問題だと思うんですけどね。」
と、柳沢先生が言った。
「まあ、そうかも知れないけど、医者はろくなことしないから、そういう竹村さんみたいな人に頼るしか無いんじゃないの?」
杉ちゃんという人は、何でも思ったことは口に出してしまうものだ。逆に言っては行けない発言まで、言ってしまう事もある。
「わかりましたよ。僕達は、竹村さんのしていることには、とても追いつけません。医者はろくな事をしないと言われるのもよくわかりますよ。本当に医者にできることは極僅かです。僕達も、竹村さんのしているような事を患者さんにしてやらなければならないと思います。」
柳沢先生は、納得した顔で言った。水穂さんだけが、静かに眠り続けているのが聞こえてくる。水穂さんはとても気持ちよさそうだった。
「本当だねえ。水穂さんは、気持ちよさそうだな。誰かそういう人がいてくれるといいねではなくて、現実問題、いなくちゃいけないんだ。水穂さんの心の傷をそっと和らげてくれる人がな。竹村さんこれからも頼みますぜ。」
杉ちゃんという人は、何でも断定的に言ってしまうくせがあった。確かにそれは決断力があって、良いことなのかもしれないが、ある意味では少々迷惑なのかもしれなかった。
「誰でもいいわけじゃないんだよな。有名な人であればあるほど、水穂さんのことは毛嫌いしてわかってもらえないよ。自分の顔に傷がつくとか、そういう事を言うのが落ちだ。かといって、宗教関係とか、そういうのも良くないでしょ。だから、竹村さんみたいな人がいてくれると本当にいいんだ。」
「杉ちゃんさん、何でもすぐに口に出して言わないほうが良いと思いますよ。水穂さんが、今までに苦しんでいたことをわかってくれる人は本当に少ないでしょうしね。そういう人なんて、なかなか見つからないでしょうからね。」
確かに、柳沢先生の言うとおりだった。特に有名な人とか、偉い人と言われる名が知られているような人ほど、相手にはしないと思うし、申し込んでも、自分の顔に泥を塗るななどと言って門前払いになってしまうと思われる。
「そうだねえ。まあ、理解のある人でないと、難しいよなあ。ほんと、竹村さんがいてくれて良かったな。」
杉ちゃんは大きなため息をついた。
と、その時。
「あのすみません。私、杉山と申しますが、磯野水穂さんという方は、こちらにお住まいでしょうか?」
玄関先からいきなり女性の声がしたので、杉ちゃんも竹村さんもびっくりした。
「なんだよ、今手が離せない。ちょっと、上がってきてくれるか?」
杉ちゃんがそう言うと、
「わかりました。そうさせてもらいます。」
と、女性はそう言って、四畳半へやってきた。
「私の名前は、杉山春と申します。この度、磯野水穂さんという方の鑑定に携わらせていただくことになりました。よろしくおねがいします。」
「はあ、とても美しい女性だな。」
そういう彼女に杉ちゃんが言った。
「そういうことじゃなくて、一体強引に入ってこられて、あなたは何をされている方なんですかね?」
柳沢先生がそうきくと、
「はい、もともとは、コザに住んでいましたが、そこで悩んでいる人の話を聞かせていただく仕事をしておりました。他に悩みが解決するように、祈りを捧げたりすることもありました。具体的に効果があったかは不明ですが、コザでは当たり前の様に行われていることでございます。」
と、杉山春さんは答えた。
「コザってなんだよ。」
杉ちゃんが聞くと、
「沖縄にある街ですよ。今は、沖縄市に名前が変わっていますが。以前はコザ市と名乗っていた地域があったんです。」
と、柳沢先生が説明したので、杉山春さんは、沖縄の人であることがわかった。
「なるほどね。そのコザの女が、一体なんの用?」
「はい、磯野水穂さんのことを、安心して穏やかにさせてほしいと、要望がございまして、こさせていただきました。」
杉ちゃんの質問に彼女はすぐ答えた。
「はあ、えーとそうですか。今竹村さんのクリスタルボウルでよく眠っているところなので、まだ起こさないでやりたいんだがな。」
と、杉ちゃんがまたいうと、
「わかりました。じゃあ、彼が目が覚めたら、ちょっとお話を聞かせてもらいましょうか。その前に、周りの方から、彼の、現況などを教えていただけたらと思います。まず、彼ですが、年齢と、出身地を教えて下さい。」
と、杉山春と名乗った女性はそう言って、メモ用紙を取り出した。
「はい、名前は、磯野水穂さんで、年齢は、46歳。出身地は、、、。」
杉ちゃんは、そのとおりに答えたが、ちょっと困ってしまった。
「出身地はどこでしょう?」
と、彼女が改めて聞くと、
「えーと、えーとねえ。」
「日本以外ですか?ヨーロッパとか、アメリカとか?」
杉ちゃんの曖昧な答えに彼女はすぐ聞いた。
「そういうところじゃないんだよな。」
杉ちゃんはちょっと答えに詰まる。
「じゃあ、イスラエルとか、そういう中東の国家ですか?」
と、彼女が聞くと、
「いや、それでも無いんだよ。あのさ、お前さんは、沖縄だから、あんまり知らないと思うけど、その、人種差別をされていた人がいる地区というのを知っているか?この地区に住んでいるやつは、革細工などを生業とし、それで差別されたという地区だ。お前さん、聞いたことあるか?」
杉ちゃんは、急いでそういう事を言った。
「ああ、そうですか。わかりました。」
彼女は何も驚かなかった。
「大丈夫です。こちらでも、アメラジアンなどと呼ばれていた人もいますから、それと同じであると考えれば、大丈夫です。」
「大丈夫ってさ。お前さんは、驚かないのかい?こんな汚い地区に住んでいた人を自分が見るなんて、なんてひどいことをするんだとかそういう事言わないのかよ。」
三人は、その反応を見て逆に驚いてしまったくらいだ。
「ええ、私は驚きません。だって、そういう方は、必ず世界のどこにでもいると、先代から教わったことがありました。日本だけではありません、ヨーロッパでもユダヤ人とか、そういう嫌われている人は、大勢います。ただ、名前が違うだけで、必ずそいう迫害されてしまう人はいるんだと思います。水穂さんが、それに該当するとしても、私は、任務をまっとういたしますよ。安心してください。」
「随分強い方ですね。ですが、それは本当の強さと言えるのでしょうか?それは、本当に、彼の面倒を見ようと思っていますか?彼の事を世話していたら、少なくとも、自分の評判は落ちる覚悟を決めてもらわないと。」
そういう彼女に、柳沢先生がそう言ったが、
「ええ、大丈夫です。私は、そういうことは一切気にしないので、たとえ、相手が未開の人物であろうと、ちゃんと任務をまっとうするつもりでいます。」
と、杉山春さんは言った。
「わかったよ。じゃあ、やってもらおう。水穂さんにどこまで寄り添えるか、まだわからないけど、頑張って、任務を果たしてみてくれ。今度は、水穂さんが薬で眠っていないときに来てあげてね。それで、お前さんが、水穂さんの、苦しんでいた過去とか、そういう事を話すことによって取り除いてくれたら、嬉しいな。」
と、杉ちゃんが言うと、
「わかりました。じゃあ、よろしくおねがいします。」
と、杉山春さんは言った。
「それじゃあ頼みますよ。ついでですから、水穂さんが、あなたとお話して、楽になってくれたら、クリスタルボウルの演奏をして、より深くリラックスしてもらう様にしましょう。水穂さんは、もともと、リラックスする事を許さない人です。いや、許せないといったほうがいいのかもしれない。だから、あなたのような、力を持っている人間は必要です。」
竹村さんが、彼女の話に追加する様に言った。
「おう、それは、更にうれしい言葉だねえ。鬼に金棒だ。じゃあ、春さんの鑑定のあと、竹村さんのクリスタルボウルで、水穂さんは、すごく楽になれると思うな。ちなみに、鑑定料っていくらなの?」
杉ちゃんが急いでそうきくと、
「ああ、1000円で構いません。私は、今流行りの臨床心理士のような身分ではありませんので。」
と、杉山春さんは答えた。
「1000円って、すごい破格な。本当にそれでいいのかな?」
杉ちゃんが笑うと、
「いいんです。私は、なにか資格があるわけではなく、ただ、家計的に、ユタの家計だったことで、こういう仕事をしている立場ですから。」
と春さんは言った。
「はああ、なるほどねえ。ユタとは、どのようなもんなんだろうか?」
杉ちゃんは、何でも聞いてしまう。ちょっと、話を謹んだらと竹村さんが彼にいうが、そんなことはお構いなしであった。
「ええ、先程も言いましたとおり、悩みを聞いて、悩みが解決するようにアドバイスするのがユタのしごとです。コザでは、医者半分ユタ半分という言葉もあるほど、ユタに相談することは珍しいことではありません。臨床心理士みたいに、いろんな技法を使って、人間の悩み事を解決するというわけではありませんが。でも、コザには、そういう職種を世襲して受け継いていく家庭があるんですよ。」
春さんはにこやかに答えた。
「確かに、沖縄は、ユタ買いという文化がありますからねえ。それは、たしかに恥ずかしいことではありませんよね。」
柳沢先生も、納得したようである。
「僕も沖縄に住んでいた同僚から聞いたことがありますよ。悩みがあると、ユタと呼ばれる人物の元へ相談に行くとか。中には、ユタの話を医者の話しよりも一生懸命聞くので困ってしまうとも聞いたな。」
「ところで。」
不意に杉ちゃんが話を切り替えてしまった。
「お前さんは、なぜここを知ったの?なんで、水穂さんの事を、知ろうと思ったの?それを教えてくれるか?」
「そうですね。ある人から、依頼があって、それで水穂さんを見てほしいと頼まれました。でも、その二人からは、自分たちの名前は伏せておくようにと言われました。」
と、彼女は言った。
「はあ。誰なんだろう。お前さんをこっちへ導いたのは。水穂さんのことはインターネットで公表しているわけでは無いのでねえ、、、。」
杉ちゃんが首をかしげると、
「まあいいじゃありませんか。彼女の職業も、沖縄では、伝統ある仕事ですし、それを背負って生きているわけですから、彼女もおかしなことはしないと思いますよ。それに、先程、水穂さんのつらい過去をわかってやる人間が必要だと言いましたよね。それは、しなければならないことですし、やってくれる人が来てくれたんですから、それでは、彼女にお願いしてもいいのではないでしょうか?」
と竹村さんが杉ちゃんに言った。
「ま、まあそうだねえ。それは、そうだ。じゃあお前さんにお願いしようかな。でも、一つお願いしたいことがあるんだが、それを言ってもいいだろうか?」
杉ちゃんは、その自信が有りげな美女に言った。
「お前さんさ。水穂さんの話を聞いて上げて、楽にしてやるのは、いいんだが、水穂さんが、同和地区出身だと言うことは、絶対口にしないでやって欲しいんだ。それだけはさせちまうと可哀想だからさ。それをさせないと言うことだけは守ってくれるか?」
「わかりました。それは私も気をつけます。」
春さんは、にこやかに笑って言った。それにしても、彼女は本当に美しいのだった。沖縄出身のテレビ女優は多いが、沖縄というのは、そういう女性が多いのかと聞いてみたくなるくらい彼女は美しかった。まあ確かに、沖縄の人は、本州の人とは、また違うような顔をしていることが多いのであるが、それでも、美女というか、なんというか。
「本当にありがとうな。水穂さんの事見てくれるなんて、水穂さんも幸せだよ。」
杉ちゃんだけ一人、ニコニコしていた。
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