運命の岐路を前に、彼女は告げる
「道明寺……?」
目の前の光景に、俺は呆然としたまま名前を口にした。
泣いている。あの道明寺が。
俺を含め、学校の誰も見たことのないその涙を道明寺は流していた。
予想外の反応に俺の頭の中は真っ白になって、完全にフリーズしていた。
「あ、あれ、ごめん、そんな、泣くつもりなんて全然、ただ、私もびっくりして、なにかよくわからなくなって、変になって、それでいっぱいいっぱいで」
そんな俺の反応を見て、ようやく道明寺は自分の異変に気づいたんだろう。頬を伝う涙を手で拭い、たどたどしい口調で説明をしてくる。
ただ、要領を得ない、道明寺らしくない言葉選びが今の道明寺の余裕の無さを表していた。
俺は立ち上がって、道明寺の隣に移動しようとして……止める。
この道明寺の動揺が俺の告白によるものなら、俺から道明寺に近づくのは逆効果で、触れるなんて以ての外。
座り直し、俺も出来る限り冷静に言葉を選んでいく。
「その、無理に話さなくていい。落ち着いて冷静になれるまで俺も待つし、俺がいて落ち着かないってんなら部屋だって出る。」
「ごめんなさい。じゃあ……五分だけ、ください。頑張って、戻るから」
俺に顔を見せないためか、項垂れてか細い声でそう言う道明寺に俺はうんと頷いて、部屋の外へと出た。
◇
部屋を出て、廊下で待つこときっかり五分。
部屋の中から『もう入ってきていいよ』という声がしたので、少し躊躇しつつも、部屋の中に入る。
そこには冷えピタとマスクを付け直した道明寺がさっきと同じように座布団の上で正座をして待っていた。
「驚かせてしまってごめんね。泣くなんて久しぶりだから、自分でもどうすれば止まるかわからなくて、動揺しちゃったけど……今はこの通り、止まってるから」
そう言って、道明寺は右目の目尻の部分を指差してアピールしてくる。多少は腫れているものの、確かに涙は止まっていた。
「一応聞いておきたいんだけど、なんかの病気とかじゃないよな?」
「違うよ。私はお医者さんじゃないけど、それは断言できる」
それを聞いてホッとする。
さっき、道明寺が泣いているのを見て、俺のせいで道明寺を泣かせてしまったと思っていた。だが、少し冷静になるとそれが本当に正しい答えなのかという疑問も浮かんだ。
もしかして、道明寺は病気かなにかで急に涙が出たんじゃないかと。
もしそうなら、別の意味でマズかったが、それはただの杞憂だったみたいだ。
そうなると原因はやっぱり俺の告白ってことになるわけだけど、病気よりはマシだと思うことにした。
「天城くん。とりあえず、座ったら?」
「そ、そうだな」
促されるまま、さっきと同じ場所に座る。うっかり正座になってしまったのは、道明寺がまだ正座のままということと、部屋に入った時から緊迫感を感じ取っているからだ。
「天城くん。お互いの秘密を教え合うゲームのこと、覚えてる?」
「え? ああ、今日もやったしな。っていうか、そんな名前だったのかアレ」
「正式名称がないから暫定だけどね」
「それでそのゲームがどうかしたのか?」
「あのゲームはさ。お互いに知りたいことがあって、それを相手に教えてもらうために自分のことを相手に教えるっていう条件で成り立っているでしょ?」
「そうだな」
正しくは俺が道明寺の秘密を知りたかったから、『道明寺が知らない俺の秘密を教えられたら』っていう条件付きで始まったものなので、現時点でお互いに知りたいことは聞けていない状況だが。
「だからね。もしも、相手がなにかの拍子に知りたかったことを教えてくれたら、その時は自分も教えないとフェアじゃないんじゃないかなって思うの」
捉え方によってはそうなる、か? まぁ、条件を設定した本人が言うんだから、それでいいか。
「つまり、これからは俺がうっかり道明寺の知らない秘密を話しても、カウントしてくれるってことでいいのか?」
「少し違うかな。これまでもずっとそのつもりだったし、もうカウントしているから」
「そっか。もうカウントして……ん? もうカウントしてるって言った?」
「うん」
あまりにもサラっというもんだから、俺も流しそうになった。
「ちょ、ちょっと待った。いつ? どこで? どんなこと話した?」
アレをやり始めてから、うっかり口を滑らせないように警戒していたはずだ。変な事を言った記憶もない。道明寺の口ぶりからして、人伝に聞いた感じでもないみたいだし……やばい。マジでなにを言ったんだ、俺。
つーか、なんでこのタイミングなんだ。ただでさえ、告白のことでいっぱいいっぱいだってのに……!
「いつって、さっきだよ?」
「さっき? さっきって、俺なんか変なこと言ったか?」
混乱しきった頭を働かせて、自分の言葉を思い出……せねえ! ダメだ! 告白したこと以外、なにを話したのか全然覚えてねえ!
「変なことは言ってないけど、大切なことは言ってくれたよ。――私のことが好きだって」
「それって――」
「うん。知らなかったんだ。天城くんが私を好きなこと」
予想外の答えに呆気に取られる。
どれだけ上手く誤魔化したつもりでも、隠したつもりでも、道明寺は俺の思考や心を読んだみたいに俺の言動を把握している。だからいつも勝負に負けるし、揶揄われる。
道明寺のことが好きなのも、俺自身は隠しているつもりだった。でも、俺の周りの人間には気づかれていたし、校内でも道明寺が俺のことを好きだと言われているのと同じように、俺も道明寺のことを好きだと言われていた。だったら、それが道明寺の耳に入らない筈がない。
「周りの子たちは言ってたんだけどね。結局その子たちの主観だし、なにより『
「ああ、そういうことか」
ようは聞いてはいたが、俺の気持ちを裏付ける理由がないから聞き流していたってことか。道明寺らしいといえば道明寺らしい理由だな。
「でも、ちょっと意外だな。道明寺なら――」
「――あの手この手で天城くんの気持ちを知ろうとすると思った?」
「思った」
道明寺は気になることがあったら根掘り葉掘り聞いてくるタイプだ。特に俺相手には。嫌がったら、それ以上は追及しないものの、それまでは粘ってくる。
俺が即答したのが気に障ったのか、道明寺は不満そうに漏らす。
「ただでさえ、デリケートな話なのに、気軽に聞けるわけないよ。それに……全く意識されてなかったらショックだし」
「? 悪い。後の方がよく聞き取れなかったから、もう一回言ってくれるか?」
「気にしないで……話を元に戻そう」
まだ不満そうな道明寺だが……しつこいとまたデリカシーがないって怒られそうだしな。ここは道明寺の言う通りにしよう。
「早い話、道明寺から秘密を一つ教えてもらえるってことでいいんだよな?」
「そういうことになるね。となると、やっぱり聞いたいのはアレ?」
「当たり前だ。俺が聞きたいことなんてそれしかねえよ……告白の返事だ」
「だよね。やっぱり……え? 告白の返事?」
うんうんと頷いていた道明寺が疑問の声を上げた。なんで疑問を持ったのかは知らないが、今の俺が聞きたいことなんてこれしかない。
「そんなわかりきったことでいいの? 他にも聞きたいことがあるんじゃない?」
もちろんある。このゲームを始めるキッカケになった『道明寺が俺に勝ち続けている方法』とか、体調が悪いのに家まで送るなんて言い出したのか、今日俺の家に泊まりたいなんて言い出したのかとか、聞きたいことなんていくらでもある。もう知ってることを折角のチャンスを使ってまで聞くようなことじゃない。
それはわかってる。でも――
「俺はお前の口から直接聞きたいんだ、道明寺。他でもないお前の口から。じゃないと他のことなんて聞けねえし、納得出来ねえよ」
「そこまで……もしかして、私が天城くんのことを好きって話も、天城くんは信用してないってこと?」
「信用してないわけじゃねえよ。あれだけ噂が広がったってのに、道明寺がなにもしなかったってことは、本当のことなんだろうなって思ってた。ただ――」
「ただ?」
言うべきか悩む。それはあまりにも道明寺に失礼すぎる気がしたから。ただ、ここまで来て言わないのは卑怯だとも思った。だから少し躊躇はしたものの、俺は言うことにした。
「確信が持てなかった。道明寺が俺を好きでいてくれるのはわかってたし、教えてもらってた。でも、違和感っつーか、道明寺が俺を通して誰か他の人を見てるような気がしてたから……踏み込むのが怖かった」
「っ……!」
もし、道明寺が好きな相手が俺じゃなくて俺に似た別の誰かで、それが本当だった時にこれまでと同じ関係を続けられなくなるかもしれないという恐怖。道明寺を意識し始めてから、それが俺の中にはずっとあった。
「まぁ、なんだかんだ言っても、単にフラれるのが怖かったから聞けなかっただけだ。信用とかそういう次元の話ですらねえから、気にすんな」
どれだけそれらしいことを言っても、つまるところはそういう話だった。だって、俺に勇気や覚悟があれば、道明寺が俺のことを好きかどうかなんて関係ない。道明寺に告白して、返事をもらう。それだけの話だったんだ。
……いや、本当に情けない話だな。あまり情けなすぎて、道明寺も一度大きく目を見開いて呆然としてから俯いて、わなわなと肩を震わせている。怒りを通り越して、呆れも過ぎ去って、また怒りに返ってきた感じか。
でも、これはしかたない。道明寺の怒りは甘んじて受けよう。
次の瞬間に飛んでくるであろう道明寺の口撃を受け入れる覚悟を決めつつ、空になったコップにお茶を入れて飲む。
さて、なんて言われることやら。今回ばかりは道明寺もボコボコに言ってくるか。一応両想いだとわかってたのに訳の分からない理由で足踏みしてたわけだからな。
……と考えていたが、いつまで経っても、道明寺から怒りの言葉が発せられることはなかった。
「そうか……そうだったんだ。私、ずっと……だったら尚更」
道明寺の反応は俺の想像していた反応とは違っていた。なにかに納得したような反応。
どういう心境かはともかく、怒り過ぎて冷静になった……って感じじゃないことは確かだ。
「天城くん。一つお願いがあります」
「お願い?」
「これから私が話すことは話半分、もしくは聞き流して。真に受けないで。夢の話とか、痛い女の妄想でも聞いてると思って」
「? そりゃまた変わったお願いだな」
道明寺本人はどこからどう見ても真剣そのものだ。なのに、適当に話を聞いてくれってお願いはよくわからん。
それにそういう前振りをされると逆に意識するから聞き流す方が難しくないか?
……まぁ、努力はしよう。ようはドラマやアニメのようなフィクションの話を聞かされているとでも思って、リラックスして――
「まず最初に天城くん。キミがさっき言っていた感覚は……間違っていない」
――早速聞き流せないやつが飛んできた。
もしも道明寺の言っていることが本当なら、道明寺には他に好きな人がいるということになる。他に好きな人がいる以上、俺の告白は当然断る。早い話がフラれるというわけだ。
「私はずっとキミを見てた。キミだけを見ていたつもりだった。でも、違ったんだ。キミに言われてようやく気づいた。私はキミを通して、ずっと彼を見ていた」
俺の誤解は――正解だった。
すでに心中穏やかではないし、今すぐ帰りたい気分だ。
しかし、道明寺の話はまだ終わっていない。それに『真に受けないで』と道明寺からお願いもされている以上、話は最後まで聞かずに帰るのは違うだろうし。
「キミと彼は同じだから。私の気持ちも勝手に同じものだと思ってたんだ」
「同じ、ね。そこまで似てんのか、俺とそいつは」
「うん、私のせいで変わってしまったところ以外はね。キミも彼も変わらない」
「そこまでくると、他人の空似ってレベルじゃねえな」
「他人……他人か。この場合、どっちになるんだろうね」
「? 他人だろ。俺とそいつは別人なんだから」
仮に同じ顔をしていても、同じ性格をしていても、同じ趣味をしていても、結局他人は他人だ。まして、俺とそいつとでは決定的な差ができてしまっているんだから。
「違うよ。キミも彼も天城総悟だよ」
「…………悪い。言ってることが全然わからねえんだけど」
既に話半分で聞く気も、聞き流す気もなく、真面目に聞いていたつもりだったが、道明寺の言っていることが理解できずに首を傾げる。
道明寺の言う彼とやらも天城総悟? 同姓同名の別人ってことじゃないのか?
「言葉通りの意味。キミは天城総悟で、彼も天城総悟。顔も、声も、名前も、親も、高校に入学するまでの、ありとあらゆるものが同じ。そんな彼の終わりを私は何度も見てきた」
「終わりって……死んだってことか?」
「……私にできることは色々やったつもり。もちろん、法に触れること以外ね。そのおかげで変わったことはあった。でも、結果は同じだった。過程や理由が違っても、結末だけは変わらなかった」
俺の質問に対して、道明寺は肯定しなかったが、話の内容からして死んだか、あるいは意思の疎通ができない、謂わば植物人間のような状態になってしまったかのどっちかってことなんだろう。
そして、道明寺の言う『過程や理由が違っても、結末は変わらなかった』という言葉。
この言葉から察するに――
「仮にその縁起の悪そうな話が夢だとして、何回だ?」
「十九回」
「……その、他人の夢にツッコミを入れるのも変な話だと思うけど、それっておかしくないか?」
十九回。どんな状態であれ、本当に『終わった』のなら、その数はおかしい。どんな人間でも『終わり』は一度しかない。
道明寺は同じ人間を相手にそれを十九回見たと言っている。
「確かにおかしな話だね。でも、その終わりがなかったことになったら、辻褄は合うと思わない? それこそ夢みたいにね」
確かに何度終わったとしても、その度になかったことになるのなら、おかしな話じゃない。俺が今こうしてここにいることも、終わりがなかったことになった結果なら、一応辻褄は合う。
ただ、そうなると新しい疑問が生まれる。
天城総悟の終わりがなかったことになるのなら、なぜ道明寺はその終わりを認識しているのか。
なかったことになっているのなら、俺が知らないように、道明寺だって知らないし、見ていたとしても覚えていないはずだ。
それなのになんで道明寺はこれまで見てきた『終わり』の光景とその回数を覚えてるんだ?
俺が抱いた疑問を見透かしたように道明寺は言う。
「天城くん。タイムリープって知ってる?」
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