あの日の続きを
友達の家のご飯は食べ物の好き嫌い、もしくは味の好みが正反対にでもない限り、基本的においしい。
もちろん、家の方が好きだとか思うことはあるが、それは決してまずいということではなく、慣れ親しんだ味の方がしっくりくる程度のニュアンス。大抵の場合は、『これはこれであり』というところに帰結する。
家とは違う味の料理を食べる、ということは、実質外食をしているようなもんだと俺は思う。作っている人間が友だちのお母さんか、厨房にいる専門家くらいの差でしかない。
なにが言いたいかと言うと――。
「めちゃくちゃおいしいです、この親子丼」
道明寺のお母さんの料理はおいしいということだ。たまに弁当をお裾分けしてもらってたから、道明寺は料理も得意なのは知っていたが、お母さんも負けず劣らずだった。
「天城くんの口にあって良かったわ。あ、量は大丈夫? うちは夫以外に男の人がいないから、あなたぐらいの年頃の子がどれくらい食べるのかわからなくて。足りなかったら言ってね。すぐに作るから」
「全然大丈夫です! ちょうどいいくらいですよ」
「ならいいのだけど……」
「心配しなくても大丈夫だよ、天城くんは食が太いわけじゃないから。寧ろ、ちょっと多いくらいだと思うよ」
……なんでお前が答える。いや、実際、足りないどころかちょっと多いかとは思ってたけど。
「あら……張り切りすぎちゃったかしら」
「大丈夫ですよ! めちゃくちゃおいしいんで、これくらいは全然余裕です!」
「そうそう。許容範囲内だよ」
だから、なんでそこでお前が同意するんだ。間違ってないからいいけど。
「俺のことより、そっちはどうなんだ? さっきから手、止まってるぞ」
そう指摘すると、バツの悪そうな顔で視線を自身の目の前にある丼ぶりに向ける。
「……お腹は減っているんだけどね」
俺より二回りほど小さい丼ぶりに入った親子丼は半分から全然減っていない。食べる手は完全に止まっていた。
風邪をひいている時の典型だ。腹は減るものの、食欲はないし、食べると気分が悪くなる。
こういう時はお粥、雑炊、うどんなんかを食べるのが一般的で、道明寺のお母さんもそう提案した。
しかし、当の道明寺が『せっかく天城くんが来てくれてるんだから、同じものを食べたい』と答えたため、量だけ減らしつつ、道明寺も俺や道明寺のお母さんと同様に親子丼を食べることになった。
蓋を開けてみれば、その減らした量の分すら食べられていない。割といつも通りに振る舞っているから大丈夫そうに見えるだけで、道明寺は普通に病人。今すぐ休むべき人間なのだ。
……本当になんで俺を家に泊めようと言い出したのかわからん。今は自分のことを最優先に考えるべきだろうに。
「食べられないなら、残してもいいわよ?」
道明寺のお母さんがそう言うと、道明寺はこちらの様子を伺うように視線を向ける。
別に俺が作ったわけじゃないし、さっきのだって、気になったから聞いただけで責めたわけじゃなかったんだけどな。
とはいえ、なんとなく、俺の答え待ちみたいな空気になったので俺からもなにか言わないとな。
「無理しなくていいんじゃないか。食べた方が元気は出るかもしれないけど、それで気持ち悪くなったら、元も子もないだろ」
「…………………………そうする。ごめんね、お母さん」
「いいのよ、気にしなくて。そういう日もあるわ」
道明寺のお母さんはそう言って、道明寺の頭を撫でてから、道明寺の前にあった丼ぶりをキッチンの方に持っていった。
当たり前の光景。当たり前のやり取り。なにもおかしなことはしていないのに、親子の何気ないやり取りを道明寺がしているというのが意外だった。
意外、か。
「? 天城くん? どうしたの、ぼうっとして」
「いや、大したことじゃねえよ。親子丼がこんなにおいしいなら、他の料理も楽しみだなって思っただけだ」
「期待してていいよ。お母さんの料理、本当においしいから」
「ああ、期待しとく」
そう答えてから、親子丼を一気にかきこんでいく。口をついて出そうになった言葉を腹の中に押し込めるように。
◇
食事後、精神的葛藤はかなりあったものの、道明寺の家の風呂に入った。この時期だから運動さえしてなければ我慢できなくもない、なんて考えたものの、道明寺をここに連れ帰った時に普通に汗はかいていたし、ここは道明寺の家だ。不潔なままでいるわけにもいかず、入らざるを得なかった。
風呂に入っている時は無心だった。頭の中で適当に世界平和を考えながら、ささっと頭と体を洗い、用意されていた湯船に二、三分浸かってすぐに出た。いつもなら十分以上はゆっくり浸かるところだが、ぶっちゃそんな余裕はないし、すぐにのぼせる。
高校に入ってからある意味、今日が一番の山場だった。そして、これがあと一、二回はあると考えるとストレスがヤバい。不幸中の幸いは一番風呂が俺なことと、寝る部屋がちゃんと別なことか。
これで寝る部屋が道明寺の部屋だったら、一睡もできない自信がある。道明寺ほどじゃないと言っても、俺も風邪気味の人間。そんなことになったら、要看護者が一人から二人に増えてしまう。
そうなった場合はもちろん帰るが、道明寺は俺に無理をさせたと落ち込むかもしれないし、その影響で尚更調子を悪くするかもしれない。そんな悪循環は避けたい。
だから、別部屋で本当に良かった。良かったが……。
「男の子とパジャマパーティーなんて、ドキドキするね」
――なぜ、ブランケットを羽織ったパジャマ姿の道明寺が俺の部屋にいるのか。しかも、おでこに貼られた冷えピタとマスクが無ければ、病人だとわからないくらい笑顔だった。顔が半分以上隠れてるのに雰囲気でわかる。
「なぁ、道明寺」
「どうしたの? あ、もしかしてお茶じゃなくて、コーヒーの方が良かった?」
「いや、そうじゃなくて。確か俺がこの部屋を使わせてもらってる理由って、お互いに気を遣わなくてもいいようにするのと、間違いが起きないようにするための保険、だったよな」
「そうだね」
「この際、お前がこの部屋にいるのは百歩譲っていいとして」
チラッと視線を右へ向ける。
そこには俺の寝る布団……の横にもう一つ布団が用意されている。寝る前にお喋りしに来ましたとかじゃなくて、同じ部屋で寝る気満々じゃねえか。
「これじゃあ、俺が道明寺の部屋で寝るのと大差ないだろ」
「あるよ。キミは私――というか、女の子の部屋で長時間過ごしたり、普通に寝られる?」
「絶対無理」
キッパリ答える。友だちの家だとしても相手は女子。男の友だちの部屋と違って、くつろぐことは出来ないし、部屋に置いてある物に絶対目移りする。なにより、勝手が違う。そんな状態じゃ、気が抜けるわけがない。
「だよね。じゃあ、誰のでもない、誰かが使うこともほとんどない部屋で、お喋りしたり、二人分の布団を敷いて寝るのは?」
「………………さっきよりは、まぁ」
比較的とか、相対的みたいな前置きはつくものの、さっき道明寺が言った状況よりはマシだ。道明寺がいる時点で本当に大した差じゃねえけど。
「俺はともかく、お前はどうなんだ、道明寺」
「私? 私は大丈夫だよ。キミのこと、信用しているし、信頼しているからね」
「そりゃどうも。でも、今聞いてるのは風邪の方だよ。熱あるんだろ? 飯も食えてなかったし。早めに寝た方がいいんじゃないのか?」
俺の問いに道明寺はお茶を飲みながら、視線を天井に移し、考えるような素振りを見せる。
「あることにはあるけど、お喋りするだけだし。それにこういう時って、寝ようとしても寝られないから。それならキミとお喋りしたいかなって」
確かに熱がある時は全然眠くなかったり、よく寝たと思ったら、二時間くらいしか経っていないなんてことはたまにある。
そういう時はなにかできるわけでもないし、やる気も起きないから、手持ち無沙汰になる。道明寺も今まさにそんな感じなんだろう。
「天城くんが嫌なら部屋に戻るけど……嫌だった?」
だから、その聞き方は卑怯だって。
そんな寂しそうな表情で、不安そうに揺れる瞳で、自信なさげな声音で、
そんな風に聞かれたら、負け惜しみみたいに軽口を叩いて、適当に誤魔化すことも出来なくなる。
「単に心配なだけだよ。嫌ってわけじゃない。風邪なんて俺も引いてるし、移したり移されたりするわけじゃないしな」
嫌なら部屋に入ってきた時点で止めてるし、そもそも泊まってない。道明寺の口八丁にしてやられたのは事実だが、それも俺に全くその気がなかったら成立していない。
今だって、道明寺の体調が心配だ。本当は無理をしてるんじゃないかと思っている。
それと同時に、俺は道明寺とこうして過ごしていたいとも思ってしまっている。
いつもと同じようで、まるで違う二人の時間。
次があるかもわからないこの
だから――
「本当に無理してないんだったら……いいんじゃねえか」
「ありがとう。天城くん」
「べ、別にお礼を言われるようなことは言ってねえよ。やりたいことをやりたいって言っただけだしな。そ、それにどっちかが寝落ちしたら、それで終わりだからな!」
「朝まで終わらなさそうだね」
「いや、それまでに寝ろよ」
「ふふっ、そこで『先に寝る』とは言わないのが、キミの優しさだよね」
「……い、今のは言葉の綾だ。寝れそうなら俺もさっさと寝るし」
「そういうことにしておこうかな」
楽しげにそう言う道明寺から視線を逸らしつつ、目の前に置いたコップを手にとり、お茶を飲む。
……マズい。よくよく考えてみれば、これから二日間。俺は道明寺と一緒に過ごすことになる。学校にいる時でも、口を滑らせそうになることがあるし、実際何度か口を滑らせたことがある。こんな調子で話を続けてたら妙なことを口走りそうだ。それこそ、道明寺に決定的な情報を与えてしまうかもしれない。
そういう意味では道明寺との会話は出来るだけ当たり障りのない内容にしたいが……そういう訳にもいかない。俺だって知りたいことは山ほどある。こうして道明寺と長時間話が出来るタイミングは有効に使いたい。
とはいえ、今は道明寺に会話の流れを持っていかれてるし、ひとまずこの流れをなんとかしないと。
「そういえば、気になってたことがあるんだけどさ」
「気になってたこと?」
「道明寺はなんで俺の家に泊まるとか、俺を家に泊めようとか言い出したんだ?」
会話の流れが変わるのを狙いつつ、頭に浮かんだ素朴な疑問をぶつける。
脈絡なく、本当に突然言い出した。道明寺が突拍子もないことを言い出すのにはまま理由はあるが、今回はまだその理由を聞いていない。
「ノーコメントって言いたいところだけれど。そうだね。あえて言うなら……こうすることで私にとって良いことで、幸せになれるからかな」
「? なんで?」
「さあね。キミはとっくに答えを知ってると思うけどね」
つつっと道明寺はコップの
道明寺の意味深な発言により、会話の流れは変わったが、それ以上に空気が変わった。具体的に言うと甘くなった。
そんな空気に当てられてか、顔が熱くなっていき、心拍数がどんどん上がっていくのがわかる。
道明寺の言葉を鵜呑みにするなら。
これが道明寺の悪ふざけでないのなら、俺は踏み込むべきだ。他ならない道明寺が誘っているんだから。
ここまでお膳立てをしてあげたんだからそろそろ気づけと、どう思っているかなんて言葉にしないとわからないと、暗にそう言われている気さえする。
ごくりと生唾を飲み込む。
言うべきか、はぐらかすべきか。
……それは道明寺がその問いを俺に投げかけてきた時から、既に決まっていた。
「好き、だからか」
「なにが?」
「なにって、その……」
「はっきり言ってくれないとわからないよ? 私、あまり勘が良い方じゃないからね」
くっ……こいつ、人が言いにくそうにしてるのをいい事に遠慮なく煽りやがって……っ! そもそもお前の勘が鈍かったら、人類の殆どが鈍感だっての!
「ああ、もう。わかってんよ! 俺が道明寺の事を好きだからだろ! これで満足か!」
全く揶揄うにしても限度ってもんがある。
いくら道明寺の気持ちを代弁しているとはいえ、俺が道明寺のことを好きだなんて、恥ずかしくて早々言えるわけが……ん?
待て。今俺なんて言った。
道明寺が俺のことを好きだからじゃなくて? 俺が道明寺のことを好きだって、そう言ったのか?
道明寺の気持ちを指摘するのではなく、俺は俺自身の気持ちを道明寺に吐露したのか。
やっちまった……とんでもない爆弾発言をかましてしまった。こうならないように発言には気をつけようって気を引き締めたばっかりだってのに。
ここはすぐに訂正すべきか? いや、訂正するとむしろリアリティが増す。ここは言い間違えたのに気づいてないフリをして、話を先に進めるべきだ。
落ち着け。落ち着け俺。ここは気づいてないフリ。気づいてないフリだぞ俺。
「よ、ようはだな。道明寺は俺を信頼してるし、好きだから、こうしてお泊まり会? をやったら幸せに感じるんじゃないかなぁ、みたいな」
苦し紛れの言い訳。適当なことを言ってるから言葉の重みなんて全然ない。おまけに目も泳ぎまくっている。これじゃあ、相手が道明寺でなくても普通にバレる。
でも、今回ばかりは頼む! 誤魔化されてくれ!
「天城くん」
「は、はい」
「私の聞き間違いかもしれないし、勘違いかもしれない。ひょっとしたら自意識過剰にも聞こえるから、不快にさせるかもしれない。でも、でもね。確認、させて」
冷えピタもマスクも外して、居ずまいを正すように、座布団の上に正座する。
「天城くんは、私のこと、好き? 友だちや人間としてじゃなく、異性として。一人の、女の子として」
言わせてしまった。訊かせてしまった。決して逃げられない問いを投げかけられてしまった。
「あー……」
そう言ったきり、言葉が続かない。
今度こそ、つまらない時間稼ぎの言い訳すら思いつかない。
数十秒か、はたまた数分か。体感ではとても長い沈黙が続いた。
その間も、道明寺はただ一点を――俺の顔を見つめたまま、俺の答えを待ち続けていた。イエスかノーか、そのどちらかの答えが出るまで、道明寺は待つ。そんな確信さえあった。
……これはもう、腹を括るしかない。
大きく深呼吸をした後、気合を入れる意味を込めて、両手で自分の顔をパンと叩く。
「ああ。友だちじゃなく、一人の女性として、俺は、天城総悟は道明寺縁のことが好きだ」
勇気を出したわけじゃない。
勝手に自爆しただけ。男らしさの欠片もない。行き当たりばったりの告白。
桐生や常盤なら、笑いを通り越して呆れるかもしれない。
近衞さんや来栖なら、この醜態を慰めてくれるかもしれない。
それぐらい、酷い告白。黒歴史になること間違い無いだろう。成功しても失敗しても、イジり倒される。
でも、これまで言えそうで言えなかったことが、伝えたかったことがようやく言えたことで、俺の心は少しだけ晴れやかだった。
多分、アドレナリンだかドーパミンだかよくわからないものがドバドバ出てるんだと思う。
恥ずかしくて死にたくなるのも後の話だ。今はただ、『道明寺に告白できた』という事実だけが俺の頭の中を埋め尽くしていた。
そうなれば、次に気になるモノは決まっている。
「俺の方の答えたぞ。次はそっちの――」
答え合わせだ。そう言いかけて言葉を失う。
泣いていた。
大きく開かれた赤い瞳。そこから溢れた大きな涙の粒が道明寺の頬を伝った。
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