類は友を呼び、天城総悟は道明寺縁を呼ぶ
「……あ゛ー、完全にやらかした」
待合室にある革張りのシートに腰掛け、鼻を啜りつつ、天を仰ぐ。
寝起きとも疲労とも違う倦怠感。唾液を飲み込むとズキズキと痛む喉。寒すぎるわけでも花粉症でもないのに垂れてくる鼻水。極め付けには呼吸をすると時たま出る咳。
素人目に見ても風邪の症状だった。
心当たりはある。
父さんが職場から風邪をもらってきたこと。風呂上がりに薄着でコンビニに行ったこと。リビングにあるソファーで寝落ちしたこと。春休みに入ったので生活習慣が不規則になったこと。
どれが原因かはともかく、引いてしまったものはしかたない。
不幸中の幸いは学校もバイトも休みなことか。風邪を引いたって言っても、これぐらいの症状じゃ休んでられない。熱も微熱程度だし。
とはいえ、薬を飲んだことで熱が出るかもしれないし、大したことがないからと動き回っても同じく熱が出るかもしれない。そうでなくても、俺が親父から移されたように、俺が誰かに移してしまうかもしれない。
自分の症状が酷くなる分にはいいが、周りの人間に移すのは心苦しい。
特に、今の道明寺には絶対移したくない。
『風邪引いたからあんまり近寄らない方がいい』なんて言っても、道明寺は気にしないのは目に見えている。なんなら『心配だから』と言って、俺の看護をしようとする可能性すらあり、一層距離が近くなるだろう。
あくまでも、俺の予想の範疇だが、これまでの道明寺の言動からして、そうなる可能性は極めて高い。
ただでさえ、調子が悪そうなところに風邪をもらいでもしたら、流石の道明寺もぶっ倒れかねない。
それだけはゴメンだ。そんなことになったら、俺は自分が許せない。
だから今が春休みで良かったと思う。ゆっくり休めるし、無闇矢鱈に出歩かなけりゃ、誰かと会うこともない。学校の外でもエンカウントすることのある道明寺も、家にいればとりあえず会わないはずだ。遊びなり勉強なりの誘いがあっても、スマホ越しに断ることはできる。
まぁ、病院から帰る途中で会う可能性もなくはないが、早々ないだろう。それこそ、道明寺も調子を崩して病院に来てるとかでもない限り……。
……なんか盛大にフラグを立てていってるみたいで嫌だな。これ以上、考えるのはやめよう。
「……天城くん?」
聞き慣れた、聞こえるはずのない声。そんな馬鹿な、と思いながら勢いよく正面に向き直る。
――いた。
普段の装いとは対照的に上下にジャージというラフな服装。おしゃれではなく、動きやすさ重視した格好は、一昨日のバイト先の時とはまた違う目新しさを感じさせるものの、すぐに俺の視線は道明寺の服装ではなく、顔の方――具体的に言うと、顔の下半分を覆うマスクの方に向いていた。
道明寺がアレルギー持ちとは聞いたことがないので、考えられる理由は一つ。
「風邪か?」
「うん。恥ずかしながら、寒暖差でやられちゃって」
気恥ずかしそうに道明寺は笑う。
もしも、これで風邪でもなんでもなく、『天城くんがいると思ったから』みたいな理由だったら、軽くホラーだ。なまじ道明寺ならそういう理由でいそうなのも怖いが。
「天城くんの方は?」
「大体同じだよ。もう暖かくなってきたって調子に乗ったらこのザマだ」
いつもなら、『仲良しだね』とか『シンクロしてる』なんて揶揄ってくる場面。こういう『偶然』が会った時に道明寺はよくそんなことを言ってくる。
さて、なんて言い返してやろうかと考えていると、道明寺は俺を怪訝そうな表情で見ながら、矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。
「本当に? 息切れや動悸がするとか、心臓の辺りが苦しいとか、後頭部が痛いとか、そういうのじゃない?」
お、おう。いやに具体的だな。おまけにどれも症状として出たら不安になるタイプばかり。
「ただの風邪だよ。信用してくれ」
「病人の大丈夫ほど、当てにならない言葉はないからね」
言い得て妙だ。確かに病気になっている本人の言葉ほど信用できないものもない。
もっとも、その場合、俺よりも気にすべき人間がいるわけで。
「その理屈で言うなら、お前の言い分も当てにならないな、道明寺」
意趣返しと言わんばかりに言われたことをそっくりそのまま返すと、道明寺は居心地が悪そうにさっと目を逸らした。
「私はだい……じゃなくて、平気だから」
「どうだかな」
そもそも大丈夫でも平気でもないから、
懐疑的な視線を向けていると、観念したように道明寺はか細い声で呟く。
「……喉が痛いし、ちょっと熱があったから……その、誰かに移す前に早く治しておきたかったたけで……重い病気とかそういうのじゃない、と思う」
「思う?」
「あくまで私の主観だし、お医者さんに聞いてみないと、本当のことなんてわからないから」
「そりゃそうだな」
気怠そうには見えるが立ってるのがやっとってわけじゃなさそうだ。とはいえ、それは素人目線の話。医者が診ればなにか深刻な病気だと言う可能性もある。
と、そこまで考えて、はたと気づく。
道明寺は俺もまだ医者に診てもらってない、と思っているから俺が『ただの風邪』と言っても、納得しなかったんじゃないかと。
「……言っとくが、俺はもう診てもらった後で、医者からもちゃんと風邪だって言われてる。今は薬を貰うのと会計の呼び出し待ちだよ。なんなら医者に聞いてくれてもいいし、後でもらう処方箋の説明書見せたっていいぞ」
見られて恥ずかしいものでもないし、道明寺がそれで納得するなら、俺はそれでいい。
「そうなんだ……良かった」
マスク越しで表情全てが見えたわけじゃない。
だが、その声音や胸に手を当てるような所作から、道明寺が本当に俺を心配していて、今の俺の言葉で心底安心したのだと言うのがわかった。
いつにも増して大袈裟だ、とは思うが、それを茶化す気になれないほど、道明寺の反応は本気だった。
それこそ、急死に一生を得たとでも言わんばかりに。
自分の方がキツいだろうに。
「安心してくれるのはいいが、俺にも安心させてほしいんだけどな」
心配だったのはこっちも同じだ。俺への心配を解消させたと言うのなら、道明寺への心配も解消させてもらうのが筋ってもんだろう。
「そうだね。私も受付してくるけど……」
道明寺の視線が受付と俺とを行き来する。
「わかってる。終わるまで待ってるよ」
そう答えると道明寺は嬉しそうに頷き、受付に向かった。
本当はすぐ帰るべきなんだろうが……今回ばかりは少し多めに見てもらおう。
◇
結論から言うと、道明寺も本人の申告通り、ただの風邪だった。お互いに処方箋に同封されている薬の簡易的な説明書に目を通したが、大体同じ内容。取り越し苦労ということで病院を出たのだが……。
「一緒に帰ろ。送るよ」
病院を出るや否や、学校から帰る時と同じような感覚で、道明寺はあっけらかんとそう言ってのけた。
普段なら二つ返事でOKと答えるのだが……
「なんで? 家の方角違うだろ」
学校からなら途中まで同じだが、この病院からだと、俺と道明寺の家とは全然違う方向にある。なので途中まで一緒……なんてことはないどころか、遠回りになる。
「ほら、病人を一人で帰すわけにはいかないし」
「それ言い出したら、俺がお前を送らないとダメだろ。症状的に重いのそっちなんだから」
「実は用事があって――」
「明日にしろ。第一、誰かに移すのが嫌なんじゃなかったのか」
「じゃあ、キミとお喋りしたいから。対面で」
ついに取り繕うこともしなくなった。
「まだ一週間以上休みあるんだぞ。わざわざこんな状態の時じゃなくていいだろ」
「こんな状態でもしたいの。ダメ?」
道明寺は頭をこてんと傾けて、こちらを覗き込むようにしながら言う。
あざとい。卑怯だ。
そう言われると強く断れないのをわかっているから、そういう風に聞いてくる。
だが、残念ながら今回ばかりは俺も心を鬼にする。他ならない道明寺自身のために。
「…………………………ダメに決まってんだろ」
「だいぶ、間が空いたね。もう一押しかな」
「一押ししても、二押ししても答えは変わらねえよ。ダメなもんはダメだ」
「そうは見えないけど?」
俺の心を見透かしたように道明寺は嘯く。
実際、少しだけならいいかと思っている俺と、早く休んでほしいと思っている俺が内心せめぎ合っている。今のところは早く休んでほしい気持ちが優勢だが、道明寺の言動次第では一気に形成逆転もあり得るだろう。
こういう時に残された手は一つ。
「わかったよ。じゃあ、一回だけチャンスやる。じゃんけんして俺が勝ったらここで解散。道明寺が勝ったら、家に帰るまでお喋りに付き合ってやる」
そう提案すると道明寺は驚いたように目を瞬かせる。
「いいの? 天城くん、じゃんけんで私に勝ったこと一度もなかったはずだけど」
「確かに普段なら負けるかもしれないな。ただ、今のお前は春休み前より調子が悪い。おまけに熱もある。そんな状態でいつものようなパフォーマンスが出せるかな?」
「そうかもね。もしかしたら、これがキミの記念すべき初勝利になるかもだ」
軽く挑発してみるが、適当に流されている。体調面の不利を考慮しても、道明寺は俺に負ける可能性を全く考慮していない。
もちろん、俺も勝てる自信はあまりないが……。
「吠え面かかせてやるよ。せーの」
「「じゃんけん、ぽん!」」
俺が出した手はチョキ。
道明寺が出した手はグー。
「吠え面かかせてくれるんじゃなかったの?」
ふふん、と勝ち誇った様子で煽ってくる道明寺。
普通に負けた。なんというか、当然の結果ではあるので別段ショックとかはない。なんなら、ここまでは想定済みだ。
「負けたモンはしょうがない。じゃあ、帰ろうぜ」
「うん」
満足げに頷くと、道明寺はおよそ病人とは思えぬほどの軽やかな足取りで歩き出す。それにつられるように俺も道明寺の一歩半ほど後ろを歩き出す。
病院の敷地を出てから右に曲がり、数歩歩いたところで、服の端をぐいっと引っ張られた。
「ちょっと待って。そっち、私の家の方向なんだけど」
「そうだな。それがどうかしたか?」
「私、じゃんけんに勝ったよね? 家に帰るまでお喋りに付き合ってくれるって話だったと思うけど」
「俺は帰るまでとは言ったが、どっちの家かは言ってない」
そう指摘すると道明寺は小さく「あっ」と声を上げてから、ジト目で俺を見てくる。
「らしくない。ちょっと姑息だと思うんだけど」
「らしくないのはお互い様だ」
そもそも、いつもの道明寺なら、こんな簡単な言葉遊びにもすぐに気づいていた。
気づかなかったってことは、そういうことに頭が回らないくらいにはキツいって事だろう。
「……もう一回じゃんけんしよ。次はどっちがどっちの家に送るかで」
「しない。チャンスは一回って言ったろ」
それに今のやりとりで尚更俺の家まで来させるわけにはいかなくなった。
一人で直帰させるのも心配なのに、俺を送った後で体調が悪化されたら困るし、ぶっ倒れて救急車なんて羽目になろうものならマジで洒落にならん。
俺がじゃんけんで勝てば、道明寺を無理矢理納得させることもできるんだが、悲しいかな、今の道明寺相手でさえ、勝つのは難しい。おかしいと思うが、これが現実なのだ。
だから、そうならないようにチャンスは一回だけと指定したのだ。
「で、どうする? お前が嫌って言うなら、この場で解散する方向になるけど?」
「…………嫌。一緒に、帰る」
不満なのを隠しもしない様子で道明寺はそう答え――俺の左手に指を絡めるように手を繋いできた。
俗に恋人繋ぎと呼ばれるそれに、ぎょっとして、道明寺の方を見た。
「こうすれば、大丈夫、だから」
向こうも流石に恥ずかしいのか、伏し目がちに言う。
なにが大丈夫なのか、少なくとも俺の方はさっきよりも大丈夫じゃなくなった。心臓のあたりが特に。隣にいる道明寺に聞こえるんじゃないかってくらいにうるさかった。
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