たった一歩、されど一歩

「で、いつ告白するの? 愛しの、えーと、道明寺ちゃんに」


 バイト中。


 ピークタイムを過ぎたことで入店する足も止まり、注文が疎になり始めた頃。


 空き皿やらお手拭きの補充を終え、ホールから戻ってきた俺に開口一番、揶揄いまじりにそう言ってきたのは俺より三つ年上の女子大生――近衛このえさんだった。


 俺は下げてきた皿やらをキッチンの洗い場担当のスタッフに渡しつつ、答える。


「それ、誰から聞きました?」


「秘密。情報提供者の秘密は守らないと」


「流石、掛け持ちで交渉人ネゴシエイターやってる人は口が堅い」


 とはいえ、情報提供してそうな人間の目星は大体ついてるっていうか、あいつらしかいないし。


「そんな大それたもんじゃないって。私がやってるのはただの助手アシスタント。それも依頼人とうちの石頭が喧嘩しない為の緩衝材クッション的なやつ。もうストレスが凄いのなんの」


 はぁ、と深いため息をつきながら、愚痴る近衛さん。こんなこと言ってるから仲が悪いのかと思いきや。


「その割には、付き合ってるんですよね。その石頭の人と」


「ん。まあね。成り行きっていうか、色々やってたら自然にね。あいつには私が必要で、私にはあいつが必要だったから。それだけの話」


「惚気なら、バイト終わった後に聞きますけど」


「惚気……んー、そうとも言うし、そうでもないかな。理屈じゃなくて感覚。考えるな、感じろ的な」


「はぁ……」


「まぁ、そのうちわかるって。だ・か・ら。はい。言うことはさっさと言っとく。先延ばしにしてたって良いことなんてないんだから」


「そりゃ……はい。わかってるつもりです」


 桐生や常盤にも似たようなことは言われた。


 だから、まあ。ある程度、俺がどうすべきか、俺はどうしたいか、なんてことは決まっていて。


 そこから先は行動を起こすか、起こさないかのどちらかだけだ。


 と、言えば聞こえはいいものの、有体に言えば、単にビビってるだけだ。桐生の言葉で言うなら日和っている。


 もしも振られたら。俺も含めた周りが勘違いしているだけで、道明寺にはその気がなかったら。


 結局、その後が怖いんだ。


 道明寺から感じる違和感の正体とか、体調を崩している本当の原因とか、俺への隠し事とか。


 それらしいは色々理由はある。でも、どれも


 俺が勇気を出しさえすれば、たった一言伝える勇気があれば、そのラインは越えられる。


 先延ばしにしているのは、どんなお題目があっても、やっぱり俺のせいだ。


「まぁ、振られたら振られたで、ご飯奢ってあげるから。とりあえず、当たって砕けろの精神で!」


 サムズアップしながら、近衛さんは言う。


 なんで俺の周りにいる人間は揃いも揃って、焚きつけるのに玉砕することが前提なんだろう。やっぱり脈なんて無いんじゃないだろうか。


「え。天城先輩、ついに告るんですか?」


 これまた絶妙なタイミングでホールから出勤してきた後輩女子――来栖くるすがやや驚いた様子で言う。


「いや、まだしない。っていうか、俺から告るのは前提なのか」


「それはまあ……あんなに好き好きオーラ全開でわかりやすくて自分から告白しないってことは『待ち』以外なくないですか?」


 さも常識だと言わんばかりの口ぶりだったが、近衛さんの方を見ると、どうだろう、と肩を竦めていた。


 そんな俺たちの反応の方がおかしい、と言わんばかりに、来栖は抗議の声を上げる。


「え。普通、好きな人に告られたいって思いません? 絶対付き合えますし、両想いってわかったらめちゃくちゃ嬉しいし、なによりアドバンテージがあるから立場的には上ですし、良い事づくめじゃないですか」


「言ってることはわかるんだけどね……最後のは流石にちょっと」


「それ、そもそも根拠あるのか?」


「友だちがそう言ってたんで、そうなんじゃないですか? 私はそういう経験ないので知りませんけど」


 根拠のあるなし以前に自分の経験談でもなかった。他人事とはいえ、流石に適当すぎだろ。


「でも、向こうが『待ち』っていうのは、大体当たってると思いますよ。そういうのは経験はなくても、勘で大体わかりますから」


「そういうもんかね」


「そういうものです」


 この後輩。情報の出所とか信憑性に欠けるものの、勘が良いのは事実だ。バレンタインの翌日。バイトで一緒になった時も、『チョコ貰えました? 良かったですね』なんて言ってきたし。


 その時、店内に入店音が響く。


 三人揃って、『いらっしゃいませー』と言いつつ、店の入口の方に視線を向けると、そこには女子が二人立っていて……俺は小さく『げっ』と呟いた。


 二人のうちの一人――道明寺はこちらを見ると、ひらひらと手を振ってくる。


 もう一人の女子の方は道明寺と俺を交互に見て、不思議そうな顔をしていた。見覚えのない顔なので、他校の友だちだろうか。道明寺の人当たりの良さを考えれば、いてもおかしくない。


「噂をすればなんとやら、ですね。VIPが来られましたよ、先輩」


 そう言って、口に手を当ててにやにやしている来栖を睨む。これが同じ男子なら引っ叩いていたところだ。


 いつもなら普通にご案内に向かうのだが、なんというか、間が悪い。


 さっきあんな会話をしていた手前、妙に気恥ずかしい。正直、近衞さんか来栖のどっちかにしてほしい。


 そう思っていると、偶然お客様が荷物を持って、席を立ったのが見えた。


 これはチャンスだ。会計の方に行って、ご案内はどちらかに――


「あ、私はお会計の方してきますね」


「じゃあ、私はバッシングしてくるから。お客様のご案内、よろしく〜」


 ――なんて思ったのも束の間。さっきまでの雑談が嘘だったかの如く、二人はそそくさと業務に戻る。しかも、当然のように道明寺たちお客様のご案内以外の。


 友だちや知り合いが来たら、接客を譲るのはよくあることだが、このタイミングだと悪意しか感じない……っ!


 とはいえ、俺個人としても、店員としても、無視はできない。


 できるだけ自然に、普段通りに、あくまでも一従業員として対応する。


 そう心に決めて、二人の待つ店の入り口へ向かう。


「いらっしゃいませ。何名様でしょうか」


「二名です」


「かしこまりました。お席へご案内します」


 営業スマイルを浮かべつつ、そう言って、店の奥にある窓際の席へと案内する。


「当店のご利用は初めてでしょうか?」


 二人が席に着いたのを確認して、俺は接客時における常套句を口にする。


 もちろん、道明寺がこの店を利用しているのは今回が初めてでないことは知っている。道明寺のお連れさんが初めての可能性はあるし、そうでなくても、とりあえず聞いておくのがルールだ。


「私は大丈夫です。以前、店員さんに教えていただきましたから」


 こちらをじっと見て、『親切な』の部分を強調して言う道明寺。やめろ、そんな意味ありげに言うんじゃない。


「沙耶ちゃんは?」


「へ? あ、ああ。私も大丈夫。向こうにいる時に行ったことあるから」


 沙耶ちゃん、と道明寺に呼ばれた女子は僅かに反応が遅れたものの、大丈夫だと首を何度も縦に振る。


「では、メニューの方はお決まりでしょうか?」


「私は季節限定いちごパフェとホットコーヒーにしようかな。ミルクと砂糖有りでお願いします」


「私も同じので。あ、ミルクと砂糖は無しで」


「かしこまりました。季節限定いちごパフェ二つ、ホットコーヒー、ミルクと砂糖有りがお一つ。ミルクと砂糖無しがお一つ。以上でよろしいですか?」


「あ、すみません。もう一つ注文良いですか?」


「はい。なんでしょう」


 なんとなく嫌な予感がしながらも、店員として聞かないわけにはいかないので、渋々聞くと、道明寺は悪戯っぽい笑みを浮かべて言う。


「スマイル一つ、お願いします」


「そういう店じゃねえよ!」


 流石にツッコんだ。



 ◇



「……こちら季節限定パフェが二つ。コーヒーのミルクと砂糖有りが一つ、コーヒーのミルクと砂糖無しが一つです」


「ありがとう」


「ありがとうございます」


「では、ごゆっくりどうぞ」


 何事もなかったかのように、一礼して戻っていこうとすると、ちょいちょいと、服の端を引っ張られる。


「店員さん。さっき注文したスマイルが、まだ届いてません」


「そういう店じゃないって言っただろうが……」


「えー、別に良いと思うんだけど。減るモノでもないし」


「まだ言うか……」


 減るモノはなくても、羞恥心があるんだっての。そもそも、『笑って』って言われて笑うのなんて、同性の友だち相手でも恥ずかしいのに、意識している異性の友だちと面識のない人間がいるところでスマイルなんてできるか。


「縁。その辺にしときなよ。天城くん? と仲良しなのはわかるけど、今は仕事中だし、私とお茶しに来てるってこと、忘れてない?」


 思わぬところから助け舟が出された。


 こればかりは道明寺もやらかしたと思ったらしく、俺の服から手を離し、両手を前に合わせて、謝罪のポーズを取る。


「あー、ごめん。そうだった。天城くんを見るとどうしても揶揄いたい欲が……」


「はいはい。その辺のはあとでたっぷり聞かせてもらうから。とにかく仕事の邪魔はしないこと。わかった?」


 言っている事は全て正論とはいえ、あの道明寺縁がうまく言いくるめられている。


 うちの学校ではまず見られない光景だ。まさか他校にこんな猛者がいたとは。


「わかった……スマイルはまた今度にするね」


 そこはもう諦めてくれよ……。


「ところで、天城くん」


「なんだ?」


「これ? 似合ってる?」


 そう言って道明寺が手に持って見せてきたのは、三つ編みに束ねて横に垂らした髪。それとその先に結んである赤いリボン。


 それは間違いなく、つい先日ホワイトデーのお返しとして俺が渡した代物だった。


 白のニットと、その上から羽織られたベージュのロングカーディガン。黒のロングスカートとスニーカー。


 大人しめの服装は道明寺の雰囲気と相まって、年上のような印象を受ける。


 そこへ普段見ない赤いフレームの眼鏡とふわりとした髪型も加わって、大学生と言われても違和感のない仕上がりになっていた。


「……」


 はっきり言って、似合ってる。店に入ってきた時、来る店を間違えてるんじゃないかと思うくらい、道明寺縁は綺麗だと思った。


 髪を結んでいるリボンにも気づいてはいた。道明寺が普段しない髪型だったし、俺も渡した時、使ってくれる事を期待していたから。


 ただ、照れや気恥ずかしさもあって、自分から言い出せなかった。近衛さんと来栖との会話の流れで妙な気まずさも要因ではあったものの、結局それだった。


 そして今も、似たような理由で言い淀んでいた。情けない限りだ。


 でも、俺はそれを言葉にする必要がある。どんな意図があれ、結果的に道明寺は俺にその機会をくれたんだから。


「その、いつもよりも大人っぽく見えるし、その服も髪型も眼鏡もめちゃくちゃ似合ってる。いつもの道明寺とはちょっと違う感じだけど、結構レアな感じがして俺は良い、と思う」


 そう答えると、道明寺は目を瞬かせて、ポカンとした表情でこちらを見ていた。


「なんだよ。もしかして俺が恥ずかしがって素直に褒められないと思ってたのか?」


 いつもとは逆に、俺が揶揄いまじりにそう言うと、道明寺はこくりと頷く。


「……うん。思ってた。とりあえずその場しのぎで適当に良いっていうか、うまく答えられなくて、捨て台詞を残して、逃げ出すところまでは予想してました」


「残念だったな。そう毎回思い通りにいってたまるか」


 勝ち誇ったように言ってやるものの、正直普段の俺なら、道明寺の言う通り、うまく言葉が出ずに、かといって無視もできずに、捨て台詞を残して逃げ出していた。


 そうせずに済んだのは近衛さんのアドバイスか。来栖の実質根拠無しかつ他人の経験則か。はたまた、道明寺のしつこさからか。


 いずれにしても、俺は一歩踏み出したような気がした。それは多分、良い事だと思う。


「そっか……毎回同じ通りにいかない。当たり前といえば当たり前、だよね」


「道明寺?」


「褒めてくれてありがとう。凄く嬉しかった。じゃあ、天城くんもお仕事頑張ってね」


 今日一番。嬉しそうな笑顔を見せて、道明寺は言う。


 今日は一段と仕事が頑張れそうな気がする。


 理由はわからないけれど。今日はいつもより頑張れそうな気がする。そう思った。


 なお、バイトが終わった後、この時のやりとりについて、近衛さんと来栖に質問攻めを喰らう羽目になった。

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