本当に知りたいのは

 まだほんのりと二月の寒さが残る三月の半ば頃。


 三年生の卒業式を終え、授業も午前中だけになり、来週にはいよいよ春休みを控えているということで、俺を含めて大半の生徒が既に浮足立っていた。


 惜しむらくは今週の掃除当番なことぐらい。


 別に掃除嫌いってわけでもないが、こういう短縮授業のタイミングでやるとなると、少しだけ損をした気分になる。運悪く、もう一人の掃除当番はインフルエンザで一足早く春休みに入っちまったし。


 おまけにジュースを奢る代わりに桐生とか常盤あたりに手伝ってもらおうかと思っていたのに、まさかの二人を含む男子全員がSHRが終わった瞬間に蜘蛛の子を散らすように教室から出ていったから頼む暇もなかった。


 それに呆気に取られている間に、女子の方も何かを察したように教室からいなくなったので、もうお手上げ状態。


 不幸中の幸いだったのは、道明寺が手伝ってくれていることだが……正直なところ、道明寺に手伝ってもらうのは気が引けていた。


 と言うのも、ここ最近道明寺の調子が良くない。


 本人に聞いても『大丈夫』の一点張りだし、今のところ俺以外の人間が道明寺の体調を心配している様子もない。加えて、俺はその調子が悪いはずの道明寺に相も変わらずゲームでボコられている。


 気にしすぎだと言われればそれまでだし、俺が気にしすぎると、道明寺に変な気を遣わせる。それじゃ意味がないどころか、逆効果だ。


「難しい顔してるね。手も止まってる。なにか悩み事?」


 道明寺に言われて、いつの間にか、自分の手が止まっていたことに気づく。


「あー、悪い。手伝ってもらってるのに」


「別にいいよ。私としてはそんなに考え込むことの方が気になるし」


「いや、大したじゃねえよ。いくらなんでもここまで負け続きっていうのもおかしいと思って」


 普段から度々指摘している手前、ここで面と向かって『道明寺の体調が気になっていた』なんて言えば、かえって気を遣わせるので、咄嗟に別の答えを口にする。


 まぁ、噓は言ってない。そこまで悩むほどじゃないが、気になってはいるし。


「……へぇ、もしかしてイカサマ疑ってるの?」


「まさか。でも、なにか理由はあるだろ。例えば俺だけに通じる必勝法を知ってるとか」


 道明寺とジャンルを問わず対戦すること実に百回以上。悲しいことに俺はいまだに道明寺に土をつけられずにいた。


 初見のものから慣れ親しんだものまで、お互いの都合が合えば挑んで、その度に玉砕している。ちなみにこれはタイマンでの挑戦のみで、他の友だちがいる時の負けも入れると二、三倍くらいになる。


「んー、じゃあ、私が有智高才のスーパー女子高校生だから、ってことで」


 少し考えるような素振りを見せたかと思ったら、胸を張って、自信満々で言ってのける。


 自信過剰にも取れる発言だが、道明寺を知っている人間からすれば、それが事実だとわかるはずだ。


 世界一と言うつもりはないが、道明寺が凄い人間であるのは間違いない。


「それに体力勝負とか純粋な力比べなら、普通に負けるよ。天城くんは絶対納得しないだろうけど」


「そりゃな」


 本人曰く、高校に入学するまであまり運動をしてこなかったので苦手らしい。


 さすがに相手が苦手って公言してるもので勝っても全然嬉しくない。むしろ、後味が悪いくらいだ。勝負するならなるべく条件はイーブンじゃないと。


 まぁ、その結果がこの有様なわけだが。


「で、なに隠してるんだ?」


「誤魔化せてなかったかー」


「今ので誤魔化せるわけないだろ……」


 むしろ、なんで誤魔化せると思ったんだ。棒読みなあたり、自分でも誤魔化せてないのはわかってただろ。


「んー。隠し事ね。もちろんあるよ。っていうか、ない人なんていないでしょ」


「そういうのじゃなくてだな……」


 うまくは言えないが、俺がやろうとしていることが道明寺には見透かされてるような気がする。裏をかこうとするんだけど、さらにその裏をかかれる的な。


 それこそ心を読まれているんじゃないかと思った時もある。いくら、道明寺でもそんなことはできないだろうが、それに近いことなら出来てしまいそうな気はする。


 それだって頭が良いからってだけで出来る芸当じゃないと思う。


「ようは私が天城くんに勝てる理由とか方法を知りたいって事だよね」


「だな」


「うん、教えてあげない」


 迷うことなく、いつものように微笑みながら、きっぱりと道明寺はそう言った。


 いや、いつもと違う。初めて道明寺から明確に拒絶の意思を感じた。


 冗談や適当なことを言ってはぐらかすのではなく、『これ以上は来るな』という警告。


 俺としては、手品の種明かしをしてもらうくらいのつもりで聞いたんだが……道明寺にとっては触れてほしくないものだったらしい。


 誰だって聞かれたくないことの一つや二つある。道明寺だってそれは同じはずなのに。


 甘えてた。みんなと同じように、『道明寺なら大丈夫だ』と思ってしまっていた。


「悪い。今のは」


「まぁ、条件次第では教えてあげるけど」


「むし……え? なんだって?」


「タダで教えると損をした気分になるだけで、絶対に言いたくないわけじゃないからね」


「ああ、そういう……」


 どうやら聞かれたくない話ってわけじゃないらしい。良かったと思うべきか、さっきの罪悪感やらを返してくれと言うべきか。


 まぁ、自分の隠してること、ようは秘密を教えるんだから、条件や約束があるのは当たり前だよな。


「で、その条件って?」


「天城くんが隠してることも教えて」


「教えてって言われてもな……道明寺が知りたいことなんてないと思うぞ」


「大丈夫。それは私が決める事だから」


 隠してる事がないわけじゃない。さっき道明寺が言った通り、誰でも隠し事の一つや二つはあると思う。


 でも、それが知りたい事かどうかは別だ。


 少なくとも、俺が隠してる事で道明寺が知りたい事があるとは思えない。


 まぁ、本人がそれでいいっていうなら、それでいいけどさ。


 しっかし、隠し事ねぇ。


「なんでもいいのか?」


「うん。でも、意外性がないと、天城くんのご期待に添える結果は得られないかも」


 ようは話す内容自体はなんでもいい。


 しかし、俺が聞きたいことを聞くには、道明寺があっと驚くような秘密を告白しなきゃいけないってことか。


 ハードル高くないか? 俺、道明寺が驚いてるところあんまり見た事ないんだけど。


「それと一つ。注意点があります」


 そう言って、道明寺は手にしていた箒を壁に立てかけて、人差し指を立てる。


「噓は禁止。公平性に欠けるからね」


「了解」


 当然といえば当然のルールだ。


 嘘をつき始めたら、このやりとり自体が無意味になる。そもそも道明寺相手に嘘を突き通せる自信がないし、二言目を話す前に見抜かれそうだ。


 ……まぁ、逆に道明寺が嘘をついてても、見抜ける自信もないけど。


「ちなみに、もし嘘ってわかったら?」


「天城くんに遊ばれたって言いふらす」


 うん。冗談でも嘘のことを教えるのはやめよう。二度と学校に来れなくなりそうだ。


「決まり。じゃあ、早速どうぞ」


「へ?」


「私の秘密、知りたいんでしょ?」


「そりゃそうだけど俺も話すとなると日を改めた方がいいと言うか厳正なる審査が必要と言いますか下手すると黒歴史が増えるので今日はやめておいた方が良くないですか本当に」


「大丈夫っ。それは私も同じだから」


「なにも大丈夫じゃないが? 二人とも死ぬだけで俺が死ぬという事実に変わりはないが? それとも道明寺は俺と一緒に死ぬのが御所望なのか?」


「いいね、それ。キミと一緒に死ぬ……なんだろう。言葉以上に心地いい響きかも」


 道明寺はまるで俺の言葉を心に刻んでいるかのように。右手を左手に重ねて、自分の胸の上に置く。その所作はまるでなにかに対する儚い祈りのようにも見えた。


 まぁ、それはそれとして。


「今のそういう意味じゃないし、俺は誰と一緒でも死にたくないからな?」


 そもそも今のは死ぬって言っても社会的死や自尊心と言った自分の心や立場を支えるモノを指しているのであって、物理的に死ぬわけじゃない。


「ふふっ、知ってる。冗談だよ」


「冗談言ってる顔には見えなかったけどな」


 特に目がマジだった気がする。


「冗談だってば。それより、ね」


 そこで言葉を区切ると、道明寺がこちらに近づいてくる。


 一歩、二歩、三歩。


 離れていた距離がどんどん縮まっていく。


 二メートル、一メートル。それよりももっと近く。手を伸ばせばすぐ届くような距離で、道明寺はようやく止まる。ようは目の前。


 ……いや、近くない? 後、圧がすごい。


 「天城くんの秘密、教えて?」


 目を潤ませながら、さらに距離を詰めてこようとする道明寺。もう数十センチしかない距離もどんどん縮まって――


「言う。言うから、一旦、離れて」


 ――息がかかりそうなくらい近くなったところで色々と限界が来た俺は、空気に飲まれる前に道明寺の肩に手を置いて軽く押し返した。


「……こ、これで、冷静じゃなくなった?」


 頬をりんごのように赤くして、俺が手を置いた肩も、声も、震えている。


 自分からやっておきながら、明らかに動揺しているのがわかる。いつものような余裕がどこにもない。捨て身の悪戯こうげき


 ――やられた。


 今ので考えていたことも、思い出せそうだったモノも、全部吹き飛んだ。

 

 今思いつく物の中で話しても良さそうなものを考える。当たり障りがなくてもいい。今はこの場を乗り切れそうな、それでいて道明寺に言ったことのない秘密を思い出せ。


 しくじるな。考えろ考えろ考えろ。


 考えたのはおそらく十数秒程度。それでも思考停止しかかった脳をフル回転させ、記憶を掘り起こす作業に全力を注いだからか、その十数秒の間の静寂が、とても時間が長く感じた。


「……そうだな。前に猫が苦手だって話しただろ」


「だね」


「その理由なんだけど、小学生の頃、近所の飼い猫を抱っこしてる時に横にいた友だちが脅かしてきてな。俺もびっくりしたんだけど、それ以上に猫が驚いて、手とか腕とかそりゃもうめちゃくちゃ引っかかれたんだよ」


「へぇ。それで猫が苦手なんだ」


「猫は悪くないし、可愛いとは思うんだけどな」


 手も腕もひっかき傷で血だらけだし、そんな状態で泣いてる俺を見て、友だちもテンパって泣くとかいうカオスな空間だった。


 その結果、猫が苦手になった。苦手といっても、警戒して距離を取ってしまうくらいのもので、見たくもないとか逃げ出すとかそういうレベルじゃない。


 まぁ、向こうにもこっちが警戒してるのが伝わってるのか、よっぽど人懐っこい猫以外は近づいてくることもあんまりないけど。


「俺の話はこれで終わり。次はそっちの番だ」


「それじゃあ、私からも同じような話をさせてもらおうかな」


「ってことは」


「残念。今回は四等でした」


 なんでくじ引き式? しかも四等ってまた微妙だな。はずれじゃないけど、当たりかどうかは景品次第みたいな。


 まぁ、今回は道明寺に話したことのない俺の秘密を教えるだけで良かったから、OKが出ただけでも良しとしよう。


「それでも聞く?」


「もちろん」


 そういう約束だし、でないと俺の話し損になってしまう。


「私、夢が苦手なんだよね。あ、夢っていっても寝てる時に見る方ね」


「にしても、苦手ってのはあんまり聞いたことないな。どんな夢だ?」


「だいたいは昔の夢。あとは……こうなって欲しいっていう理想の夢」


 昔の夢はなんとなくわかるけど、理想の夢なんだよな? 良い夢を見た、とはならないんだろうか。それとも夢は夢でしかないから虚しいとか?


 どっちにしても、夢が苦手っていうのは難儀なもんだ。自分の意思で見る見ないが選べないわけだし。


「まぁ、苦手っていってもほぼ毎日見てるから慣れてるんだけど。それはそれとして苦手なものってことで」


「そこをどうこういうつもりはねえよ」


 あくまで言い合うのは秘密だけ。慣れたとか克服とかはあまり関係ない。弱点を教えてほしいわけじゃないし。


「一応聞くけど理由とかあるのか?」


「理由は……色々かな」


「色々って?」


「色々は色々だよ。聞きたいなら、もう一回挑戦する?」


 ようは答えたくないってわけね。


 気にならないって言えば嘘になるけど……。


「いや、今日はやめとく。上手いこと乗せられそうな気しかしない」


 さっきでさえ、危なかったのに、今の状況でこれ以上聞こうとしたら言わなくていいこと黒歴史をうっかり漏らす自信がある。それだけはマズい。


「ああ、残念。……妙なところで察しがいいんだから」


「それ褒めてんのか?」


「褒めてるよ。それでもって厄介だし、悩みの種なんだよね。どうすればいいかな?」


 俺に聞くことじゃないし、どうにかされると困るのは俺なんだよなぁ……待てよ。まさかとは思うが、ここ最近道明寺があまり調子が良くないのも俺の――


「違うよ」


 考えていることが顔に出ていたのか、道明寺は優しく諭すように、けれども凛とした声でそう否定する。


「大丈夫。キミのせいじゃない。キミはなにも悪くないから」


「そこまで言われると、かえって心配になってくるんだけどな」


「ごめんね。でも、本当に、キミのせいじゃないんだ」


 それは一瞬だった。気のせいだと思うくらいの僅かな時間に道明寺が見せた、うれいを帯びた表情は俺の心を酷くざわつかせた。


 知らない表情かおだった。俺の知る道明寺縁とは無縁の、見てるこっちが辛くなりそうなくらい苦しくて、痛ましい。そんな表情かおだった。


 思わず、言葉を失い、ただ道明寺を見ていた。


「おっと、話し込んじゃったね。掃除、戻ろうか」


 いつもの表情かおに戻るとそう言って、道明寺は踵を返し、掃除を再開する。


 その背中に「ああ」とだけ返して、俺も掃除を再開する。


『隠しごとがない人間なんていない』。


 掃除をしている間、道明寺のその言葉が、さっきの表情かおが、俺の頭の中でリフレインしていた。

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