彼岸のキミへ

 明日、もし世界が終わるとして。


 そんなありもしない他愛のない話をしたのは、いつだったか。


 あなたは『今を後悔しないように生きたい』と答えた。


 あなたが答える前から、なんとなくわかっていた。


 明日死ぬとわかっていても、あなたはいつもと変わらぬ日常を過ごすように生きるだろう、と。


 それが嬉しかった。


 少し、残念だった。



 ◇



「おはよう、道明寺さん!」


「おはよう、桜井くん」


「おはようございます。道明寺さん」


「おはよう、南條さん」


「あ、道明寺さん! おっはよー! 相談に乗って欲しいことがあるんだけど後で良い!?」


「おはよう、日代さん。相談だけど、SHRが終わった後で、聞かせてもらうね」


 教室に入るなり、始まったのは挨拶の応酬。挨拶自体はこの学校の生徒を含めて、登校中に出会う人ともするものの、押し寄せるという意味では、この瞬間がピークだ。


 我先にと挨拶の言葉を投げかけてくるクラスメイト一人一人に丁寧に挨拶を返しながら、私は窓際にある自分の席へ向かう。


 怒涛の挨拶ラッシュが終わると、みな自分の、あるいは友人たちとの時間に戻っていく。


 遠巻きに自分の話をされるのに慣れたのはいつ頃からだったか。今では手放しに褒められても、背中のむず痒さは特に感じない。


 元々、他人からの評価はどうでもいい性格たちだったけど、それは日を追うごとに悪化していった気がする。


 好かれようが嫌われようがどちらでもいい。ただ、面倒が増えるし、そっちの方が都合のいいことがあるから、好意的に思われるよう振る舞っているだけ。


「おはよう、天城くん」


 それにみんなに挨拶をすれば、ごく自然に天城くんへ挨拶できる。


 結局のところ、一番の理由はそれだった。


「ああ、おはよう、って……なんかあったのか」


「え?」


 私の顔見るなり、天城くんはそう言った。


 あまりに唐突だったので、思わず間の抜けた声を上げてしまう。そんな状態でも、動揺して鞄を落とさずに、ごく自然に机の横にあるフックへかけられたのは、身に沁みついた所作だからか。はたまた、『理想の私』ゆえか。


 いずれにしても、動揺は胸の内に押しとどめることができていた。


「なに、藪から棒に」


「いや、最近顔色が悪いような気がしてたんだ。今日も、ほら、隈できてるだろ」


 そう言って、天城くんは目の下を指で差す。


 心臓が跳ねた。


 自覚はあるし、気をつけていた。


 いつも通り、振る舞っていたつもりだし、メイクで上手く誤魔化しているつもりだったのに、どうやらバレていたらしい。


「もうすぐ三年生だしね。悩みごともあるよ。色々とね」


「色々、ねぇ……」


 どこか釈然としない様子で天城くんは呟く。天城くんにとって、私は悩み事と縁遠い人間という認識なのか、はたまたはぐらかすような物言いに引っ掛かりを覚えたのか。


 うまく返したつもりだったけど、天城くんには気づかれてしまう。


 本当によく見ている。見てくれている。


 だから些細な変化にも気づく。


 それは嬉しいけど、あまり深く追及されても困ってしまう。


 うん。誤魔化してしまおう。好意を無碍にするのは心苦しいけれど。


「しかし、よく気づいたね。キミ以外は気づいてなかったし、私もメイクには自信があったから、上手く騙せていると思ったんだけど」


「いや、俺もなんとなく違和感あるなって思っただけで、多分道明寺が気のせいって言ったら、それで納得してたぞ」


「だとしても、キミ以外はその違和感に気付かなかった。いつも、しっかり相手のことを見ているキミだから気づけたのかな? それとも、私が相手だから?」


 意地の悪い質問だ。天城くんが困ることをわかっているのに。


「そう言われると……そうかもな」


 予想外の答えに思わず目を瞬かせる。


「意外だね。いつもなら、動揺するのに。どういう心境の変化?」


「別に。露骨にからかおうとしてたから、なんも思わなかっただけだ」


「ふーん」


 と、天城くんは言っているが、いつもその露骨なからかいに動揺していたのがこれまでだった。


 その気がないのはわかっているけど、思わせぶりな態度に動揺してしまう。というのが傍目からすぐわかるぐらい。


 そのせいか、その時は少しやりすぎたかなと思うけど、次の日にはまたからかいたくなってしまう中毒性があった。天城くんの友人たち――確か桐生くんと常盤くんも『イジりがいがある』と言っていて、心の中で強く頷いたのは記憶に新しい。


 ……本当になにかあった? あまり心当たりがない。


 単に話題を逸らそうとしただけなのに、かえって気になることができてしまった。


 根掘り葉掘り聞きたいところだけど……誤魔化すということは話すつもりがないのだと思う。天城くんはそういうタイプだ。


 でも、知らないままというわけにもいかないし、今日中には調べておく必要がある。他にもやることはあるけど、これが最優先事項だ。


「……本当に大丈夫か? 調子悪いなら、保健室行くとか早退するとかした方がいいぞ」


 天城くんは怪訝そうに問うてくる。


 いけない。これ以上は本気で心配させてしまう。


「大丈夫……だけど、そうだね。あまり体調が優れないようなら、仮眠でも取らせてもらうよ」


「ならいいけど……その時は言えよ。保健室まで付き合うからな」


 っ――こういうことを至極当然のように言う。


 私のような攻利的で独善的なものではなく、『友だちだからこれぐらいするだろう』という認識なんだろうけど、やられる方としてはとても心臓に悪い。


 嬉しいのは嬉しいけど、寿命が縮む。なんというか、幸福の供給過多というか。良いことがあるのに越したことはないけど。


 とはいえ、こればかりは、先に惚れた弱みなのでどうしようもない。


 なにせ、最初の頃はその場から走り去るレベルで動揺していたし、ある程度慣れた今でさえ、表面上は取り繕えているようになっているけれど、全然冷静じゃない。


 落ち着け、私。表情を緩めすぎるな。いつも通り。いつも通り。


「そう、だね。その時、は、お願いします」


 声が上ずらないよう、努めて平静を装いつつ、そう言い、逃げるように会話を切り上げる。本当は可能な限り話していたいが、このままだとボロが出そう。というか、出た。


 いけないいけない。天城くんが相手だから多少はしかたがないとはいえ、少し気を引き締めないと。


 終わりはすぐそこまで来ているというのに、こんなことではまたあの悲しみを繰り返すだけになってしまう。


 これが最後の機会なのか、それともまだ次があるのか。


 あるいは――終わりのない地獄か。


 私にはわからない。関係がない。


 それは私が諦める理由にはならない。私の足が止まる理由にはならない。


 涙は枯れ果てている。嘆くことも、慟哭することもない。


 あの日。


 彼と、そして未来を喪った時にすべて流れたのだから。これまでも、これからも、私から溢れるのは、この激情想いだけだ。それだけで、私は生きていける。



 ◇



「んっ……あれ? ここは――」


 目を覚ました私の視界に映ったのは、リビングの天井だった。どうやら自分の部屋のベッドではなく、ソファーで眠ってしまっていたらしい。


 なんでこんなところで寝ていたんだろう。というか、眠ってしまう前まで私はなにをしていたんだろう。記憶が曖昧だ。


 そんなことを考えながら、体を起こして、軽く伸びをしていると、キッチンの方から足音が近づいてくる。


「あ、起きたのか。ちょうどよかった」


 本来なら、ここで聞くはずのない声に、私は勢いよくそちらの方へ振り向くと、そこに立っていたのは、両手にマグカップを持った天城くんの姿だった。


「天城、くん?」


「? どうしたんだ? そんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔して」


「どうしたもなにも、ここ、私の家、だよね?」


「そうだな」


「なんでここにいるの?」


 混乱する思考をなんとか制御しつつ、最もな疑問をぶつけると、天城くんは困ったような表情を浮かべる。


 うーん、答えはあるけど、なんて言うべきか迷ってる感じだ。


「なんでもなにも、うちで勉強しようって、提案したのは道明寺じゃないか」 


 誘う? 私が? 自分の家に?


 呼吸を整え、ゆっくりと思考を巡らせる。


 ……そうだ。思い出した。


 確か、来週の期末テストに向けて勉強するために、私が天城くんを家に呼んだんだ。

 

 提案したのも私。『迷惑をかけちゃ悪い』と遠慮気味だった天城くんを強引に連れてきたのも私。


 それなのに、『どうして』はない。だいたい、家に来てもらうのだって、今日がのに。


「ははっ、もしかして寝ぼけてるのか?」


「ごめん。そうかも」


「だったら、ちょうど良かった。はい」


 そう言って、天城くんは左手に持っていたマグカップを私に差し出してくる。


 それを両手で受け取る。中にはコーヒーが入っていた。


「前に来た時に道明寺が使っていいって言ってくれたから、今回はお言葉に甘えさせてもらったんだけど……やっぱり、勝手に使っちゃ悪かったかな」


「ううん。私がいいって言ったんだからいいよ。それに、私の分まで淹れてくれてありがとう」


「どういたしまして」


 私が座る位置を少し左側に寄って、座るように促すと、天城くんは私の右隣に腰を下ろした。少しでも動けば、身体が触れそうなほどの距離にいるというのに、私の心は酷く落ちついていた。まるでこの光景が日常であるかのように。

 

 私はそっと天城くんの左肩にもたれかかる。天城くんはなにも言わない。

 

 ――ああ、これは夢だ。


 だって、私はこんな穏やかで幸せな時、光景を知らない。


 だから、わかった。わかってしまった。


 これが夢だと。


 でも、もし叶うのなら。許されるのなら。


 この夢が、この時間が、少しでも長く続きますように。

 








 喪われたあなた。

 

 けれど、私の心にいるあなた。


 これから私と出会う、あなた。


 どうか、此度のあなたが、健やかでありますように。


 そう、願っています。

 

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