伝えきれない想い
――美しいものを見た。
決して、特別なことではなかった。
この世界のどこかでは、きっと誰かが同じようなことをしている。
誰もがしているわけではないかもしれない。それぐらいには当たり前の、日常にある出来事だった。
それでも、あの時の自分の目には、この世のなによりも美しい、尊いものに映った。
網膜に、記憶に、なにより心に灼きつくほどの光景だった。
この光景を、生涯忘れることはないだろう。
◇
「あ、あの……こ、これ!」
「あー、えーと、なんていうか……」
「わかってます……迷惑、ですよね。こういうの」
昼休み。
空き教室に俺を呼び出したのは、なんの接点もない他クラスの女子生徒だった。
俺を呼び出した女子生徒は伏し目がちに言う。
緊張からか、可愛らしいラッピングに包まれた小袋を差しだす彼女の手は震えていた。
俺としてはこういう時、はっきり断っておくべきだとは思っている。
ただ、勇気を振り絞った彼女の行動を迷惑の一言で片付けてしまうのは酷だ。俺と彼女の共通点は同級生ということぐらいで、同じクラスでもなければ、話したこともないが、悲しむ顔は見たくない……というか、泣かれるのはちょっと困る。
「迷惑じゃないけど、本当にいいのか?」
「……はい」
女子生徒はこくりと頷く。残念ながら、意志は固いみたいだ。
「OK。確かに受け取った」
「はい! お願いします!」
さっきまでの不安げな表情から一転、満面の笑みで女子生徒は言う。もしかしたら断られるかもしれない、と不安でしかたなかったんだろう。
本当に嬉しそうでなによりだ。
惜しむらくは――
「道明寺には、ちゃんと渡しとく」
――その相手が俺じゃないことぐらいか。
◇
「両手一杯に荷物を抱えて、何事かと思ったら、手作りチョコの山とはね。んー、モテる男は違うね」
待ち合わせ場所の喫茶店に着いた俺を迎えた道明寺は、中身がいっぱいに入った紙袋を両手に持つ俺を見て、くすくすと笑う。
道明寺はなぜ俺がこんな状態になっているか、当然わかっている。だからこそ、場所を大人数で集まったり、騒いだりできない喫茶店にしたんだから。
嫌味とか皮肉じゃなく、明らかにからかってきている。
いつもなら適当に流すところだが、今日はだいぶ疲れていたので、その言葉が妙にカチンときた。
「これが全部本命チョコならそうだったかもな」
「いやいや。義理でもチョコはチョコだよ? 世の中には義理チョコすら貰えない男性諸君もいると聞くし、それだけ貰えれば、十分じゃないかな」
「そうだな。これがお前に渡すための駄賃代わりじゃなく、ちゃんと俺宛の義理チョコなら、泣いて喜んでたかもな」
ぶっきらぼうに返していると、道明寺は笑みを消し、顎に手を当てて、じっと俺の顔を見てくる。
「……なんだよ」
「もしかしなくても拗ねてる?」
「別に? なんとなくこうなりそうな気はしてたし? 期待なんかしてないし? もしかしたら、ワンチャンあるかもと思ってたら全部道明寺宛だったことに絶望も怒りも通りこして、感情が死んでるだけだし」
「うん。またなんとも、めんどくさい拗ね方してるね」
そう答えるものの、道明寺は「はいはい」とまるで子どもをなだめているかのようなリアクションを返してくる。
実際、拗ねてなんかいない。ここまで来ると拗ねてもしかたないっていうのが本音だ。道明寺が男女問わずモテるのはわかっているし、あまり道明寺と接点がない人や話しかけられる勇気がでない人にとって、道明寺とよく一緒にいる俺にこういう役割が回ってくることは目に見えている。
とはいえ。とはいえ、だ。
理解していても、納得できるかって、言われると全然納得できないし、不満はめちゃくちゃある。
「しかし、わからないね。去年といい、今年といい、キミが誰からも貰っていないというのは」
「そんなにおかしいか? 男子高校生なんて、大体こんなもんだろ」
「ふふ。まぁ、確かに。そんな気はするね。……キミがその大体に入るかは知らないけど」
そう言って、道明寺はすっと目を細める。
なんで疑われているのかわからん。義理チョコすらない今日の結果を見ればわかるだろうに。
「で、どうするんだ、これ。去年のこともあるし、面倒ってんなら返してくるけど」
「面倒なのは否定しないけど、好意であれば、受け取るよ。それにそんなことをしたら、嫌われるのは天城くん、キミだよ?」
「だろうなぁ……」
そんなわけがあるかと言いたかったが、多分俺に渡した時点で向こうは道明寺に絶対に届くものだと思っている。どんな経緯や理由があったとしても、それを道明寺に渡せなかった時点で悪いのは俺、ということになるだろう。理不尽にも程がある。渡された俺はともかく、道明寺には受け取る義務はないっていうのに。
「私たちのせいで、実質無関係のキミが罵詈雑言を浴びせられるのは忍びないし、これからも円滑な人間関係を築くには避けては通れない道だしね」
道明寺はどこか達観したようにそう言う。
校内では男女問わず人気があり、誰にでも分け隔てなく優しいことから、天使、あるいは女神と称される道明寺だが、人間関係に関してはかなりドライだ。
いつだったか、誰にでも優しいのは疲れないのか聞いたことがある。
その時の道明寺の答えが『疲れるけど、嫌われるより好かれる方が面倒がなくていいし』だった。
自分から聞いておいてなんだが、適当に体の良い言葉でかわされると思っていたので、あっけらかんとそう嘯く道明寺に、少し面食らったのを覚えている。
「まぁ、なんにしても、貰った分はちゃんと返すよ。それよりも、はい、これ」
わざとらしく思い出したような素振りで、道明寺は鞄の中からなにかを取り出すと、俺の前に差し出してくる。
差し出されたのは白いリボンでラッピングされた赤い箱。
「これって、まさか」
「キミの想像通り。中身はチョコだよ。既製品じゃなくて、
バレンタインチョコ用に作ったチョコ。
今日、どれだけの男子がゼロに等しい可能性に賭け、夢破れたことだろう。
去年はダメだったかもしれない。けど、今年なら。
あの道明寺縁なら、今年は自分たちモテない男子高校生に
淡い期待と儚い希望が詰めこまれた代物が、俺の目の前あった。
「どうしたの? いらないなら――」
「い、いる!」
咄嗟に食い気味に答えてしまう。しまった、そう思った時にはもう遅かった。
「ふふっ、冗談だよ。キミにあげるために作ったんだから、そんなにがっつかなくたって、ちゃんとあげるよ」
「……アリガトウゴザイマス」
は、恥ずい……めちゃくちゃ期待してたみたいで、死ぬほど恥ずかしい。いや、期待してなかったって言えば嘘になるけども。
それにしたって、あまりにも露骨すぎる反応をしてしまった。顔だって、絶対真っ赤になっている。
道明寺は道明寺で、俺が期待通り、あるいはそれ以上の反応をしたからか、にやにやしながら、俺を見ている。
いつもなら、ムカついて食って掛かっているところだが、今はそれ以上に恥ずかしさの方が強い。今すぐここから逃げ出したい。っていうか、逃げよう。
うん。片言になったが、礼はちゃんと言ったしな。うん。そうしよう。
思い立ったが吉日。席を立って、その場から離……れる前に制服の袖を掴まれた。
「恥ずかしいのはわかるけど、帰っちゃダメ。二人分のコーヒー、もう頼んでるんだから」
「ぐっ、相変わらず先読みが得意なことで……っ!」
「そうやって文句は言っても、素直に引き下がってくれるところ、私は好きだよ」
「あー、そうかい」
そう言って、渋々席に戻る。
褒められてはいるんだろうけどな。手玉に取られているみたいで、あまり嬉しくない。
いや、みたいじゃなくて、実際手玉に取られてるか。俺がいつ頃来るか、チョコを渡した時どんな反応をするか、それを手作りと伝えた時どう思うのか。
おそらく、全部『わかった』上で道明寺は俺が来る前にコーヒーを注文したんだろう。道明寺ならできそうな気はする。
……まぁ、バレンタインチョコは貰えたんだ。今日のところはそれで良しとしておこう。
そう思って、ラッピングを取ろうとしたその時、「待って」と道明寺に止められた。
「ここで問題です」
「問題?」
「今、キミに渡したそれは
「はぁ? どういう意味って、そりゃ、義理チョコ……いや、友チョコだろ?」
今時、バレンタインに友だちにチョコを渡すなんて珍しくもない。異性の場合も含まれるかは知らないが。
「えー、本当にそう思う? 同性も異性も含めて、キミの分しか用意してないのに? もしかしたら本命かもしれないよ?」
「本命だったら、本命かもしれないとは言わないだろ」
「そうかな? 照れ隠しの可能性もあるよ」
どっからどう見ても、からかおうとしているようにしか見えないんだが。
友達付き合いができて、一年と八か月。俺にだってすべてがわかるとは言わないまでも、道明寺がなにを考えているかは、ある程度わかる……と思う。多分。もしかしたら。
まぁ、わかるかどうかはさておき、照れ隠しならもう少し態度に出るだろ。
……いや、待てよ。全然態度に出てないのが、かえって怪しい可能性もあるか?
本当に道明寺に余裕があるなら、わざとらしく照れてみせたり、さながら告白現場のような空気づくりをしたり、もっと勘違いさせるような状況に持ってくるか……?
となると、いつも通りに振る舞っているこの状態は、実は『照れ隠し』をしている状態なのか?
ダメだ、全然わからん!
「ふふっ、そういうわかりやすいところも私は好きだよ?」
「っ。褒めてくれてありがとう!」
「照れてる照れてる」
「照れてねえよっ!」
ものの見事に道明寺の術中にハマった俺はこの後、小一時間ほどイジられることになり、結局、道明寺が俺に渡したチョコが本命かどうかはわからずじまい。
聞くタイミングを逃し、当分の間、悶々とした日々を過ごすことになった。
……ホント、なにやってんだ、俺。
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