赤い糸は逃がさない

 『優しさ』というのはある種取引だ。


 一見するとなにも求めていないように見えても、『優しさ』に対しては常に見返りが求められている。


 優しい人間というのは、優越感を感じるために、あるいは損得勘定で動いている利己的人間を指す言葉だ。優しい人間なんていうのは、詐欺師だと呼ばれているようなものだ。


 だから、他人なんて信用しなかった。特に自分のような地味な人間に近づいてくる人間には必ず裏がある。


 そう、思っていた。



 ◇



「さぁ、天城。お前の罪を数えろ」


 席に座るなり、学校一の遅刻魔で、友だちの最上 晴人もがみ はるとは鬼気迫る表情で俺の方に来たかと思うと、俺を指さしながら開口一番そう言った。


「数える以前に心当たりがないんだけど。なんかやったか、俺」


 そう聞くと、最上はポンと俺の肩に手を置いて、やれやれといった様子で首を横に振る。


「天城。お前は質問をできる立場じゃないんだ」


「はぁ、そうなのか」


 言ってることがよくわからず、つい生返事をしてしまう。


 その反応が気に入らなかったらしく、俺の肩を掴む力が強くなった。いや、痛い痛い。


「言葉は選べよ。お前ほど、俺たちは気が長くないからな」


「俺たち?」


 そう言われて、周りを見回してみると、いつの間にか、大勢の男子が俺を取り囲むようにして立っていた。


 っていうか、明らかにこのクラスにいる男子の数よりも多いぞ。ちらほら、見覚えのない人もいるし。


「自分の胸に手を当ててよく考えてみろ。なにか思い出せるだろ?」


「…………いや、マジでわからん」


 よく考えてみたが、やっぱり責められる理由はまったく思いつかない。


 最上を含む友だちが相手なら、わからないでもないけど、これだけの人間、それもあまり付き合いのない人間からも恨まれるようなことをした覚えはない。


「よし、やれ」


 最上の掛け声と共に周りを取り囲んでいた男子がじりじりとにじり寄ってくる。


 え、怖。目がマジなんだけど!

「なんで!? わからないって言ってんだけど!?」


「しらばっくれても無駄だぜ。ネタは上がってんだよぉ!」


「別に抜け駆け禁止ってわけじゃない。相応の報いは受けてもらうって話なだけでなぁ!」


「天城、人生の幸福と不幸の量は同じなんだ。だから今から不幸になってもらうだけなんだ」


「許せない許せない許せない許せない許せないぃぃぃぃ!」


 駄目だ。全然人の話を聞いてねえ! 特に最後のやつ、目が血走ってたんだけど!?


 とりあえず、土下座しとくか? いや、この状況じゃ土下座してもあんまり意味ないっていうか、そのままボコられそうだから、駄目だ。


 かといって、ここで受けて立つっていうのも嫌だ。理由もよくわかってないのに喧嘩をするなんてゴメンだし、そもそもこの人数相手だと一人や二人倒せても残った全員にボコボコにされて終わる。


 助けは……呼べるわけないな!


 ……あれ、これ詰んでないか?


 今まさに男子たちの怒りの鉄槌(理不尽)が俺に振り下ろされそうになった時、その男子たちの輪の中から誰かが出てきた。


「はいはい、その辺にしとけー」


「桐生、常盤」


「助けに来たよ、天城」


 桐生 拓斗きりゅう たくと常盤 一ときわ はじめ


 友だちの中でも、一緒にいることが多い二人だ。


 この状況で俺を助けようとする人間がいるとは思わなかったのだろう。さながらヒーローのように登場した二人に、最上は食ってかかる。


「桐生、常盤。どういうつもりだ。そいつは――」


「話は聞いてる。道明寺さんと一緒にいた、って言うんだろ」


「そうだ。しかも、一緒にランチまで食べてたんだぞ! うらや、もとい許されざる行為だ!」


 ……本音ダダ漏れじゃねえか。


 っていうか、俺をボコろうとしていた理由って昨日のアレが原因だったのか。なるほどな。道明寺さん関連なら、あまり付き合いのない他クラスの男子から因縁をつけられるのにも合点がいく。理不尽にもほどがあるけど。


「まぁ、お前らの気持ちもわからんでもないが、これ以上はやめとけ。あんま騒ぐと飯倉にしょっぴかれるぞ」


 桐生がそう言うと、俺を取り囲んでいた男子たちの顔が引き攣った。


 飯倉というのは、顔が怖い、声がデカい、ガタイがいいという威圧感マックスのうちの高校の生徒指導の先生だ。


 といっても、圧がすごいだけで優しいし、人に迷惑をかけていなければ、多少の校則違反に対しても寛容。別にキレやすいとか、めちゃくちゃ厳しいわけじゃない。


 ただし、一度生徒指導扱いになったら最後、どんな素行の悪い生徒でも趣味は勉強と筋トレ、尊敬する人物は二宮金次郎と室伏広治にされてしまうという噂があるせいで、この学校の生徒全員から恐れられている。今は卒業していないものの、去年はそうなった生徒が一人いたそうな。

 

「うぐっ……だが、天城の所業を見逃すわけには……」


「道明寺さんも、自分のせいでこういうことになるのは嫌がると思うよ」


「解散っ!」


 『道明寺が嫌』。


 その一言で、まだ殺気立っていた男子たちも一斉に散っていった。ちょっと単純と思われるかもしれないけど、憎いやつをどうこうするより、好きな相手に嫌われないことの方が大切だもんな。


 それに飯倉の生徒指導まで上乗せされるってなったら、そりゃやめるよな。俺が同じ立場でも絶対やめる。


「悪い。助かった」


「いいのいいの。困った時はお互い様。助け合いの精神ってやつだよ」


「常盤の言う通りだ。人を助けるのは当然のことだしな。親友なら当然でしょうよ」


 うんうんと頷きながら、二人は言う。


 言ってることは良いことだと思う……思うけど。


「で、なにが目的だ?」


「おいおい、なんだよ、その言い草。まるで俺らがなんか企んでるみてえじゃねえか。なぁ、常盤」


「そうそう。僕らに下心なんてないよ。百パーセント善意」


「どうだかな」


「かぁ、信用されてねぇなあ。親友の一人として悲しいぜ」


「親友だと思ってたのは、僕らだけだったんだね……」


「お前ら、そういうタイプじゃないだろ……」


 そう言うと二人は露骨に落ち込んだ様子で項垂れるがあまりにもわざとらしすぎる。そもそも、普段のこいつらからしてド真面目に親友がどうのとかいうタイプじゃないし。


「言っとくけど、お前らが興味あるようなことはなかったぞ」


「って言うと?」


 変に期待されても困るのでそう言うと、待ってましたと言わんばかりに桐生が聞き返してくる。やっぱ、下心全開じゃねえか。


「俺が落とした家の鍵をたまたま拾ってくれただけだよ」


「ほーん。じゃあ、昼飯食ってたってやつは?」


「起きてからなにも食ってなかったから、腹が鳴ったんだよ。そしたら、おにぎりくれただけ。後は……成り行き?」


 一緒に食ったのだけは成り行きとしか言えない。


「あぁ……棚ぼた的なやつか。そんな気はしてたけどな」


 桐生はがっかりしたように言う。一体俺になにを期待してるんだか。


「でも、偶然なら相当運良いよ、天城」


「そりゃ運は良かったかもしれないけど、そこまでか?」


 確かに落とした鍵がその日のうちに帰ってきたし、そのおかげで道明寺さんと一緒に飯を食うことになったけど。


「まぁね。天城は知らないと思うけど、道明寺さんと二人きりになった男子っていないんだよね」


「マジか」


 告白を全部断ってるって言うのは知ってるけど、今のは初めて聞いた。


「マジ。うまく根回ししても、待ち伏せして偶然装っても、それも読まれてかわされるんだってさ」


 そこまでするか。まぁ、普通に誘っても断られるならそうするしかないんだろうけど。


 っていうか、それでも全部かわしてる道明寺さんの方もやばいな。レーダーでもついてんのか。


「結果、道明寺さんとデートどころか、二人きりになれた男子もいないってわけ……あ、いなかった、が正しいか」


「あー、なんで俺が犯罪者みたいな目で見られてるのか、わかった」


 これまで道明寺さんと二人きりになれた男子がいない中、二人きりになるどころか、一緒に飯まで食ってたともなれば、道明寺さんを狙っているやつらの目の色も変わるだろう。


 偶然っていうか、成り行きでそうなっただけだし、食ってたのもコンビニのおにぎりなんだけど。


「当分は目の敵にされるかもしれないけど、割り切っていくしかないんじゃない? ほら、幸福税的な」


「最悪じゃねえか……」


 そんなもの取っても、誰も幸せにならないし、むしろ惨めになるだけだと思う。


「そのうち忘れるだろ。それまで大人しくしとけばいいんじゃね?」


「言われなくてもそうする」


 今のところは弁明しようとしても聞いてくれないどころか逆効果だろうし、しばらくの間は大人しくしておくに限る。


 まぁ、大人しくするもなにも、昨日まで、道明寺さんとほとんど話したことなかったし、これまで通りにしてりゃいいか。


 向こうから話しかけてくることもないだろうしな。



 ◇


 ――道明寺と話したのは二時間目の授業が終わった後だった。


 原因は、クラス分の提出物のノートを職員室に持って行ってるときにお手洗いからでてきた道明寺とぶつかったこと。ぶつかったお詫びに手伝うって言って、半ば強引にノートを半分くらい持っていかれた。


 それを奪い返すわけにもいかず、なし崩し的に二人で持っていくことになったのだ。


 で、職員室に行くまでの間も俺の事情とか男どもの妬みを知らない道明寺は話しかけてくるわけで。


 そもそも、相手が道明寺かどうか以前に、話しかけてくる相手を無視するのは感じが悪いし、そもそも道明寺本人が悪いわけでもない。後で色々言われるだろうけど、今回はしかたないか。


 と思っていたのは、もちろん俺だけ。


 気づけば、たまに話すどころか、遊んでる上に、周りからはんじゃないかって思われるぐらいよく一緒にいるようになっていた。


 人生なにが起きるかわからないもんだが、本当になにが起きるかわかったもんじゃない。


「で、実際どう、なんっ?」


「どうって、なに、がっ?」


「そりゃあな。一つしかない、よな」


「道明寺さんの、ことだ、よっと」


「うおっ、ラリーなのにスマッシュ打つなよ」


 午後の体育の時間。


 同じクラスであり、桐生と常盤と一緒に、バドミントンのラリーをしていると、突然そんなことを聞いてきた。

 

 ……いや、まあ、去年散々聞かれたし、今でも定期的に聞かれる質問だけど。


「そろそろ、ゴールインできそうな感じ?」


「はぁ……あのなぁ、そういうのが目的で一緒にいるわけじゃないって、何度も言ってるだろうが」


 落ちたシャトルを拾い、話はこれで終わりだという意味も込めて、常盤めがけて、ちょっと強めにサーブを打つ。


「おっと」


 常盤は少し面食らったものの、それを危なげなく、桐生に向けて打ち、ラリーが再開される。


 くそっ、こいつら無駄に運動神経良いな。これで二人とも帰宅部っていうんだから、たちが悪い。宝の持ち腐れ過ぎる。


「それはそうだろうけど、それはそれとしてってやつでさ」


「そうそう。その気がなくても、仮にも年頃の男女が学校中でも外でもよくつるんでるんだから、普通は親密な関係にもなるってもんでしょうよ」


「ならん」


 男女で仲が良いから、そのうち付き合うっていうのは、あまりに発想が幼稚過ぎる。


 これが小学生みたいな茶化すノリで言ってるなら、こっちもふざけられるんだが、口調とかテンションの割に結構本気でそう思ってるやつらが多く、冗談四割、本気六割ぐらいっていうのが、これまたタチが悪い。


 馴れって言うのは怖いもので、あれだけバカ騒ぎしていた連中さえ、今はこんな感じだ。一部例外はいるけど。


「それって、天城が日和ってるからじゃねーの? 二人きりになる機会も結構あるんだし、こう、どーんって行けば絶対落とせるって」


「さすがにそこまでは言わないけど、俺も押したらいけそうっていうのは同感かな」


「それ、押してダメだった時のリスクでかすぎだろ……」


 気まずすぎて、次の日から絶対顔合わせられないし、一瞬で振られたのが学校中に知れ渡るだろうから、そもそも学校にすら来れなくなりそうだ。


「はぁ……どうしてそんなマイナス思考なのかね。脈があるかないかなんて、周りと自分の差をみりゃ、一発でわかるだろうに」


 そう言って、桐生は俺が打ち返したシャトルを打ち返さずに手で受け止めると、体育館の真ん中にあるネットカーテンの向こう側――女子たちがバレーをしている方を顎でしゃくる。


 一旦、ラリーを中断して、促されるようにそちらを向く。雑談ついでにラリーをしていた俺たちと違い、女子の方は試合に熱が入っているらしく、試合をしている子も、観戦している子も試合の方に集中していた。


 よほど接戦なのだろうか、視線をスコアボードの方に向け――その隣に立っていた道明寺と目が合った。


 道明寺はにこりと微笑を浮かべ、こちらに向けて小さく手を振ってくる。それに対して、どう返していいかわからず、俺は「お、おう……」となんとも情けない言葉を漏らす。


「なんだよ、今の。付き合いたてのカップルかよ」


「右に同じ。これで脈無しは噓でしょ。お互いにね」


 桐生はうんざりした様子でそう言い、常盤も擁護できないと苦笑する。


 言い返したいのは山々だが、逆の立場だったら、絶対二人と同じ事言ってる自信がある。


 大体、「お、おう」ってなんだ。手を振り返すとか、もっとマトモなリアクションあっただろ。常盤の言うようにこれで全然意識してないは無理がある。


 ……まぁ、実際にまったく意識してないわけじゃないわけで。


 同性・異性に関わらず、道明寺の友だちの中で、俺と他のやつとで対応に差があることはわかっている。自意識過剰っていう可能性もなくはないが、俺以外の多くの人間がそう認知している以上、多分道明寺にとって、俺は友人の中でも『特別』なんだと思う。


 その『特別』が恋愛感情の可能性は高い、と思う。


 思うんだが――。


「なんていうか、違う気がするんだよな」


「違う? なにが?」


「うまく言えねえんだけど、こう、俺を見てるけど、俺を見てないっていうか、俺の向こう側を見てるっていうか」


「んー、昔好きだった人と重ねてるみたいな感じ?」


「それとも微妙に違う気がするんだけど、それが一番近いと思う」


「気のせいじゃね? あんな男の理想欲張りセットみたいな人、振るような野郎いるか?」


 確かに気のせいと言われたら、そんな気はするし、俺自身、道明寺が時折見せる表情に違和感を覚えているものの、確証はない。ただ、なんとなくそう思っているだけだ。


 でも、その違和感を無視するのは違うと思ったから、俺は一歩踏み出せずにいる。


「どういう理由があるにしても、後悔だけはしないようにしろよ。『あの時、告っとけばよかった』なんて、情けない話、聞くのはごめんだからな」


「だね。せっかくチャンスが目の前にあるんだから、なにもしないより、挑戦しておいたほうが『思い出』にはなるんじゃない?」


「なに目線だよ。まぁ……できるだけ、早めに答えは出す」


 このままの関係を続けていくのか、それとも――その先を望むのか。


 こればかりは道明寺がどうこう以前の問題だ。


 どっちを選ぶにしても、まずは俺自身が答えを出さなきゃいけない。


 道明寺が俺をどう見ているのかわかれば良いんだが、それがわかれば誰も苦労はしないって話だ。むしろ、脈がありそうな分、かなり良い方だろう。


「もし駄目だったら残念会でも開いて、パァっとやろうよ」


「しょうがねえから、その時は俺らが飯奢ってやるよ」


「はぁ……頼もしいことで」


 成功したらじゃないのが、なんともこいつららしい。まぁ、そもそも成功したら、成功祝いなんてせずに彼女の方に行けよってことなんだろう。もしくは、自慢話とか惚気話されるの嫌だからこっち来んなの方かもしれない。

 

いや、多分こっちだな。よく考えたら、そういう気を利かせるような殊勝なやつらじゃなかったわ。

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