第446話 死の商人は、再び動き出す

「……今なんと仰られましたかな、陳大人。ワシに勅命を拒めと?」


 ここはソビエト山脈の西側、旧ロシール王国の王都グリムリン。本国からの撤退命令に従い、ガリア領内からここまで引き上げてきた遠征軍司令官・曹武淵将軍は、この地で待ち構えていた彼の言葉に耳を疑い、声を上げた。


 しかし、陳大人はいつものように飄々として答える。すでに本国には裏で許可を取っている話だと。


「だがそれは、ワシに帝国での地位を捨てよということではないか」


 話を聞き終えて、曹将軍はまず懸念を示した。確かに陳大人の考えに賛同して、この地に残っても罪には問われないかもしれないが、彼のやろうとしていることは、帝国から独立した国をつくると言っているに等しいのだ。これまで積み上げてきたキャリアと地位が保障されるとは、到底思えなかった。


 だが、そんな曹将軍を陳大人は鼻で笑った。そのようなことは、取るに足らないことだと言って。


「考えてくださいよ、将軍。今、あなたは広大な領地を手にしていて、さらに最強の兵器を所有しているのです。この上、帝国が邪魔をしないと言っているのですから、あなたがこの地で皇帝になっても、誰も文句は言えないということなのですよ?」


 だから、帝国における『将軍』の地位などに未練を持つ必要はないと、陳大人は諭す。


「確かにその通りかもしれないが……」


 陳大人の言っていることは間違ってはいないかもしれないが、曹将軍は今一つ気が進まなかった。それは、この目の前で甘い言葉を吐く男が信用できないと感じていたからだ。


(途中で梯子を外されては困るからな……)


 とにかく、この男は商人なのだ。だから、情勢が変われば自分たちを生贄にして、自分はさっさと次の宿木に向かうのではないかと考えた。それに、そんなに上手く事が進むとは思えなかった。


「……悪いが、その提案には乗れない。我らは……うぐっ!?」


 返答の途中で急に腰から腹部にかけて激痛が走り下を見ると、そこには剣の切先が生えていた。


「な、な……!」


 一体わが身に何が起こったのか、そう思いながら、後ろをゆっくり振り返った曹将軍は、そこに自分が蹂躙した少女がいることに気づいた。まだ生きていたのかと驚くのと同時に、陳大人の呆れたような声が聞こえてきた。


「将軍……。別に我らの皇帝になるのは、あなたじゃなくても構わなかったのですよ。ここにいる王女様を旗頭にしてもいいし、何なら、あなたがいじめていた従卒だってね」


 その言葉に合わせるように、今度は別の刃が同じように背中に突き立てられたことを曹将軍は感じた。今の話から、誰が刺したのかはすぐに分かった。


「お、おのれ……」


 しかし、忌々し気に見つめる先は、今ナイフを突き立てた従卒ではなくて、陳大人だ。これだから、商人は信用できないのだと思いながら、呪いをかけるように睨みつけるが、それもいつまでも続かない。次第に力を失い、やがて曹将軍はその場に崩れ落ちた。


「本当に馬鹿な人だ。折角、機会を与えて差し上げたというのに、みすみす手放すとは……」


 最後にその一言だけ告げて、陳大人は未だに動かなくなった曹将軍を嬲るように切り刻んでいる二人を放置して、別の部屋に移動した。そこには、参謀他主だった遠征軍の幹部たちが集まっていた。実は、すでに彼らは独立に賛同していたのだ。


「この場に曹将軍がいないということは……」


 それはつまり、彼が同意しなかったということに他ならない。この場にいる全員がそれを理解した。


「新政府の首班は、袁将軍。あなたにお願いできますかな?」


「よろこんで引き受けさせていただきましょう」


 彼は遠征軍の副司令官で、司令官である曹将軍が死んだ以上は、その指揮権を引き継ぐことは妥当であり、誰も異を唱える者はいない。


「それでは、再び進軍を開始しましょう」


 具体的な作戦は、参謀の郭将軍が説明する。それは、速やかに元来た道を取って返して、ガリアの帝都フランデンを落とすというものだった。


「兵器は今後もこの陳が全て請け負います。ですから、惜しみなく使って構いません」


 陳大人は、皆を前にしてそう力強く宣言すると、彼らから称賛の声が上がった。そして、より綿密な打ち合わせが終わったところで、それぞれが役割を果たすためにこの部屋から出て行った。もちろん、陳大人も同様に。


「……コーネリア様。必ずやあなたの人生を弄んだ正教会をこの手で滅ぼしてみせましょう」


 ふと目を向けた窓の先には、彼女に残酷なことをした正教会の教えを信じている国々が広がっている。一人そこに佇みながら、陳大人は、決意するように想いを吐き出した。曹将軍の予想に反して、今回ばかりは最後まで梯子を外す気などなかったのだった。

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