第445話 女商人は、主を失った商会を乗っ取る
「えっ!?どこにもいないってどういうことなのよ!」
ここは、オリヴェーロ商会の本店。オルセイヤ王室に納める塩が火災によって消失したと聞いて、アリアはお見舞いという名の敵情視察に訪れていたのだが……肝心のオリヴェーロ本人が行方知れずと聞いて、思わず声を上げていた。
しかし、居ないものは仕方がないわけで、残された店員たちも……
「焼けた倉庫を見に行った後、行方が分からなくなった」
……そう答えるしかない。
「アリア、これは……」
「おそらく、逃げたわね……」
店員たちが目の前にいるにもかかわらず、レオナルドの言葉に素直に返したアリア。これはもちろん計算ずくの発言である。
「会頭が……逃げた?」
「これは本当にやばいのでは?」
これまでそれぞれが必死になって抑えていた思いが、まるで堤防が決壊したかのようにあふれ出して周囲に伝播していく。
ましてや、ここに居る者のうち、少なくない者がカッシーニ商会の倒産時の光景を覚えているのだ。次に何が起こるのかが容易に想像ついたのだろう。債権者が来る前に、少しでも金目のモノを確保しなければと、目の色が変わった。しかし……
「みなさん、落ち着いてください。何の縁かわかりませんが、このわたしがここに居る以上、商店内の金品を勝手に持ち出すことは許しません。これは、ポトスの法律に違反する行為であり、違反した者は例外なく総督府に告発します」
アリアはピシャリとそう言い放って、店内に広まった不穏な雰囲気を鎮めた。そしてその上で、オリヴェーロが逃げ出した原因である『オルセイヤ王室に納める塩』は、傘下のブラス商会で用意させると明言した。
「これで、ひとまずは大丈夫でしょう?」
そうニッコリ笑うと、店員たちから喝さいが上がった。これで、少なくとも総督府から咎め立てを受ける心配は無くなったのだ。誰もがアリアに感謝した。
「さて、そうなると……残るはオリヴェーロさんの行方よね?」
彼の頭を悩ませていた問題が解決した以上、もう逃げる必要はない。そこで改めて、何か心当たりがある人はいないかと訊ねてみたが、誰も手を上げる者はいなかった。
(これは予想外ね。誰か匿っているんじゃないかと思っていたけど……)
アリアの計画では、このように二度と頭が上がらなくなるほどの恩義を売って、以後は自分にとって都合の良い手駒にするつもりだったが、こうなると軌道修正は仕方がない。行方不明になってすでに3日経っていることもあり、逃げ切ったものと考えて別の手を打つ。
「とりあえず、彼の不在の間は誰か代理を立てないとね。この商会のナンバー2はどなたかしら?」
「わたしでございます。アリア陛下」
そう名乗り出たのは、副会頭のアリババという若い男だった。見た感じでは、レオナルドとそう変わらない年齢だろう彼は、オリヴェーロの甥にあたるという。
「こうなった以上、あなたが会頭代理になるしかないわ」
「えっ!俺がですか!?」
このオリヴェーロ商会は、オリヴェーロのワンマン体制で経営されていて、例え副会頭であっても名前だけであって何の実権を与えられていない。つまり、そんな彼がいきなり会頭の職務を遂行することなど到底できるはずもなかった。
「あの……わたしは……」
それゆえに、アリババは辞退しようとした。安易に引き受けてしまえば、皆の迷惑になると考えて。しかし、アリアはそれを許さない。
「大丈夫よ。あなたが困らないように、うちから優秀なスタッフを派遣してサポートするから。大船に乗った気持ちで、あなたはただ椅子に座って出された書類にサインしなさい」
それはつまり、乗っ取りである。言われたアリババも、ここに集まった店員たちもそのことに気づいて色めきだった。すると、アリアは手始めだとして2枚の書面を取り出して、早速決裁を求めた。その1枚目には……
「えっ!店員全員の給与と休みを今の倍にすると!?」
「そうよ。だって、うちの従業員よりかなり安い上に、休みも少ないと聞いているからね。それくらいはしないとみんな頑張れないでしょ?」
当然だが、店員たちからは先程とは打って変わって、好意的な声が上がり始めた。だが、経営陣であるアリババからすれば、歓迎することはできない。その分、商会の資金が目減りするからだ。
「これは、ちょっと……」
だから、アリババは拒否しようとしたが、次に差し出された書面を見て、次の句を口にするのを控えた。そこには……「原資となる資金については、ハンベルク商会より無利子で融資する」とあったのだ。
「これなら、文句ないでしょ?」
アリアはニッコリ微笑んで、アリババに決断を促した。もちろん、融資なのだから借金なのだが……名ばかり副会頭である彼は、知識が不足していたのか、あるいはその笑顔に血迷ってしまったのか。結局勧められるままに、サインをしてしまった。
こうして、オリヴェーロ商会は、アリアに首根っこを押さえこまれた。そして、もう二度と浮上することはなかったのだった。
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