第443話 女商人は、潮時を予感する

「えっ!許しちゃったの!?」


 ここは、オランジバークのイザベラ教会。ポトスでの顛末をアリアから聞いたイザベラは、驚いて思わず声を上げてしまった。そして、「らしくないわね」と続ける。


「わたしはてっきり、財産を全部取り上げた挙句、娼館に売ると思っていたわ。アリアさん、敵対する人に容赦ないから。……もしかして、何か悪い物でも食べた?」


「食べていないわよ!ただ、亡くなったフランシスコさんにお世話になったから、その恩返しをしただけよ。それ以上でもそれ以下でもないわ!」


 だから、この次に敵対するような行動を取れば、その時こそ容赦はしないとアリアは言った。


「それに、この一件ではオリヴェーロも怪しげな動きを見せたから、その対策でもあるのよ。ディーノの話だと、見たことのない格好をしている黒髪の男が出入りしているみたいで……」


 ゆえに、アリアはオリヴェーロが華帝国と何らかの形で繋がっていると疑っていた。レベッカからカルボネラ商会を取り上げなかったのは、まだポトスで何かたくらむのであれば、その防波堤の役割を果たしてもらおうとしたまでだと付け足す。


 ただ……そのような言い訳じみた回答では、イザベラには通じない。どうも納得していないようで、何か言いたそうにしながら、アリアをじっと見つめ続けている。


「な、なによ……言いたいことがあるのなら、言ってよ」


 そうじゃないと、どこか居心地が悪かった。すると、イザベラは表情を和らげて一言だけ告げた。「変わったわね」と。


「変わった?もしかして、このわたしが?」


「そうよ。以前のあなたなら、例え恩義があってもここまでコケにされて、しかも自分の利益になるのなら、容赦なんかせず徹底的にやっていたんじゃないかしら?第一、今回だって途中までそのつもりだったんでしょ?」


「ま、まあ……そうなのかもしれないわね……」


 確かにシンディとアルカ帝国西部の遺跡に行くまでは、イザベラの言うとおり徹底的に叩き潰すつもりだった。


「別にそれが悪いとは言っていないわ。人としては『許す』ということも大切だとわたしも思うわ。でも、商人としてはどうかしらね?」


「商人として……?」


「今回の件、ハンベルク商会を飛躍させるためには絶好の機会じゃなかったの?それなのに、恩なのか作戦なのかは知らないけど……それは、商会頭として正しい選択だったのかしら?」


 イザベラの指摘は正しい。今回の件でレベッカ嬢を娼館に売る、売らないは兎も角として、予定通りにカルボネラ商会を乗っ取っていた場合、アリアが率いるハンベルク商会はポトスで最も大きな商会になっていたはずなのだ。


「常に貪欲なまでに利益を追求する商人としては……失格と言いたいのね?」


「厳しいことを言うけど、そのとおりよ。もちろん、人を許すことを勧めるシスターのわたしがいうことじゃないだろうけど……」


 イザベラはおどけたようにそう言ったが、この言葉はアリアの胸に深く突き刺さった。そして考えた。なぜ、方針を変更してまで許す判断を下したのかということを。


(面倒くさかった……本音で言えば、これだよね。やっぱり……)


 アリアは、神に懺悔するような面持ちでしばらく考えた末に、そう結論付けた。魔国との融和の事、古代文明の置き土産の事、華帝国の侵略の事。厄介ごとが次々と舞い込んできて、ポトスのことも商会のことも……どうでもよくなってしまったのだ。


 ただ……それはつまるところ、自分が商人よりも女王としての立ち位置に重きを置いているということに他ならない。


「ねえ……もしかして、もう潮時なのかな……」


 女王の仕事と兼任して続けるつもりだった商会頭の仕事——。


 しかし、商会の利益を第一に考えられなくなった以上、商人としては限界なのかもしれないと感じて、アリアは弱気になり思わず口にした。しかし、イザベラは答えを告げることはしなかった。それは自分の中で考えることだとして。


 そして、話題を切り替えるように提案する。自分の娘をレティシア王女付きの侍女にしてもらえないかと。


「えぇ……と、いきなり何でそんな話になるのよ……」


 今していた話と全く脈絡もない彼女のお願いに、アリアは理解が追い付かず、次に呆れたが……元々、このお願いをするタイミングを見計らっていたのであろう。イザベラは止まらない。


「今から侍女として共に育てば、いずれ次期女王の側近として栄耀栄華を極めることができるでしょ?そうすれば、わたしたちの老後はウハウハよ!」


 だから、もう少し大きくなったところでお願いできないかとイザベラは言った。どうやら、自分の利益のために幼い娘を利用することに躊躇することはないらしい。


「あなた……やっぱり、シスター辞めて商人にならない?」


 半ば呆れつつ、アリアは皮肉を込めてそう言った。この……どこまでも自己の利益を追求する姿勢こそ、商人に相応しい資質であるとして。

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