第442話 女商人は、その身体で復讐を受け止める

 レベッカ・カルボネラが牢に閉じ込められてからすでに3か月余りが過ぎていた。


 その間、かけられた容疑が国家反逆罪であったこともあって、一通りの取り調べが終わったのちは、いつ処刑されるのかと怯えながら過ごしている彼女であったが……なぜか、その待遇は左程悪いものではない。


 窓には鉄格子が入っていて、入り口には監視する兵がいて、地下の牢屋同様に逃げ出すことはできない造りとなっているが、室内の調度はいずれも一級品であり、快適に過ごすことができたから、事実上軟禁ともいえる状態だったのだ。


 もちろんこれは、アリアの意向に配慮して実現したモノなのだが……当然だが、彼女は知らない。そして……


「待たせたわね、レベッカさん」


「お、おまえは……!」


 突然扉が開かれて、目の前に現れたのは憎むべき敵であるアリア・ハルシオン。レベッカの目が大きく見開かれて、拳に力を入れた。商会も恋人も全て奪ったこの女に、叶わぬまでも一矢報いるために。しかし……


「殴りたいのなら、殴りなさい。それで咎めたりはしないから」


 その行動を予見したうえで、アリアは堂々と言い放った。もちろん、側にいたレオナルドもコペルティーニ公爵も驚き、止めようと間に入ろうとしたが……そんな二人を押しのけて、アリアはずいっと前に出た。「さあ、殴りたいのなら殴りなさい」と言って。


「おまえの……おまえのせいで、わたしは……!」


 その挑発的な態度は、レベッカの心のうちにある堰を切るのには十分だった。握りしめていた拳を感情の赴くまま振るい上げると、そのままアリアの頬を殴打した。すると、口元が切れて、一筋の血が流れ落ちた。


「陛下ぁっ!」


「騒ぐな!」


 真っ青になって叫んだコペルティーニ公爵を制して、アリアはもう一発繰り出される拳を黙って受け入れた。ついよろけてしまったが、それでも何とか倒れずに踏みとどまる。


 そして、次の一発を繰り出そうとするレベッカに向けて、アリアは優しく問いかける。


「それで……あなたはどうしたいの?」


 その一言が、レベッカの動きを止めた。


「どうしたいって……」


 そんなのは決まっている。この女に復讐を遂げたい。ただそれだけだった。レベッカの心にあるのは。だが……目の前に立つアリアのその眼差しは、それが間違いであると否定しているかのように見えた。


「わたしは……わたしは……」


 次第に頭の中が冷えていき、同時にこんなことをして何になるのかという気持ちも芽生えてくる。失ったものは帰ってこないのだ。商会もそして恋人も。それはもちろんわかっていた。


「ねえ……レベッカさん。オズワルドさんのことは、気の毒だけどもうどうしようもないわ。彼、すでに他の女の人と……」


「知っている。結婚したんだってね……」


 相手はアルカ帝国の皇女だと聞いている。そのことは本人から聞いたわけではないが、この町には要らぬことを吹き込んでくる輩には不自由しないのだ。


(こんなことになるのなら……あのとき……!)


 オズワルドは、一緒にオランジバークに行こうと言ってくれた。あのときの選択がレベッカの心をいつまでも離してくれない。


(未練だとは思っている。だけど……)


 それでも何度も思うのだ。もし、イエスと言っていたらと。そうしていれば、こんな牢の中なんかにおらず、笑顔で彼の隣にいたのではないかと。そして……このようにアリアに喧嘩を売って、全てを失わなくても済んだのではないかと。


「ねえ……レベッカさん。もし、まだ復讐を望んでいるのであれば、ここから出た後、好きにすればいいわ。カルボネラ商会もそのままにしてあるから、存分に勝負を挑んできなさい」


「え……?」


 その言葉の意味を理解しきれずに、レベッカはアリアを見た。すると、コペルティーニ公爵が言う。「無罪であることがわかったため、レベッカ・カルボネラを釈放する」と。


「あの……わたしは、国家反逆罪に問われているのでは……?それに商会をそのままにしているって……」


「最終的に総督府は、証拠不十分により君の無罪を確定した。アリア陛下の仰せの通り、もう自由の身だから、好きにしなさい」


 但し、次は自分を巻き込まないでくれよと、コペルティーニ公爵は念を押すようにだが、笑いながら冗談めかしく言った。そのうえで、商会のことはアリアに訊いてくれと丸投げもした。


 そして、それを引き継ぐ形で、再びアリアが事情を説明した。すなわち、カルボネラ商会の乗っ取りは行っていないとしたうえで……


「これで、あなたのお父様から受けた恩は返したからね。次は容赦しないわよ」


 それだけ言い残して、アリアはレオナルドを伴いこの部屋を後にする。あとは、彼女がどう選択するかだが……願わくは、これからのことだけを考えて進んでもらいたいとアリアは思った。


 後ろに道はないのだからと。

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