第11章 女商人は、古人が残した悪意に導かれて

第384話 女商人は、女王になる

 宮殿のバルコニーから見下ろす限りに、人、人、人。王都ルシェリーのみならず、国内各地から集まった民衆が新女王になったアリアの姿を見ようと、そして言葉を聞こうとこの場に集っていた。


「緊張するわね……」


「大丈夫だ。予定通りにやれば……」


 5月初旬の陽気も相まって、深紅のマントの下は汗でびしょびしょだ。そんな彼女の背中を押すようにレオナルドは傍で優しく言葉を掛けて勇気づけた。すると、アリアは一度ニッコリとレオナルドを見て、それから一歩、二歩と前へ出た。


「みなさん、新しい時代にようこそ」


 マイク越しでそう語りかけると、民衆は静まり返った。視線が一斉に向けられて、次の言葉を待っているのが伝わる。だが、アリアは臆さない。手元に原稿を持たずに、自分の言葉で思いを伝えていく。


「本日、わたくし、アリア・ハルシオンは、この栄えあるハルシオン王国の第38代国王に即位したことを……ここに、全ての国民の皆様へご報告いたします」


 その言葉に違和感を覚えた者がいたのだろう。眼下の民衆の一部でざわめきが起こっているのが見て取れた。通常は、「臣民」というべきところをアリアは「国民」と言ったのだ。初手から言い間違えたのではないかと。しかし……


「わたくしは、ここにお約束します。国民の皆様と共に手を携えて、この国をより良いものにしていくということを。理不尽な暴力に怯えず、飢えや困窮に怯えず、そして、戦争の恐怖に怯えずに済む国に、わたくしの治世の間に成し遂げるということを」


 もう一度、「国民」と言ったことで言い間違えではないことがわかり、その内容と相まってざわめきはさらに広がっていた。但し、その多くは戸惑いの声。中には、アリアの言を「絵空事」と決めつけて、周りに「現実が見えていない女王の誕生」などと、揶揄する者もいた。だから、アリアは示してやることにした。本気で考えているということを。


「そこの人!今、わたしのことを『夢の世界に居る馬鹿女王』と言いましたね?聞こえましたよ。どうして、そう思うのか。前に出てわたしに聞かせてくれるかしら?」


 アリアは30メートルほど離れた場所に向かって指をさして、力強く言った。すると、近衛兵たちが周囲の者に話を聞きながら、その男を特定してバルコニーの下へと連れてくる。当然だが、言った内容が内容なだけに、青ざめていた。この場に居た誰もが思う。死罪は免れないだろうと。


 だが、アリアはもう一度訊ねた。どうして、先程言ったことが実現できないのかと思うのかと。


「まず、理不尽な暴力ですが、この世に貴族がいる限り、無くなることはないかと思います。それとも陛下は、貴族の特権を廃止なされると言うのですかな?いや、それをなさればきっと、この国は反乱祭りとなりますが?」


 それでも理想に殉じて、突き進むのかと男は問うた。反乱が起これば、即ち戦争の恐怖に怯えるだろうし、戦火や略奪行為により、飢えや困窮に国民の多くが怯えることになるだろうと。だが、アリアは答える。「そうならないように皆の力を借りたい」と。


 その上で、改めて前を向いて民衆に訴えた。


「この国は、わたくしたち王族や貴族たちだけのものではありません。国民の皆様のものでもあります。ですので、どうかこの『夢の世界に居る馬鹿女王』に力を貸してほしいのです。さっき申し上げた3つの夢を実現するために」


 そして、「どうかよろしくお願いします」と頭を下げた。民衆は一体何が起きているのだろうと、ポカンとその様子をしばらく見つめていたが……やがて、至る所で声が上がった。


「陛下が……女王陛下が、わたしたちに頭をお下げくださってお願いされているんだ。みんな、何を黙っているんだ!一肌も二肌も脱ごうじゃないか!!」


「そうだ!陛下は我らのことを考えていらっしゃるのだぞ!!今は絵空事かもしれないが、皆の力で成し遂げようじゃないか!」


「そのとおりだ!ハルシオンの新時代は、女王陛下と共に俺たちが築こうじゃないか!!」


 そして、いつしか民衆は口々に「女王陛下万歳!」「新しいハルシオンに栄光を!」と叫んでいた。アリアは彼らを見て、微笑みを浮かべてあとは手を振った。すると、レオナルドがそっと近づき囁いた。「上手く行ったね」と。


 しかし、アリアは答えない。これは魔国との和平を成立させる過程においては、まだ一歩目にしか過ぎなかったからだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る