第383話 大商人は、娘の行く末を案じながら逝く

 その日、フランシスコはカルボネラ商会の幹部を緊急招集した。自分がハルシオンの王太子であるアリアのやり方に不満を持っているという噂話を耳にしたからだ。事実無根なだけに放置できない、そう考えて。


「すると、会頭は本当にアリア殿下に思うところはないのですな?」


「何を言っている。そんなことは当たり前だろう。これから御即位されて、その恩恵を大なり小なり享受できるというのに…だ。なぜ、そのような馬鹿げた話になる?」


「しかし、お嬢様の件は……」


 幹部の一人が言い辛そうにして、そのことを口にした。アリアがオズワルドを引抜き、オランジバークに連れて行ったからこそ、レベッカとの縁談は破綻したのだ。噂にあるように恨み言を零したとしても何も不思議ではないと。


「馬鹿な……儂がそんな公私混同で物事を決めるとでも思っておるのか、おまえたちは。この際だからはっきり言うが、この件に関しては何も思ってはおらん。儂が憂慮しているのは、この噂によって殿下との関係に水を差さないかということだけだ」


 だから、町に広まった噂を一刻も早く鎮めろと、フランシスコは命じた。そして、自らはオランジバークに行って直接アリアに会って釈明するとした。しかし……


「あ、あれ……?」


 必要な指示を下し終えて席を立とうとした刹那、頭に痛みを覚えたかと思うと、急に平衡感覚を失ってしまった。


「会頭っ!」


「い、医者だ!すぐに医者を呼べ!早く!!」


 周囲で人の叫び声が聞こえたが、フランシスコは床に倒れたまま、口も体も動かすことができなかった。やがて、それらの雑音も次第に聞こえなくなり、そのまま意識を手放した。





「……さま、お父様……」


「う、う…ん……こ、こ……は?」


 随分と長く眠ったような気がして、目覚めたフランシスコの瞳に娘のレベッカの顔が映った。涙を流している様子から、どうやら心配をかけた様だと思い、昔のように安心させようと彼女の頭を撫でようとした。しかし……どういうわけか指も腕も動かすことはできなかった。


(これは一体どういうことだ?)


 フランシスコは困惑しつつも状況を把握すべく、レベッカに訊ねようとした。


「こ、れ……ど、うこ……だ?」


「え……何を仰って……?」


 だが、思うように口も動かず、真面な言葉にはならない。すると、彼女の傍に居た医者が告げる。「最早、回復の見込みがないので、意識が戻った今のうちにお別れを」と。フランシスコは「馬鹿な!」と叫びたかったが、やはりそれもかなわない。


 そんな父親に、レベッカは涙を拭って気丈に別れの言葉を告げ始める。


「お父様……わたしのことで、こんなになるまで心労をかけてしまいごめんなさい。……本当にわたしは……親不孝な娘ですね」


 その言葉にフランシスコは「何を言っている?」と思った。別に心労などかけられていないというのに……。


「オズワルドのことは……ついて行くべきだったのか、今でも迷っているわ。お父様もそうするべきだと勧めてくれていたしね。……だけどね、わたし教えてもらったの。それこそがあの女の狙いだってことを」


 レベッカは言う。自分がオランジバークに行って、オズワルドと結婚すれば、このカルボネラ商会は後継者を失い、あの女に乗っ取られてしまうと。かつてのブラス商会と同じように。


(誰だ!そんな戯けたことを吹き込んだという者は!)


 フランシスコは強い憤りを覚えたが、同時に途轍もないほどの嫌な予感もしていた。「あの女」で思い当たるのは一人しかおらず、それは絶対に敵に回してはいけない相手だ。


「……お父様、わたしはここに誓うわ。この商会を受け継ぎ、あの女の野望を必ず挫いて未来へつなげることを。相手が大国の王太子だろうが……女王だろうが関係ない。お父様に受けた恩を仇で返したあの女をわたしは絶対に許さない!必ず、復讐を遂げて見せるわ!!」


 だから、天国で見守ってくださいとレベッカは微笑んだ。だが、フランシスコは呆れていた。どこの誰かの掌の上かは知らないが、容易く踊らされている愚かな娘に……。


(はぁ……どうやら、儂は娘の教育に失敗していたようだ……)


 こうなってしまっては、レベッカの行く末は決して明るいものではないだろう。場合によっては、命を縮めることもあり得る話だ。しかし、これから死にゆく自分には何もしてあげることはできない。それこそ、あの世から愚か者の末路を眺めることくらいしか……。


 次第に薄れゆく意識の中で、フランシスコはあの世に行ったらまず妻に謝らないといけないなと思った。果たして、許してくれるだろうかと。そんなことを思いながら、愚かな娘の行く末を想い、最後に肩を落としたのだった。

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