第385話 女商人は、ポトスのきな臭さを感じるも

「はぁ……緊張したわ。でも、上手く行って本当によかったわ」


 バルコニーから下がり、予定されていた行事を終えたアリアは、マントを脱いで着替えを終えてから、こうして夫共にお茶を飲んでいた。とは言っても、ここは王宮なのでドレス姿には違いないが。


「そういえば、ポトスのフランシスコさんが亡くなっていたんだってね」


「そうなのよ。しかも、随分と前の話みたいね。一体どういうことなのかしらね……」


 レオナルドの言葉に、アリアはやや俯き加減で寂しそうに言葉を零した。亡くなったのは、昨年の秋とも暮れとも、それとも新年早々なのか。それすら定かではない。何でも、遺言で死をしばらく秘するようにとあったとかで、公表されたのはつい最近のことだ。


「彼には本当にお世話になったわ。商人として成長できたのも、そして、今日こうして女王として即位できたのも、全て彼のおかげ。だから、本当はこれから受けた恩に最大限に報いたかったのだけど……」


 アリアはそこで一度話を切り、顔を上げた。そして、些か思案するような顔つきに表情を変えて、ぼそりと零した。「でも、亡くなったことを秘密にする理由ってあるのかしら?」と。


「考えられることは、カルボネラ商会の運営上の問題よね。フランシスコさんが亡くなったことが知られたらまずいような話があったのなら、そういうこともあり得ないわけじゃないけど……」


 それが果たして何なのか。アリアは皆目見当がつかない。ただ、きな臭さは感じていた。そんな妻の様子を見て取り、レオナルドは気になったことを素直に伝えた。


「跡を継いだのは、確か娘のレベッカさんだったよね。オズワルドのことで揉めた……」


「え……揉めた?何なの、その話。わたしは知らないけど?」


「あれ?アンちゃんからも、ルーナちゃんからも聞いてなかったの?オズワルドは、オランジバークに引き抜いた後、レベッカさんに振られたみたいだよ。商会の跡取り娘としては一緒に行くわけにはいかないとか言って」


 その言葉にアリアは考える。そういう事情ならば、揉めた原因を作ったのは間違いなく自分であると。しかし、それがフランシスコの死を隠すことのどう繋がるのか。レオナルドは単純に「気に食わなかっただけじゃないのか」と言ったが、果たして本当にそうなのか。


 しかし、その思考は半ば強制的に中断させられた。レオナルドの方が話に区切りがついたと見て、話題を変えてきたからだ。


「なあ、アリア。話は変わるけど、本当にさっきの男を大臣に起用する気かい?反発されるんじゃないのか?」


 いきなり何を言い出すのかと思いながらも、アリアも頭を切り替えてこれに応対した。


「その辺はしっかり根回し済みよ。それに大臣と言っても、新しく作った宣伝担当の大臣だからね。旨味がないし、今のところは反対する声も聞こえないわ」


 そう言って、アリアはもう一口お茶を飲む。そう……主な派閥を率いる大貴族たちには伝えているのだ。彼を起用するのは、新女王として国民に寄り添う姿を見せるという一種のパフォーマンス。万に一つ、革命といった事態を引き起こさないための布石であると。


 だが、もちろんそれは、『表向き』の理由だ。


「彼には国内世論の誘導を……っていうことだけど、本当にできるのかな?」


「なによ。レオはまだ反対しているの?何度も言ったじゃない。普通のやり方をしていたのでは、とてもじゃないけどあと5年で魔国との和平を実現することはできないわ。だから、彼の『ペテン』にかけると」


 現状、国内世論は未だ、魔族に敵対心を抱く正教会を支持する声の方が強い。魔族との融和を説く新教を支援するため、アリアもかなりの財貨を投入してはいるが、芳しい成果は上がっていないのだ。


「もちろん、他国で収監されていた詐欺師なのはわかっているわよ。結婚詐欺に投資詐欺だったかしら?ホント、とんでもない人よね」


「だろ?だから……」


「でも、今のわたしには必要な人よ。だから、レオもわかってもらえないかしら?あなたまで敵に回ったらわたしは……」


 アリアは目を潤ませて、レオナルドに訴えた。こうなると、最早反対することはできない。


「わかったよ。俺が悪かった。謝るから泣かないでくれよ」


今日もまた白旗を挙げてしまうのだった。そして、そのとき部屋の扉がノックされて、侍女が「準備が整った」と伝えてきた。


「さて、そろそろ行ってくるわね」


 アリアは目元の涙を拭って、もう一口、カップに口を付けてから立ち上がった。これから、今の話で話題に上がったエドワード・マーティンとかいう男に会うらしい。正式に宣伝大臣に任命するためだ。


「いってらっしゃい」


 些か不本意ではあるが、レオナルドは彼女をそう言って見送った。その上で、「このモヤモヤした気持ちは天使に慰めてもらおう」と呟き、娘のいる部屋へと向かったのだった。

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