第376話 事務長は、イケイケドンドンを憂慮する
レオナルドが帝都に向けて出立してから3日が経った。ルーナの下にネポムク族のヤンから手紙が届く。以前のルーナであれば、嬉しさのあまり昇天しそうな勢いでドキドキしながら目を通すところであったが……
「ついに来たようね……」
今では全く心を乱すことなく、その内容を理解して気を引き締める。
『アルカ帝国領より難民が大挙して越境した模様。その数は2千余——』
手紙にはそう書かれており、予てからの取り決め通りにオランジバークの南にある荒野に急ごしらえで設けられた入植地に向かわせたとあった。ただ、手紙は昨日の日付であることから、実際にはもうそろそろ着くことかもしれない。ルーナは慌ただしく動き出した。
「アンさん、これから忙しくなるわよ。頼んでいた品物は順調に届いている?」
「はい、ご指示のとおりに入植地に設けた我が商会の倉庫に運び込んでおります」
小麦100万トンは既にレオナルドの転移魔法によって、入植地内にある政府直営の倉庫に納品している。だが、ルーナはそれにとどまらず、ハンベルク商会の主力商品である塩をはじめ、ハルシオンやポトスから取り寄せた毛織の衣類や南方ムーラン帝国で栽培されたトウモロコシやイモなども、かなりの量を手配したのだ。
「ですが……本当に売れるのですか?」
だから、アンがそう思うのは無理からぬことで、心配そうに帳簿を見ながらルーナに確認する。これらの品物を売ったとして、着の身着のまま流れ着いた者たちが果たして買えると言うのだろうかと。
しかし、ルーナは自信たっぷりに言った。「別に売らないわよ」と。
「はあっ!?」
言っている意味が分からず、アンは声を上げた。売らないのであれば、なぜ調達するように命じたのかと。だが、そんな彼女にルーナは言う。売るだけが商売ではないと。
「今回調達した品物はね、避難民たちの労働に対する報酬として用意したものよ。例えば、1日8時間働いたら、毛織のセーターが1着貰えるとか……まあ、そんな感じね」
そして、その労働力の使い道は、鉄道建設事業だとルーナは説明する。
「この機会にルワールからオランジバークまで一気に開通させるわ。そうすれば、帝国の人間もここに来やすくなるでしょ」
自分の実家であるルワール藩に線路を繋ぐことは、明らかに公私混同であるが、ハンベルク商会の利益を考えれば些細な問題だとルーナは考えている。その証拠に、事前にアリアに相談した手紙の返書にもそれをたしなめる文言は書かれていない。あるのは実行の許可のみだ。
「多くの人が集まれば、それだけ商売の機会が増えるわ。数十から百万規模の都市が目と鼻の先にできるのよ。今よりもっとこの商会は大きくなるわ」
その一助になるのが、鉄道の開通だ。その日が来るのが楽しみだとルーナは笑みを浮かべた。その一方で……アンの表情は冴えない。
「し、しかし……ポトスのフランシスコ氏が騒ぐのではないでしょうか。オズワルド氏の引き抜きで随分と不満を漏らしていると漏れ聞こえてもおりますし……」
資金提供の協力を呼び掛けた際に、フランシスコはポトスとオランジバークを結ぶ路線を開通することを協力の条件としていた。そのことはもちろんルーナも知ってはいるが、彼女は問題ないと答えた。
「元々、北部同盟内の一部が開通してからで構わないと言っていたのは、フランシスコさんだと聞いているわ。鉄道開業後の利益でポトス方面に線路を伸ばしていけばいいってね。だから、気にする必要はないでしょ。その方針は変わっていないんだから」
「それは……確かにそうかもしれませんが……」
しかし、それはあくまで関係が良好だった過去の話だ。オズワルドがオランジバークに移ってすぐ、フランシスコの娘であるレベッカは彼に別れを切り出したそうで……これに父親であるフランシスコが怒っているというのだ。
「いくら王太子殿下でもこの仕打ちはあんまりだ。これでは恩を仇で返されたのと同じだ」
何しろ、アリアを王太子にするために、幾度となく骨を折りフランシスコは貢献してきたのだ。それなのに、オズワルドをオランジバークにスカウトしたのは、他ならぬそのアリアで本人である。愚痴の一つでも零したくなったのだろう。
もちろん、相手は大国の王太子だから、フランシスコも公の場で言うはずもなく、零したとしても屋敷の内の話だったはずだ。ただ、どういうわけか外に漏れてしまい、こうしてオランジバークにまで伝わってきている……。
(だからこそ、今は余り争いの種になるようなことは控えた方がいいと思うのだけど……)
フランシスコにその気がなくても、この話を自分の利益に繋げようとするものが現れてもおかしくはない。ルーナのやっていることに理解は示すものの、アンはどうしてもこの先に待つ未来に一抹の不安を覚えずにはいられなかった。
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