第375話 遊び人は、虎の子を猫と見誤る
ルーナとバシリオがもうすぐハンベルク商会に帰ってくる——。
「ふぅ……これで良し」
二人の間で話題に上がっていたとは露とも思わず、レオナルドはルーナが執務を取っているこの商会頭室を可愛いぬいぐるみと美味しそうなお菓子で飾り、謝罪の準備を整えていた。そして、トドメとばかりに綺麗な包装紙にラッピングされた紙箱をテーブルの上に置く。
「公爵の特権を使って、待ち時間なしで作ってもらったオーダーメイドのシュークリームだ。これさえあればきっと大丈夫だ。許してくれるだろう」
それは、王都ルシェリーで今話題になっている最先端のお菓子だ。先月の販売開始以来、その美味しさが大変評判となり注文が殺到。予約は3年待ちという、正に幻の逸品だ。
ちなみにだが……王太子であるアリアでさえも食べたことはない。
それゆえに、レオナルドは絶対の自信を持っていた。この状況で頭を下げて「ごめんなさい」と言ったら、必ず許してくれるだろうと。しかし……そうは問屋が卸さなかった。
「……あの、お兄様?もしかして、わたしのことをお子様だと思って舐めてます?」
「え……?い、いや、そんなことは……」
差し出したシュークリームに手を伸ばすでもなく、代わりに向けられるのは冷たい視線。レオナルドは悪い流れを感じて、背中に汗をにじませた。そして、そんな彼にルーナは言う。
「別に、ヤンさんのことはもう怒っていませんわ。ええ……『初恋だったのに酷い!乙女の恨みの怖さを思い知らせてやるわ!末代まで祟ってやる』とか、『やられたらやり返さなきゃ。倍返しでアレも潰して』とかは、思っているけど言わないわ。だって、そんなこと言ったって、もうどうしようもないわけで……」
結局言っているじゃないかと、レオナルドは心の中で突っ込むが、同時にルーナの強い怒りを感じて、どうしようかと頭も抱える。彼女が許してくれるまではアリアの元に帰れないのだが……末代まで許してくれないとなれば、『永遠に』ということになるのだ。
「あ、あの……どうすれば、許してくれるので?」
だから、レオナルドは縋るような気持ちでルーナに訊ねる。すると、彼女は二つの条件を提示した。一つは、バシリオとの話でも出た帝都近郊の死体の処理だ。
「い、1日36時間働いてもらうって……ル、ルーナちゃん?1日は24時間しかないと思うのだけど……?」
「あら、シーロさんはやっていましたよね?クイーン・アリア号の建造の時に」
その言葉にレオナルドの顔が思いっきりひきつる。あの時のシーロの姿は、アリアでさえもドン引きで……珍しく要求を撤回するほど人類の限界に挑戦していた。
「え……?あ、あれをやれと……」
「そうよ。じゃないと、あれだけの死体がアンデッド化したら、帝国のみならずこの大陸全体の脅威になりますからね。お兄様には可及的速やかに対処して頂かないと」
そして、魔力回復薬は潤沢に用意しているから後で渡しますねと告げた。実に手際のいいその手配りに、レオナルドは青ざめた。
(猫だと思って尾を踏んだら、実は虎の子だったとは、こういうことをいうのか……)
今の彼女の立ち振る舞いは、まさにアリアがここに居るようで……軽視すると、勇者の末路を追いかけることになるとレオナルドは予感した。そうなると、やらざるを得ない。少なくとも、子供はあと二人か三人は欲しいので、今、アレを潰されるわけにはいかないのだ。
「そ、それで、もう一つの条件とは?」
一つ目の死体処理の件は承諾して、レオナルドは恐る恐る次の要求を訊ねた。すると、ルーナは急に頬を染めて、もじもじしながらさっきとは打って変わって蚊の鳴くような声で言った。もちろん、断片的にしか聞こえない。
「えぇ……と、聞こえ辛いんだけど、バシリオと何だって?」
「だからね、わたしたち婚約したのよ。それでね……そのことをうちの父に言って、説得してもらいたいのよ。たぶん反対するだろうから」
「…………え?」
今度は聞こえたものの、内容が理解できずにレオナルドはルーナと……バシリオを見た。この冴えない中年予備軍が、どうやったらこんな可憐な……まだ16歳の少女の婚約者となるのか。一体、この世界で何が起きているのかと思いながら、唖然としたまま言葉を詰まらせた。しかし……
「レオナルドさん!俺たち本気なんです。だから、応援してもらえないでしょうか!」
バシリオは臆することなく、想いをハッキリとレオナルドに伝えた。ゆえに、冗談とかからかっているということではないことは理解する。
だが、応援できるかどうかとなれば別だ。どちらかというと、他の若い男を探してきた方がいいような気もするし、ましてやルーナの父親を説得するなんて無理筋だ。関わりたいとも思えずに、レオナルドは断ろうとした。
「ルーナちゃん……悪いけど、それはおうちの話だから、俺が口を出すわけには……」
きっとアリアだってそう思うはずだと、レオナルドは返答した。この件で彼女が許してくれなくなったとしても、アリアにそのことを説明すれば大丈夫だと判断して。
すると、そんなレオナルドにルーナは囁く。
「あら、いいんですか?その場合はヤンさんがルワール藩を継ぐことになりますが?」
「えっ!?」
いきなり何を言うんだとレオナルドは驚きの顔を見せるが、ルーナはクスクス笑って告げる。前提条件として、父親が認めなくても結婚するからと。
「でも、その場合は駆け落ち婚。当然、ルワール藩を継ぐということにはならないわ。すると、どうでしょう。養女と言っても藩主の娘がいて、その婿がいる……」
「ま、まさか……」
ルーナが言うような状況で、もし彼女の父親が急死でもすれば、ヤンが次期藩主となる可能性が高いということにレオナルドは気づいた。ましてやネポムク族と合併すれば大きな勢力になるわけで、これからの内乱時代を勝ち抜くことを考えれば、決して間違っているわけではない。
「だから、協力してくれるでしょ?」
「わかった。そういうことなら、喜んで力になるよ」
だが、ヤンが幸せになることを望まないレオナルドは、そのような未来の到来を許すわけにはいかない。ゆえに、彼は懲りずにまた余計なことに首を突っ込むのだった。
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