第312話 魔王は、秘密を墓場まで持っていくように命じる

「……思わぬ道草を食ったな。参るぞ」


 アイシャと別れた魔王アウグストは、彼女の姿が見えなくなったところで顔を引き締め直して側近のアンドリューに言った。一見、予定が狂って不満げに言っているように聞こえる。しかし……


「文句を言っている割には、顔が緩んでますよ……」


 アンドリューは、的確に主君の顔がいつもと違っていることに気づいて、透かさず要らぬことを言った。何しろ、いつもの仏頂面が消えて、どこか浮ついて見えるのだ。そして、その答えに辿り着いた兵士たちの間で、同時に笑いを堪えるような音が聞こえた。


「だ、黙れ!俺はさっきの女に惚れたなどとは言っておらぬぞ!」


 アウグストは顔を真っ赤にして反論した。そう、何もまだ妃に迎えるとか、そんな重大な結論は出していないと。種族の垣根があることは十分承知していると言って。


「……陛下。語るに落ちるとはこのことかと」


 だが、そんな主君をアンドリューは呆れるように言った。これでは、さっきのアイシャとかいう女に一目ぼれしたことを認めているようなものだ。そのことに気づいて、アウグストは言葉を詰まらせて、一呼吸を置いて咳払いをしてからアンドリューを含めた兵士一同を睨みつけて告げた。


「いいな。このことは絶対に誰にも言うんじゃないぞ」


 全員、今日のことは墓場まで持っていくようにと、厳命を下したアウグスト。童貞もここまで拗らせると厄介だなと思いつつ、これ以上揶揄うとロクなことは起きないと察したアンドリューが代表して頭を垂れた。「畏まりました」と。


「……それで、この道は本当に領主館への最短路なんだな?」


 まだ顔に少し赤みを残したままで、アウグストは何かを誤魔化すように早口で、この道を教えてくれた兵士に訊ねる。彼はこの町の出身者で、土地勘があると聞いていた。


「はい。もうしばらく行くと林があり、そこを抜ければ、領主館のあった丘の麓に着きます。本来であれば、そこから先は断崖絶壁で昇ることは不可能ですが……」


「今はその崖が崩れて、遺跡はすぐ目の前ということか……」


 見上げたその先、林の向こうに巨大な遺跡がその姿をむき出しにしているのが確認できる。妙なことに、さっきから凍っては溶けて、凍っては溶けてはしているものの、何とか爆発せずに持ちこたえていた。


「とにかく、急ぐぞ!」


 正直言って、行った所で何ができるのかはわからない。破壊すれば解決するようなものであるのなら、全ての魔力をぶつけるのだが、そんなことをすれば逆に破滅的な大惨事を招くことだってあり得るのだ。


 だが、それでもアウグストは足を止めることはなかった。彼は魔王なのだ。逃げるわけには行かないと心に決めていた。例えその結果が命を落とすということになったとしても。


「それにしても、オランジバークの名が出てくるとは、驚きましたな」


「ああ、恐らくはハルシオンのアリア王太子が絡んでいるのだろうな。どうやら、大きな借りができてしまったようだ」


 走りながら隣のアンドリューに言われて、アウグストも同じように返した。何だかんだと言っても、二人は幼い時から行動を共にしていて、息がぴったり合っている。


「だが、船ごと転移させる魔法など聞いたことないな。もしかして、大賢者と呼ばれるユーグ・アンベールの仕業か?」


 その名は、魔国でも知られている。だから、面識はないものの、アウグストの脳裏にその存在がまず浮かんだ。


「おそらくはそうかと。彼の人物はハルシオン国王と強い繋がりがあるようですからね。アリア王太子の密命を帯びていても、不思議ではないかと」


 そして、そのような『化け物級』が他にも居たら困るともアンドリューは笑いながら言った。それに対してアウグストも「同感だ」と答える。


 そうしている間にも、アウグストたちは市街地を駆け抜け、林をも抜けた。


「フリーズ・ド・ゼロ!」


 頭上から突然その声が聞こえたかと思うと、急にあたりが寒くなった。同時に、眼前の遺跡を覆っていた氷に入っていた亀裂があっという間に修復されていく。


「……なあ、どうやら他にも居た様だな。化け物級は……」


 上空で遺跡に向かって氷結魔法を放つ男は、誰だか知らぬが相当な実力者だ。見れば、すぐさま薬のようなモノを飲んでは、空になった瓶を放り捨てているが、地面に落ちている数を見れば、その数は50を超えている。


「普通、これだけ魔力回復薬を立て続けに飲んだら、気を失ってもおかしくないんだがな……」


 しかし、アウグストの視線の先にいる男は、平然と次の魔法の詠唱に備えて宙に浮いていた。つまり、相当な実力者ということなのだろう。


「負けてはいられないな……」


 アウグストはそう呟いて、表情を引き締めた。ただ、このやり方だといずれ限界が来るのは目に見えていると考えて、他の解決方法がないのかを考える。何しろ、ここで死ぬわけには行かないのだ。道すがらに出会った可憐な少女との再会の約束を果たすためには……。

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