第282話 魔国の大臣は、反逆に誘われる

「ば、馬鹿な!ワシは陛下の傅役だぞ!!そのワシが……なぜ、罷免されなければならんのだ!」


 アリアがオランジバークを出航したちょうどその頃、魔国の首都メジスアートにある財務大臣公邸で、屋敷の主であるバルモスは目の前に座るアンドリューを相手に激高していた。彼は、アウグスト派の重鎮であり、来年には宰相に就任すると目されていたのだ。それなのに……。


「罷免ではございません。自主的にご隠居頂きたいということですよ。陛下は、閣下の長寿を願っており、ご領地でゆっくりと余生を過ごして頂きたいと……」


 しかし、アンドリューは動じる様子を見せずに、淡々と白々しいセリフを吐く。その態度がバルモスの感情を逆撫でした。


「一緒ではないか!要するに邪魔だから、どこかへ行けと言うことなのだろうが!この恩知らず共がぁ!!」


 怒りに任せて、バルモスはテーブルの上に置かれていたティーカップをアンドリューに投げつけた。


 パリン!


 だが、紙一重の所で躱して、カップはアンドリューの後方で床に落ちて割れた。


「閣下。危ないではありませんか。どうか落ち着いてください」


「うるさい!」


 何食わぬ顔でアンドリューはバルモスを宥めようとするが、当然のことながら彼は聞く耳を持とうとはしなかった。そこで、アンドリューは、カバンの中から何枚かの書類を取り出して、カップが一つとなったテーブルの上にそれを置いた。


「まあ、これを見てもお辞めにならないのであれば……無理には申しませんが」


 その書類は、バルモスが公金を着服していたことを示す裏帳簿の写し。それを手に取り、バルモスの顔は見る見るうちに青ざめていく。


「な、なぜ……これが……」


「出所は教えることはできません。しかし、その様子からすると、どうやら本物の様ですな」


「うっ!……し、知らん!に、に、に、偽物だ!」


「……まあ、偽物であっても、陛下が本物と言えば、本物になりますけどね」


 だから、否定しても無駄ですよとアンドリューは告げる。何しろ魔国は専制国家なのだ。魔王が黒と断じれば、白いものでも黒となる。今までも、そして……これからもだ。


「わ、ワシにどうしろと……」


 ついに逃げ場がないことを悟り、バルモスは縋るようにアンドリューに訊ねた。すると、そんな彼にアンドリューは優しく告げた。


「ですから、ご隠居をお願いしているのです。陛下としても、大恩ある閣下を処刑台に送るのは忍びないということなのですよ。どうか、最後のご奉公として受け入れてくれませんかね?」


 バルモスに頷く以外の選択は残されていなかった。





(くそ……このまま終わってしまうのか……)


 アンドリューが帰った後、バルモスは独りやけ酒を煽りながら悔しさを噛みしめていた。ただ、魔王の苛烈さは幼き頃より傍に居てよく知っている。アンドリューの言うように、もし拒めば、次は容赦なく捕吏がこの公邸を取り囲むであろう。


 そう思えば、素直に従った方が身のため。せめてもの腹いせに、この公邸に保蔵してある1本10万Gは下らない高級ワインを可能な限り飲み干そうと心に決めて、次々とラッパ飲みで空けていく。


「おやおや……バルモス閣下ともあろうお人が、若造にやられたくらいでやけ酒ですか?」


「誰だ!?」


 時刻はすでに夜12時を大きく回っていて、使用人の大半が眠りについている。そんな中で聞こえた声に、バルモスは不審に思って声を上げた。すると、バルコニーから人が一人入ってきた。


「おまえは……確か、ゴメス将軍の所の……」


「覚えておいででしたか。ゴメス将軍の副官を拝命しているパテロです。夜分遅く申し訳ありませんが、是非お話をと思いまして。……ちなみに、わたくしも1本頂いてもよろしいでしょうか?」


 パテロは一切悪びれることなく、そう申し入れた。


「ククク、いいだろう。好きなだけ飲め」


「ありがとうございます」


 バルモスは愉快に笑い、パテロは大きな盥の中で冷やされているワインを1本拝借して、栓を開けて口をつけた。


「美味しいですな……」


「だろ?1本100万Gする高級品だ。残しても他の奴の物になるから、遠慮なくやってくれ。……それで、何の用だ?」


 ゴメス将軍は、勝手なことをしたと魔王に叱られて、只今絶賛謹慎中の身だ。その側近がこんな夜中に訊ねてきたのだ。ただ酒を飲みに来たのではないのだろうと、バルモスは問いかけた。すると、パテロはワインを脇に置いて、真面目な顔をして申し入れた。


「閣下。我が主と共に、魔王を引きづり降ろして、富貴を分かち合いませんか?」


 それは、反乱のお誘いだった。

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