第279話 女商人は、迫力に負けて方針を撤回する

「あっ!アリアさん」


 造船所に姿を見せるなり、シーロが嬉しそうに駆け寄ってきた。


「もう大丈夫なんですか?いきなり倒れて、あれから姿が見えなかったものだから心配しましたよ……」


「ごめんなさい。そう言えば、あの時シーロもいたんだったわね」


「いましたよ!忘れるなんて、流石に酷くないですか!?」


 やはり、疲れのせいか気が立っているのだろう。アリアはシーロの語気がいつもより荒いような気がした。目の下にある隈は化粧で誤魔化しきれずに、以前よりも色を濃くしているような気も……。


「ご、ごめんなさいね。……ま、まあ、言い訳に聞こえるかもしれないけど、色々あったのよ」


 だが、心配をかけたのは事実であり、アリアは素直に詫びて事情を伝えた。


「妊娠……ですか!?わあ!おめでとうございます!!」


「あ、ありがとう」


 その満面の笑みと大きな声にアリアは少し気後れするが、こうして喜んでくれるのは嬉しく思い、感謝の気持ちを伝えた。そして、ここからが本題だと思い、気を引き締め直す。


「それでね、シーロ。実は今度魔国に行くことにしたの」


「魔国って……魔王の国ですよね?」


「そうよ」


 アリアはシーロに事情を説明した。魔王の花嫁に望まれて誘拐されかかったこと、その魔王は人族との和平を望んでいることを知ったことを。


「だから、わたしは直接会って話をしたいと思ってるの。もちろん、お腹には子もいるし、結婚はできないけど、これ以上血が流れない方法があるのであれば、何とかできないかなってね」


「……アリアさんらしいですね」


 大国の王女であり、しかも妊婦でもあるのだ。普通ならそんな選択をする者などいないだろうが、いつでも先頭に立って、例え危険であっても決して人任せにはしない。それがシーロの知るアリアの姿だ。


「それで、いよいよクイーン・アリア号が必要になったわけですね」


 魔国は、ムーラン帝国より海を隔てた西方にあり、ハルシオンのある大陸ともつながっていない。つまり、そこに行くには船が必要なのだと、シーロは正しく理解した。


「ご安心を。もう少しで内装工事も終わりますので、少し遅れはしましたが、あと1週間もすれば就航することができるかと」


 シーロは誇らしげにそう言って、アリアの決断を後押しした。それなのに、どういうわけかアリアの顔が曇った。


「アリアさん?」


 何かあったのだろうかと訝しく思って、シーロは訊ねると……


「そのことなんだけどね……今更、大砲を全部外してもらうってことは……できるかな?」


「は?」


 思わぬ答えが返ってきて、シーロは口を開けたまま固まった。固まったままで、動かなくなった。目も見開いたままで。


「シーロ?」


 流石に様子がおかしいとアリアは心配して声を掛けるが、やはり反応はない。


「うちの人がどうかしたんですか?」


「あ……ニーナ」


 その時現れたニーナに、アリアは仕方なく事情を放した。すると、ニーナは夫の様子を確認して言った。


「アリアさん。どうやらこの人、気絶していますよ」


「は?」


 思いもよらぬ答えに、今度はアリアが口を開けて固まった。


「まあ……ここの所、徹夜続きでしてね。ようやく、明日で終わるから、あと35時間頑張って来るよって、さっき言ってたばかりでして。よっぽど、ショックだったのでしょうね」


「ご、ごめんなさい……」


 ニーナの言葉に、アリアは居た堪れなくなって素直に詫びた。


「それで、起きたら伝えますけど、どういう理由があるんですか?」


 穏やかに訊ねてはいるが、ニーナの目は笑ってはいない。アリアはそんな彼女の姿に息をのむが、逃げるわけには行かないと思い直して、率直に目的を伝えた。話し合いに行くのに、武器は必要ないからと。


「しかし、取り外すと言っても、120門はありますからね。そんなにすぐにはできる話ではありませんよ?」


「ど、どれくらいかかるのかしら?」


 アリアは精々1週間程度だと思って、気安く訊ねるが……


「最低でも……1カ月は」


 ニーナから返ってきた答えに言葉を失った。そんなに待っていたら、交渉の機を失いかねない。


「何とかもう少し早くはならな……」


「無理ですね。この人だけじゃなく、みんな限界まで働いてきましたから」


 アリアの言葉に被せるように、ニーナは苛立ちが混ざった口調でそう答えた。疲労困憊の作業者たちが満足に動けるようにするためには、十分な休暇を与えないといけないからと言って……それに2週間。加えて、準備と移動と後始末で合計2週間といったところだろうと。


「それで、どうしますか?1か月待ってでも、大砲を外しますか?」


 ニーナは、とっても素敵な笑顔でそう言った。


「……いや、構わないわ。そのままで、出航することにする……」


 アリアはその笑顔の裏にある怒気を察知して、方針を撤回した。そうしなければ、とんでもない事態が起こるような気がして……。

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