第8章 女商人は、魔王を振りに魔国へ旅立つ
第277話 女商人は、父親の反対を押し切る
「は……?今、何と申したか?」
夕方の執務室。突然、ハラボーやユーグたちを引き連れて現れた娘の言葉に、フランツは耳を疑って唖然とした。
「だから、わたし、魔王城に乗り込んで、直接話をしてくるって言ってるんだけど?」
歳で耳が遠くなったのかと、冗談めかしくアリアは笑うが、当のフランツにとっては冗談でも笑いごとでもない。決裁しかけていた書類を放り出して立ち上がると、慌ててアリアに詰め寄った。
「待て、待て、待て!なんで、いきなりそんな話になるんだ!?」
魔王はアリアを狙って誘拐を企てたのだ。これは、到底許されることではない。父親としても、この国の国王としてもだ。
ゆえに、捕らえた魔族どもを血祭りにあげて、報復開始の狼煙と成す。それが、ハルシオン王国としてのこれから取るべき姿勢なのだ。なのに、この娘は魔王と和平を望むと言う。
「大体、正教会にも『聖戦』の発動を要請しているんだぞ!そんな簡単な話じゃないだろうが!」
「被害者のわたしが『許す』って言ってんだから、問題ないでしょ!正教会の事なんか関係ないわ!わたし、はっきり言ってあいつら嫌いだから、気味がいいくらいよ!あと、捕まえた魔族たちも連れて行くからね」
「何を勝手なことを言っているのだ!?第一、おまえは妊娠しているのだぞ。馬鹿なことを言ってないで、宮殿でおとなしく……」
「いやよ!もうこんな息苦しい生活なんてまっぴらだわ!わたし、家に帰らせてもらいます!」
「いやいや……おまえの実家はここだろう?」
フランツは、わがままを言う娘にホトホト困り果てて、後ろに控えるハラボーに「なんとかしろ」と目配せをした。しかし……
「陛下……無理です。我々もお諫めしたのですが……王家と縁を切ってでも強行すると言われては……」
「……役に立たん奴だ」
申し訳なさそうに弁解するハラボー伯爵を、フランツは忌々しそうに舌打ちして吐き捨てた。だが、そんなことを言っても始まらない。何とか思い止まるように、説得を試みる。
「……なあ、アリア。おまえが今回の一件を水に流して、魔族との和解を望むのはわかった。だからな、その役目は他の者に任せてだな……おまえは、元気な赤ちゃんを産むことに専念して欲しいんだが……」
すでに妊娠4カ月なのだ。日常生活でも気を配って欲しいと親として思っているのに、未知な……それも魔王の国に行くなんてありえない話だ。
「大丈夫よ。わたしの子よ。これくらいじゃ、どうもこうもないわ!」
しかし、アリアは少し膨らんでいるお腹を触りながら、あくまで強気を崩さない。
「パパ。わたしはね、今までも自分の道はこの手で切り開いてきたの。それを人に任せる?あり得ないわ!」
勇者に置き去りにされてから今日まで。幾多の苦難があり、時には命を落とす危険を何度もあったが、すべて自分の手で道は切り開いてきたのだ。そのことを胸に、アリアは言い張る。
「だが、今回の相手は魔王なんだぞ!?話が通じるとは限らないだろうが!」
「そんなこと、やってみなければわからないわ!」
「やってみてダメだったらおまえ、死ぬんだぞ!わかっているのか!?」
「わかっているわよ!いつだってね!!だけど、それじゃあ、この国に魔王と話せる人ってどこにいるのよ!」
「そんなんは、ハラボーにだな……」
「え……?」
突然フランツに指名されて、ハラボーの顔が青ざめた。それを見て、アリアは断じる。
「無理ね!」
内大臣として幾多の修羅場を経験している彼であっても、魔王に単身直談判をしろと言えば、このように怯えるのだ。アリアはそのことを指摘して、自分が行くしかないと改めて主張した。
「それにね……魔族たちの話だと、魔王は人族との和平を望んでいるみたいなのよ。問答無用で殺されるっていうことにはならないと思うわ」
そうでなければ、そもそも花嫁になんて話にはならないと、アリアは説明した。だから、もし直接会いに行っても、無碍な扱いはされないと。
「むむむ……」
アリアの言い分に理があることを理解して、フランツは唸る。理屈ではそれが正しいのかもしれないが……父親としての感情は別だ。本心では、当然そんな危ない所には行って欲しくない。
「ユーグ殿。頼めるか?」
だが、こうなっては最早この娘は止まらないだろう。ならば、可能な限り身の安全が確保されるように手を尽くす。フランツは、今考えられる最高戦力である彼に白羽の矢を立てた。
「わかっている。アリアちゃんのお腹の子は俺にとっても孫だからな」
だから、任せろとユーグは言った。
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