第274話 魔王は、誘拐未遂事件の顛末にペンを落とす

「は……?」


 思いもよらぬ知らせに、魔王アウグストの右手からペンが転がり落ちて、コトリと机の上で音を立てた。


「い、今、何と申した!?」


「ですから、ゴメス将軍が帰還され、花嫁強奪に失敗したと……」


「そうではない!その相手の名だ。もう一度、言ってくれ!!」


「ですから……ハルシオン王国のアリア王太子です」


 報告に上がったアンドリューは、言い辛そうにしながらも、愕然としている主に再度伝えた。


「ば、馬鹿な……確かに、俺はアリア王太子に会う算段を付けてくれと言ったが……誘拐しろとは言ってないぞ!?」


 しかも、結婚が決まっている花嫁を強奪して妃に据えるつもりなどはさらさらないと、アウグストは怒りを滲ませた。


「一体、どうしてこんな話になった!おまえは、俺の命令をなんだと……」


「……申し上げておきますが、今回の件はわたしが部下に命じたものとは関係ございません。将軍に聞いたところ、出所はグラフィーラ夫人のようです」


「グラフィーラ夫人が?」


 アウグストは訝し気に首を傾げた。どうして、夫人がそのようなことをしたのかと不思議に思って。すると、すでに夫人からの聞き取りも終えているらしく、アンドリューは報告した。


「過日、夫人が陛下にお見合いを勧められましたよね。気に入った女性がいれば、その写真に丸を入れるようにと……」


「ああ……そういえば、そんなことがあったな……」


 即位したばかりで多忙であり、それどころではないと全てごみ箱に捨てたことをアウグストは思い出した。


「だが、それがどうしてアリア王太子を花嫁にという話に繋がるのだ?」


「実は、あのとき陛下から渡されたアリア王太子の写真をどこかで紛失したのですが……」


「そういえば、そんなことを言ってたよな?」


 次の日に確かにそんな報告をアンドリューから受けたことをアウグストは思い出した。あの時は大した話ではないと思い、「気にするな」とは言ったが……


「ま、まさか……」


 嫌な予感がして、アンドリューに訊き返した。すると、彼は少し言い辛そうにしながらも、報告を続けた。


「どうやら、あの写真を夫人が拾い、勘違いして話を進めたようで……」


 写真には丸が入っていて、しかもその裏には『ハルシオン王国アリア王太子』と書かれてあったことも含めて。


「写真を落としたのはわたしの責任ですが……よくよく思い返せば、何も写真に丸を付ける必要などは……」


 呆れるようにアンドリューは言った。なぜそんな紛らわしいことをしたのかと。


「馬鹿を言うな!落としたおまえが全面的に悪いだろうが!!」


 しかし、言い逃れを試みるアンドリューをアウグストは一喝した。やっぱり、おまえが原因じゃないかと罵りながら。但し、本気ではない。気心が知れた者同士だからこそできる戯れ合いだ。


「それで……これからどうなる?」


 だからこそ、一通り心のもやもやを吐き出した後、気持ちを切り替えて次善策を求めることができる。


「常識的に考えれば……陛下の求めている会談は実現不可能となり、和平の道筋は遠のくでしょう。場合によっては、ハルシオンが報復の手に出るかもしれません」


「そうか……」


 アウグストは落胆して肩を落とした。戦力的に負けるとは思わないが、戦うこと自体が彼の望むところではない。


「ただ……」


「ただ?」


「アリア王太子は、かなり変わった人物だと聞いています。可能性があるとすれば、そこですね。もし、直接会って今回の事情を説明することができれば……」


 不幸な行き違いを理解して、話し合いのテーブルについてくれるかもしれない。アンドリューは、あくまで低確率ではあると前置きしながらも、自身が出した見解を述べた。


「だが……会うと言ってもどうやって会うというのだ?」


 今回の一件で、ほぼ間違いなくアリアの周辺は守りを固められて、近づくことすら不可能になるだろう。アウグストは人族の姿に化けることができるが、今の状態で通用するとは思えない。だから、彼は訊ねる。「妙案があるのだろ?」と言いながら。


「…………」


 しかし、アンドリューは何も答えなかった。


「まさか……そこまで言っておいて、何も思いつかないのか?」


 アウグストは信じられないと言ったような顔で、最も信頼するその男の顔を見た。そんな主の視線に、アンドリューは申し訳なさそうに頭を下げるのだった。

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