第272話 女商人は、偽勇者誕生に狼狽する

「えっ!?カミラの子が新勇者に?」


「そう……みたいよ……。ハァ、ハァ……一体、どう……なってるのよ」


 この後の披露宴に備えてお色直しをしているアリアに、呼吸を乱しながらも駆け込んできたイザベラはさっき聞いたことをそのまま話した。


「新勇者は……あなたの子のはずよね?」


「どうして……それを?」


 アリアは驚いてイザベラに訊ねた。彼女の記憶はユーグの魔法によって報じられていると聞いていたからだ。しかし……


「そんなことはどうでもいいでしょ!」


 イザベラは真剣な眼差しで、アリアの質問を一蹴した。そして、疑惑の目を向けた。


「もしかして、あなた、自分の子を守るために……」


 日頃から目的のためには手段を選ばない人なのだ。ゆえに、今回のこともそうなのかと疑ってイザベラは言った。ただ……もし、それが事実であるならば、軽蔑する覚悟を決める。


「そんなわけないでしょ!わたしだって、今知って驚いているんだから!!」


 だが、イザベラの疑惑をアリアは明確に否定した。そんなことをすれば、ランスに謂れなき重荷を背負わせて、挙句の果てに不幸にしてしまうだろう。場合によっては命を落とすことだってある。


「アベルのことは今でも許せないし、カミラにも思うところがないわけではないけど……だからといって、ランスを不幸にしたいとは思わないわ。一体誰よ。こんな馬鹿げたことを考えたのは!」


 アリアは怒り、声を荒げた。そして、いっそのこと全てを正直に告白しようとイザベラに言った。他人の子を犠牲にするくらいなら、その方がマシだと言って。だが……


「それは……もう手遅れよ」


 イザベラは悲しそうに言った。筆頭枢機卿の名の下に公表した以上、すでに決定事項として『勇者ランス誕生』の知らせは世界に向けて発信され、こうしている間にも広がっているのだ。それを今更取り消してしまえば、正教会の威信は地に落ちるだろう。


 そして、そんなことを正教会は認めるはずはないと、イザベラは言った。場合によっては、アリアの記憶を改ざんするという強硬手段を用いても……。


「ど、どうすれば……」


 アリアは愕然として項垂れた。色々考えてはみるが、いい考えは浮かばない。時間だけが過ぎていく。


「アリア。そろそろ時間だけど……」


 そのとき、部屋の外からレオナルドの声が聞こえた。披露宴会場に向かう時間になっても出てこないから迎えに来たらしい。もう少し考えたかったが、アリアは仕方なく扉を開けた。


「どうしたの?その顔……」


「レオ……」


 心配そうに見つめるレオナルドを見て、アリアは堪えきれなくなり、涙を流しながら抱き着いた。


「わぁ!ど、どうしたの……?」


 突然のことに驚くレオナルド。しかし、アリアは化粧が崩れているにもかかわらず、泣き止みそうになかった。そんな二人を見て、イザベラが事の次第を説明した。何者かの仕業で、カミラの子であるランスが偽勇者に仕立て上げられたということを。


「なるほど……そんなことが……」


「どうしよう……わたしのせいよ。わたしが我儘いったから……関係ない子を犠牲に……」


 泣きじゃくるアリアの背中を優しく摩りながら、レオナルドはイザベラから聞いた一連の出来事には深い裏事情があることを察した。そして、エデンにいるカミラ親子がここにいるという事実から、自分の父親が関与していることも。


(……となると、国王陛下や王妃陛下も承知している可能性が高いな)


 ユーグに命令を下せるのは、この世界でも限られているのだ。そのことにレオナルドは思いを馳せて、イザベラのいう『アリアの記憶を消去する』という話も、全くありえない事ではないと考えた。


(そうなったら……まずいよな……)


 記憶を失えば、確かに罪悪感はなくなるだろうが、意図せずランスを見殺しにしたとしても真実に気づくことはないということだ。それならば、まだ記憶があった方がマシだ。将来ランスが苦難に陥った時、助けの手を差し伸べることができるからだ。


「アリア、まずは落ち着いて……ね?」


 レオナルドはそう言って彼女を宥めにかかった。ここで騒ぎ立てるようなことをすれば、状況はより悪化するだろう。そう考えた上で……。


「でも……」


「ここで騒いだら、きっと記憶を消されてしまうよ?そうなったら、将来、ランスが困ったとしても助けてあげることができないじゃないか」


 だから、彼のためにもここは泣き止んで、何食わぬ顔で披露宴に向かわなければならないと、レオナルドは諭した。今の自分たちには、何もすることができないこのだから。


「……わかったわ」


 アリアはレオナルドの説得を受け入れて、涙をハンカチで拭った。そして、イザベラに崩れた化粧の手直しをお願いするのだった。

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