第262話 大賢者は、それぞれの覚悟を思い知る
「……なあ、ハラボー殿。本当にその方法しかないのか?」
ここは、ハルシオンから遠く離れた場所にあるエデン王国のとある田舎の村。一路、カミラの家へと向かうハラボーを呼び止めて、ユーグはもう一度考え直すことを勧めた。
国王も王妃も承諾しているし、その方法なら孫が勇者であるという秘密は守られる可能性が高いことはユーグも認めるところではあるが……その方法というのがカミラの息子を偽勇者に仕立て上げるというものだ。正直なところ、あまり気が進まない。
すると、ハラボーは足を止めて告げた。
「わかってます。こんなことは、人の道に外れているなんてことはね」
祭り上げられたカミラの息子は、今後死ぬまで勇者としての役割を人々に求められ続けることになる。しかし、偽物なのだから、その実力は本物の勇者には及ばないのだ。下手をすれば、その旅の先で命を落とすことだってある……。
「それなら……」
そこまでわかっているのであれば、あと一押しすれば心変わりしてくれるのではないかと、ユーグは甘い希望を抱いた。しかし……
「ユーグ殿。わたしはハルシオン王国に仕える貴族です。優先すべきは、王家、国家、臣民の安寧であって、人の道ではありません」
振り返ったハラボーは、キッパリと言い切った。その目に一切の迷いはない。彼は正しく王国貴族だった。
「関わりたくないというのであれば、ここで待っていただいても構いません。確かに、これはアリア殿下の御心にそぐわぬ行為ですからな」
義父として心苦しいのであれば、そう成されるが良いと、そんなユーグを一瞥してハラボーは言った。何なら、何も知らずに王命でここに自分を連れてきただけで、それ以上のことは関わっていないことにしてもいいと。
ユーグの顔が屈辱で歪んだ。
「馬鹿にしないでいただきたい。そんな卑怯なことをして、生まれてくる孫の顔を堂々と見れると思うてか!」
ハラボーの挑発に、ユーグは声を荒げた。
「それなら、ご覚悟を。王妃陛下も仰られてたじゃないですか。これは、年長者としての務めだと。若い二人のために、あなたも一肌脱いでくださいよ」
ハラボーは、呆れるようにそれだけを告げて、再びカミラの家に足を向けた。
「えっ!?この子が勇者ですって!」
「……ええ、先日行われた勇者選定の儀で選出されたそうで、それで『祝福』を授けたいとテレジオ枢機卿よりお話がありました」
ですので、このままハルシオンへご同行をと、ハラボーはカミラに言った。しかし……
「ランス!聞いた?あなたが勇者ですって!パパと同じ勇者よ!!」
喜びのあまり、ハラボーの次の句などそっちのけで、彼女はランスを抱き上げて話しかけていた。その姿を見て、ユーグは胸を痛めた。
(ハラボー殿。流石にここまで喜ばれると……)
(ええ。王家最優先のわたしでも、これは流石に良心が痛みます……)
どうやら、ハラボーも同意見のようだ……。
「それで、儀式はいつするの!?」
「3月20日です。場所は、聖ノブール大聖堂……」
「聖ノブール?」
そのキーワードに、カミラの笑顔は一転、訝しむような顔に変わった。
「どうして?聖ノブールはハルシオンの王都ルシェリーにあるのよね。アベルの時は確か……教皇庁内にある聖ファルカス大聖堂で行われたはず……」
かつて、アベルの母親から聞いた話を思い出して、カミラはそう言った。
「実は、その日はアリア殿下の結婚式があって、教皇猊下がそちらにおられるので、それで……」
「それに、おかしいことはまだあるわ。今はこんなでも、わたしも聖職にあった身だから知ってるんだけど……勇者の選定って一部の神官しか知らない話で、使者も神官が務めるはず。それなのに、どうしてあなたたちからこの話を聞くのでしょう?」
目の前にいるのは、神官ではないことは明らかだ。しかも、そのうちの一人はレオナルドの父親で、先日、この家で顔を会わせている。
「……ハラボー殿。こうなっては下手に隠しても……」
先に観念したユーグが囁くように言った。もちろん、カミラにも聞こえている。そのことを理解して、ハラボーは忌々しく思いつつも仕方なく白旗を上げた。
「実は……」
ハラボーは言った。本当の勇者はこれから生まれてくるアリアの子だが、未来の国王にそのような重荷を背負わせるわけには行かないから、身代わりを立てることにしたと。
「つまり、王女が同じ場所にいる事を利用して、表向きはこの子が勇者に選ばれたことにして、教会内の混乱を収め、ひいては世継ぎの安全を図る、そういうこと?」
「はい……」
「ふざけてるわよね?」
ハンカチで汗をぬぐいながら肯定したハラボーに、カミラは吐き捨てた。「何て身勝手な人たちでしょう!」と付け足して。
それを聞いて、ユーグは思った。この計画は失敗したと。アリアじゃないが、誰が好き好んで我が子に重荷を背負わせたいと思うものか。しかし……
「それで、対価は?」
「「は?」」
「は?って何よ。まさか、こんな大それたことの片棒を担がせようとしているのに、無料奉仕しろっていうんじゃないわよね?」
目の前で、鳩に豆鉄砲を食らったかのように呆然としている二人に、カミラは呆れるように言った。
「も、もちろんです!対価については、どうぞこちらを……」
慌ててハラボーは、懐から予め準備していた1枚の紙を取り出して、そのままカミラに差し出した。
「なるほど。わたしたち親子に毎年300万Gを協力金として支払うことに、ランスが将来冒険に出ることになった際は、仲間の手配に武器、防具、アイテムの調達を正教会が請け負うか……。悪くないわね」
カミラは満足げに笑みを浮かべて、広げた紙を折り畳んだ。
「引き受けてくれるのなら、こちらの書類にサインをしてもらえないでしょうか?」
「いいわよ」
ハラボーは気が変わらないうちにと思って、正教会から預かった契約書をカミラに素早く提示した。そして、彼女は躊躇いを見せることなく、言われた場所に署名した。
「……本当にいいのか?その子が可哀そうなことになるかもしれないというのに……」
署名が終わり、今更ながらだが、ユーグは思わずカミラに訊ねた。すると、彼女は微笑んで言った。
「いいのよ。わたしたち親子は王女殿下が寛大な御心をお示しになられなければ、とっくの昔に殺されていたはずなんだから。その王女殿下のためだというのに、どうして命を惜しむ必要があるのよ」
アリアが与えた恩情は、こうして彼女の援けとなる。ユーグはそのことを理解して、もうそれ以上は何も言わなかった。
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