第258話 母親たちは、傷心の娘を励ます

「……ここは?」


「あら?気がついたのね。もう少し寝るのかと思ってたんだけど……」


「ママ……」


 ベッドの横にいるのは母エレノア。そのことに気が緩み、アリアはつい甘えたように呟いた。


「だめでしょ。お母さんと呼ばないと」


 そんな弱弱しく横たわるアリアを、エレノアはそれでも厳しく躾けた。これまでと同じようにして。しかし……


「ママ……ごめんなさい……」


 アリアは、エレノアの言葉に従うことなく、大粒の涙を瞳から零しながら、そう言った。事情をレオナルドから聞いていたエレノアは、そんな娘の背中を何も言わずに擦り続けた。


 しかし、アリアは告げる。


「ごめんなさい。ママも楽しみにしてたの知ってるけど……わたし、赤ちゃん……堕ろすわ……」


「はあ!?」


 何を馬鹿なことを言ってるのと、エレノアは声を張り上げて叱りつけた。すると、アリアは悩みぬいた結論として、その想いを力なく伝える。「重荷を背負わせるくらいなら、生まれてこない方がいいと思う」と。


「この……大バカ者!」


 パシン!


 エレノアは、アリアの頬を思いっきり叩いた。


「だって……」


 再びアリアの瞳から涙が溢れて頬を伝う。エレノアはそんな彼女を優しく抱き寄せて勇気づけた。


「しっかりしなさい、あなたの子なのよ。勇者の宿命程度、きっと跳ね返してくれるわよ」


「でも……もし、ダメだったら……」


「そのときは、そのときでしょ!……大丈夫よ。あなたには頼りになる味方が一杯いるんだから!もし、どうしても困ったら、助けてもらいなさい」


「ママ……」


「ほら、泣かないの。お腹の赤ちゃんに『ママって泣き虫だね』って笑われちゃうわよ」


 エレノアはそう言いながら、ハンカチでアリアの目元を拭う。


「ありがとう……」


 アリアはそんな母親の優しさに触れて、ニッコリと微笑んだ。そのとき、部屋の扉が開かれた。


「マグナレーナ・ママ……」


「その様子なら、落ち着いたようね」


「……すみません。ご心配をおかけしました」


 アリアはそう言って、もう一人の母親に頭を下げた。すると、マグナレーナは1枚の書面をアリアに手渡した。


「これは?」


「誓約書よ。正教会は、あなたの子たる勇者に対して、その義務を負うことを求めない……まあ、そんな内容ね」


 マグナレーナはそう言って会心の笑みを浮かべた。加えて言うならば、正教会はアリアの子が勇者であるということを公表もしなければ、記録に残すこともしないという。


「関わった神官たちには、ロサリオ枢機卿の立ち合いの下でユーグさんが忘却魔法をかけているから、このことを知っているのは、かなり限定的になるはずよ。あなたの友人のイザベラさんやルーナさんも、忘れることを望んだから今はもう覚えていないわよ」


 つまり、この事実を知っているのは、アリアとレオナルド、国王フランツ2世、マグナレーナ王妃、エレノア、ユーグといった近しい家族、ハラボー伯爵やロサリオ、テレジオ両枢機卿、その上司の教皇といった、今後、何かあった時の交渉に関わる者たちだけということになると、マグナレーナは告げた。そのうえで……


「もし、あなたも忘れたいというのなら、そうすることもできるけど?」


 マグナレーナは優しくアリアに提案した。覚えていることが辛いというのなら、子供を無事に出産するためにも、そうする方がいいのかもしれないと言って。


 しかし、アリアは首を左右に振った。


「わたし、逃げません。この子と共に運命と戦います!」


 アリアは力強くマグナレーナに向かって宣言した。自分の辞書には、目の前の苦難から逃げるという文字はないことを思い出して。


「そう……わかったわ」


 マグナレーナは、ホッとした表情を浮かべてそう答えた。そして、エレノアを見る。昔、彼女がアリアを妊娠したことを知り、突き止めた隠れ家で言われた言葉を思い出して。


『堕胎はしません!例え、親から勘当されても、この国に住めなくなっても、この子を産み、育て上げます!』


(やはり、親子ね……)


 マグナレーナは、強情な所はそっくりだと改めて思った。そして、羨ましくも思う。自分には、自分にそっくりな子供はいないのだから。


「マグナレーナ・ママ?」


「ん?どうしたの?」


「いや……なんだか、寂しそうな顔をしてたから……」


 アリアに言われてマグナレーナは気づいた。つい……感傷的になっていたことに。


「ごめんなさい。何でもないから気にしないで」


 マグナレーナは、照れ臭そうにしてそう答えた。フランツとの間に子供は作らないと決めたのは自分なのだ。今更、生き方を変えるわけには行かない。


 ゆえに、目の前にいる娘、そして、生まれてくる孫に精一杯の愛情を注ごうと決意する。それが自分の生きる道だと信じて。

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