第245話 大賢者は、義娘の様子がおかしいことを心配する

「……なあ、アリアちゃん」


「なんでしょう、ユーグさん」


「最近、無理してないか?顔色悪いぞ……」


 オランジバークの商会執務室で書類と格闘しているアリアに、ユーグは言った。こうやって大量の書類を裁く仕事は毎日やっていることだが、さっきから何度もため息はつくし、額からは汗が滲み出ていた。


 そのことを、今日もどこかに行っているレオナルドに代わって側に付いているユーグは、心配していた。


 しかし、アリアは取り合わない。


「ありがとう、ユーグさん。でも、これはいつもやってることだから大丈夫よ」


「大丈夫よ……って」


 確かにその仕事は毎日やってるし、ボリュームも特別増えたわけではない。だが、以前の彼女ならすでに終わらせてお茶を飲んでいるはずだ。だから、さっきからお茶をいつ出せばいいのかと、ルーナも部屋の外からチラチラ見ている。


 しかし、まだ書類は、三分の一は残っている。


「あの……お姉さま?シーロさんがお見えになっていますが……」


「えっ!?もうそんな時間なの!」


 部屋の外からルーナに告げられて、アリアは驚いたように声を上げた。時計の針は、約束していた15時を間もなく指そうとしていた。


「ここじゃ……だめね。応接室に通してくれるかしら?」


「わかりました」


 ルーナはそれだけを告げて、部屋の前から去って行く。アリアは今手掛けている書類にサインをすると立ち上がった。





「それじゃ、船の方はもうすぐ完成するのね?」


「はい。今は内装工事をやっていまして、それが順調に終われば、3月の下旬には就航できるかと」


「そう……ようやくなのね」


 アリアは感慨深げにそう呟いた。当初の目的だった勇者探索という役割を担うことはなくなったが、交易船として今後商会に多大な利益をもたらすであろうことは容易に想像できる。


「船の名前は、『クイーン・アリア号』。それでいいですよね?」


 シーロは眼鏡をくいッと上げて、そう告げた。しかし、アリアは拒絶反応を示した。


「や、やめてよ!そんな恥ずかしい名前……」


「恥ずかしいって、アリアさんのお名前でしょ?」


「だ・か・ら、わたしの名前を勝手に使わないでよ!それに、そんな名前にして沈んだらどうすんのよ!」


 縁起が悪いわというアリアに、シーロは不快そうな顔をした。


「アリアさん……ボクが造った船が沈むって……いくらなんでも、そんなに信用無いんですか?」


「え?……い、いや、違うのよ!沈んでいるのはむしろわたしの方で……その縁起の悪いわたしの名前のせいで、皆の努力が無になるのは嫌だなって思って……」


 アリアは誤解を解こうとそう言ったが、その声はいつもと異なり弱弱しいものだった。そのことにシーロは怪訝な表情を浮かべて、側に立つユーグを見た。


「アリアちゃん、君のどこが沈んでいるというんだい?」


 これから王位に昇り、輝く太陽としてハルシオンを照らすというのに、どうしてそんな不吉なことを言うのかとユーグは戒めた。ただ、何となく事情は察している。ゆえに、ここにいないバカ息子を彼は心の中で罵る。


「……ごめんなさい。そうね。わたしらしくなかったわね……」


 アリアはそう言ってシーロに詫びた。そして、こんな惨めな自分の名前で良かったら、好きに使ったらいいと言った。


 つまり、ユーグの諌言は全然届いておらず、ユーグとシーロは目を合わせて共にどうしたものかと頭を悩ませた。


 コンコン


 そのとき、部屋の外からノックがして、またルーナが告げた。


「お姉さま。そろそろ、北部同盟の定例会議のお時間が……」


「わかったわ。すぐに行くわ」


 アリアはその一言で、先程までの弱弱しい態度を一変させて、いつもの姿を取り戻した。


「さて、それじゃシーロ。船の件はそう言うことでいいから、よろしくね」


 その変化にシーロは頭が付いて行けずに呆然とする。しかし、アリアは構わずに席を立ち、部屋を後にしようとした。……が。


「アリアちゃん!?」


 突然部屋に鳴り響いたのはユーグの叫び声。何事かと思い、シーロが振り返ると、そこにはアリアが倒れていた。


「アリアさん!大丈夫ですか!!」


 シーロが慌てて駆け寄り、その声でルーナも飛んできた。しかし、アリアは反応を示さない。


「と、とにかく、医者を!」


 ルーナが真っ青な声を上げて、外に行こうとした。近くの町医者を呼びに行くのだろう。ユーグはそれを止めた。


「ユーグさん?」


「医者に診せるのなら、ハルシオンの典医に見てもらった方がいい。俺が連れて行くから、シーロ君とルーナちゃんは、ここに残って後始末を付けてくれないか?」


 ユーグには転移魔法がある。そのことに思い至り、二人は頷いた。


「わかりました。どうか、よろしくお願いします」


「任せとけ!」


 心配そうにする二人にそう告げると、ユーグはアリアを抱き上げてハルシオンの王宮へ転移した。

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