第239話 女商人は、置き去りにしたことを責められる

「忘れてた?忘れてたってどういうことよ!それが友達にする仕打ちなの!」


 ここは、ポトスのブラス商会本店内にあるアリアの執務室。年が明けて、もうすぐ2月になろうかという頃に、二人は突然やってきた。一人は大人しく成り行きを見守っているエラルド。そして、今声を上げているのは……


「ごめんね、スメーツ。いやね、色々急展開になりすぎて……ホント、ごめんなさい」


 そうやってアリアが謝る先に立つのは、髪を伸ばしているのか、以前と比べて随分と女性らしくなったスメーツだった。彼女は言う。あのクーデターが鎮圧された後、帝都が封鎖されて、マルツェルに戻ることもできず、不安の中で過ごすことになったと。


「大体、あなたは学生の時から、いつもいつも目の前の事ばかり追っかけて……」


「スメーツさん、もうその辺にしましょう。アリアさんは、こんな忘れん坊さんでも、高貴なお方なのですから」


 さもなくば、勇者のように首を刎ねられますよと、彼女の隣に座るエラルドは冗談めかしく言った。しかし、その彼も笑ってはいるが、目は笑ってはいない。アリアはそのことに気がつき、お詫びとして向こう1年間、炎石の価格を1割引きにすることを申し出た。


「まあ……それなら悪くはありませんね」


 エラルドはようやくいつもの穏やかな表情に戻り、アリアの謝罪を受け入れた。すると、不思議なことにスメーツもさっきまでの剣幕が嘘のように、怒りを鎮めた。


「あれ?」


 その光景に、アリアは違和感を覚えた。彼女なら、マルツェルの領主代理として、別の要求をしてくると思っていたからだ。


「実はね……」


 スメーツはアリアが戸惑っていることに気づいて、話を切り出した。この話が、今日ここに来た本当の目的だとして。


「えっ!?」


 アリアは驚き二人を見た。互いに頬を染めて視線を交わすスメーツとエラルドは、2週間前に結婚して、今日、このポトスに移ってきたと言ったのだ。


「い、いつの間にそんな関係に!?だって、前に会ったときは……」


「アリアさん。あれからもう2カ月近く経ってるのよ?帝国では皇帝陛下が騒動の責任を取られてご退位され、サーシャ殿下が女帝にご即位されましたし……世の中は動いてるのよ」


「いや、世の中は動いているのは知ってるけど……2か月で結婚なんて早くない!?」


 自分とレオナルドは知り合ってもうすぐ2年になろうとしているのに、未だ結婚式を挙げていないのだ。アリアはそのことを思い出して、スメーツに訊ねるが……


「それは……アリアさんたちが異常に遅すぎるだけかと思いますよ」


 隣に座るエラルドが呆れたように返してきた。何でも、封鎖された帝都で二人で行動を共にしているうちに、気がつけばそんな関係になったという彼は、こういうことは勢いが肝心なのだと助言する。


「……遅すぎる?いや、そんなことは……」


 アリアは反射的にそう返したものの、よくよく考えれば、イザベラはボンとの間に女の子を産んだし、秘書をやっていたアンジェラも、いつの間にかマルスと付き合っていて、来週日曜日に結婚式を挙げるからと招待状が届いている。


(あれ?もしかして、本当にわたしたちがおかしいのかな?)


 アリアは急に自信が持てなくなった。


「ところで……結婚するってことは、領地の仕事の方はよかったの?」


 スメーツがこのポトスに移り住むというのなら、マルツェルの方は大丈夫なのだろうかと気になって、アリアは訊ねた。すると、スメーツは笑顔で事情を説明した。


「兄の病気が治りましたので、任を解かれました。領地のことは、これからは全て兄がやるそうですので、むしろ出て行ってくれと」


「そう……」


 全く未練などなく、脳裏にあるのはエラルドとの新婚生活のことだけなのだろうか。兄に追い出されたというのに、とても幸せそうにしているスメーツを見て、アリアはそれ以上のことは何も言えなかった。


「その兄からですが……レオナルドさんに感謝の気持ちを伝えたいと、ささやかですが贈り物を預かってきたのですが……」


 スメーツは改めて部屋の中を見渡すが、やはりレオナルドは不在だと認識した。日を改めましょうかというスメーツに、アリアは説明した。


「ごめんなさいね。レオは今、エデンに言ってるのよ」


「エデン?」


「勇者の遺骨を……彼の元カノに届けにね……」


 何でも、処刑前に勇者から託されたそうだ。遺族の面倒を見てもらいたいと。


「それって……まずいんじゃないの?だって、勇者の元カノって、まだ若いんじゃ……」


 頼る者がいない若い未亡人と男一人。過ちを犯す可能性は確かにある。もちろん、スメーツに指摘されなくても、アリアは気づいている。だから、語気を荒げた。


「わかってるわよ!わたしだって反対したのよ。その程度の事、エデンの駐在大使にさせればいいじゃないって言ってね。……でも、亡くなった人との約束だからって、聞いてくれないのよ……」


 最後は力なく項垂れるようにして言葉を絞り出したアリア。見ると、瞳には薄っすらと涙を溜めているようにも見える。


(あれ?)


 そのアリアの様子に、スメーツは違和感を覚えた。彼女はそんなに涙脆い女ではないはずだと思いながら。

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