第237話 女商人は、勇者を許せない
「さて、残るは勇者の始末だけね……」
転移魔法でハルシオンの王宮に戻ったアリアは、確認するように呟いた。懸念材料であったムーラン帝国側との交渉もこうして纏まった以上、勇者の処罰はハルシオン王国主導で正教会立会いの下、行われることになる。すなわち、死刑だ。
「……なあ、アリア」
「ん?何かしら、レオ」
「勇者の奴、どうしても殺さないとダメなのかな……」
レオナルドはあまり気乗りしないのだろう。素直に心情を吐露する。
「なあ、あれだけやったんだから、もういいんじゃないか?あいつ、男として死んだわけだし……」
すでに股間のアレは再び起き上がることはないだろうと、診察した医務官から報告が上がっていると聞く。確かに、置き去りにした罪は重いかもしれないが、もう十分な制裁は受けているのではないかと。
しかし、アリアは頷かなかった。
「もう、そんな小さな話じゃないのよ。国も正教会も動いているし、今更引き返せないわ」
「しかし……アリアがもういいって言えば、陛下も正教会もわかってくれ……」
「無理よ!」
アリアはもうこれ以上聞きたくないと言わんばかりに、レオナルドの言葉を遮って声を上げた。
「ア…リア?」
「わたしはこの国の王太子なのよ!その発言には多くの責任があるの。それを取り消す?できるわけないでしょ!国家の重責を何だと思ってるのよ!」
勇者の討伐は、すでに国の内外に布告され、多くの国や組織、あるいは人々を巻き込んでいるのだ。その中には、勇者の恋人だったカミラにまつわる一件も含まれている。
「アリアちゃん……」
「わかってる。少し、熱くなってしまったわ」
同行しているユーグの気遣いに感謝して、アリアは一つ息を吐き、呼吸を整えてから再びレオナルドに訊ねた。
「もし……わたしがパパに勇者を許してとお願いする。そうすると、どうなると思う?」
「どうなるって……」
悲しそうに見つめるアリアに、レオナルドは言葉を詰まらせた。すると、見かねたユーグが代わりに答えた。
「……新教か。アリアちゃんが心配しているのは」
「ええ、そうよ」
アリアははっきりとユーグの言葉を肯定した。そして、改めてレオナルドの目を見て言った。
「レオ……今、この国ではね、魔族との共存共栄を主張する人たち、所謂、『新教』を支持する人たちが増えてきているのよ」
「……新教?……魔族との共存共栄?」
初めて聞く言葉に、レオナルドは息をのんだ。
「彼らはね、『勇者なんかいるから魔族との戦争が終わらない』と主張しているの。そこに今回の騒動で、勇者がとんでもない犯罪を犯したことが明らかになった。だから、この王都では、勇者不要論は高まってるわ。……それなのに、国も正教会もその罪を見て見ぬふりをして、不問に付したら、どう思う?」
「……国も、正教会も信じられなくなる」
「そうよ。そうなると、新教が広まる動きはもう止めることはできなくなって、宗旨替えする人は増えることになるわ。だから、例え可哀想に思っても、今回ばかりは殺さなければならないのよ」
アリアは強い口調で言い切った。ここで躊躇えば、最悪、宗教が国を引き裂いて、内戦に突入する可能性もあると付け加えて。つまり最早、アリア個人の感情の問題ではないと。
「わかったよ……ごめんな。差し出口叩いて……」
レオナルドはようやくアリアの思いを理解して、謝罪の言葉を口にした。だが、居た堪れなくなったのだろう。少し頭を冷やしてくると言って、転移魔法で姿を消した。
「レオ……」
そんな彼がいなくなった空間をアリアは悲しげに見つめてその名を呟く。瞳からは涙が溢れ出した。王太子の仮面は剥がれ、喧嘩したという個人的な感情が沸き上がって。
「アリアちゃん、ごめんよ……」
残ったユーグが慌ててハンカチを取り出して、そっと差し出した。
「……ありがとうございます。ユーグさん」
アリアは素直にそれを受取り、涙を拭うと少しさっぱりしたような笑顔を見せた。そして、告げる。「もう大丈夫」と。
「……あいつもいずれ王配になるんだから、政治の勉強もさせなければな」
気を取り直して、国王らが待つ居室に向かうアリアの小さな背中を見て、ユーグは呟いた。そうでなければ、アリアが全てを背負い続けなければならないのだ。そして、見る限り、彼女はまだ若く、そこまで強くはない。
返されたハンカチは濡れていた。その湿った個所を優しく触りながら、ユーグはいなくなった息子を想い、「しっかりしろよ、バカ息子」とエールを贈る。いつまでも、偉大なパパがフォローできるとは限らないのだからと思いながら……。
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