第236話 女商人は、皇帝にひとつ貸しを作る

「この度は、ご助勢誠にかたじけなく……」


 勇者をハルシオンの地下牢に連行した翌日、事後処理のために宰相屋敷を訪れたアリアたちは、皇帝セルゲイの求めとして王宮に連れていかれ、今、こうして皇帝に頭を下げられていた。


「お手をお上げください。偶々利害が一致しただけの事ですから。それで、勇者アベルの身柄はこちらで引き取っても問題ありませんよね?」


「もちろんです。それで、炎石の件は……」


「そちらの方はご心配なく。これまで以上に全面的に支援させていただきますわ」


 アリアは、はっきりとそう告げる。目的を達成した以上、この国を締め付ける理由はないのだから。


「ところで、此度の反乱を企てた者たちの処分は?」


 それは左程重要なことではなかったが、話の話題に困りアリアは切り出した。セルゲイは一つため息をついて話し始めた。


「一連の企てを首謀したのは、魔族対策省のトルネオという、いずれは大臣になると目されるほどの有能な若手官僚だったのだが……」


 その言葉でアリアは思い出した。あの時、大広間で勇者の行方を教えてくれた男の顔を。


「……あの方はどうなったのですか?」


 ユーグが企ては失敗したから逃げるように言ったことは聞いているが、その顛末は……。


「自決しましたよ」


 セルゲイは非常に残念そうにしてそう語った。


「そうですか……」


 結局、逃げずに責任を取ったのだなとアリアは理解した。ただ、それも一つの生き方なので、とやかくは言わない。


「あと、貴殿らとは関係のあったアジズ・ラカントは、逃走中に殺害されたと報告があった。殺ったのはこの王宮の料理長であるゴーダ。深い因縁があったと自供している……」


「そうですか」


「ん?それだけかね。彼は貴殿らの協力者じゃ……」


「違います。利用しただけです」


 セルゲイはどうやら気を使って報告してくれたようだが、アリアにとってはどうでもいい話なので、はっきりとそう告げた。あとで要らぬ誤解を受けないためということもある。


「ま、まあ、そう言うのであれば、我が方としてはそれ以上言うことはないが……」


 実の所、アジズの所領をどうするのかという問題が発生しており、もし、彼がアリアの協力者であるならば、ハルシオンとの関係を考慮して、その全てを没収するわけには行かないという声も上がっていたのだ。だが、今の回答であれば……セルゲイの悩みは一つ解決した。


「それで……残るは我が息子の処分なんだが……」


 セルゲイは残る最後の悩みを打ち明けた。すなわち、命だけは助けられないかと。


「つまり、わたくしどもに引き取ってもらいたいと?」


「ええ。もちろん、大変ご迷惑なお願いだとは承知しております。……しかしながら、親として命を奪うのは忍びなく……」


 肩を落とし、力なく縋るように言うセルゲイを見て、なぜ、自分たちがこの場に呼ばれたのか、アリアは意味を理解した。よく考えれば、この場にサーシャ皇女もいないのだから、これは内密の話だろうと。


「……わたくしどもが得られるメリットは?」


「勇者アベルの身柄の引き渡しに異論を挟まない……じゃ、やはりダメですよね?」


 セルゲイの言葉に、「ダメに決まってるでしょ」とアリアは返した。そもそも、この問題はすでに解決済みで、交換条件にはならない。


「で、では、1億Gでは……」


「あいにく、お金には困ってないわね。それくらいのお金なら、すぐに稼げるわ」


 そんなはした金で面倒ごとを引き受けたくないと、アリアは笑って言った。その答えに、セルゲイは言葉を詰まらせる。そして、悟る。この様子なら、王宮の財宝を差し出しても受諾しては貰えないと。


 しかし、頭を抱えて困り果てたセルゲイにアリアは言った。


「それでは、ムーラン帝国皇帝の詔書という形で、一筆認めるというのは如何でしょうか?」


「一筆?」


「帝国皇帝は、アリア・ハルシオンの要求をこの詔書と引換えに受け入れることとする」


「!」


 アリアの要求に、セルゲイは言葉を失った。それだと、『もし、アリアがこの国の皇位を望めば、それは従わなければならない』ということになる。


「ああ、言っときますが、皇位とか領地とかそんな面倒臭いものは要求しませんよ。なんでしたら、除外項目として記して頂いても構いません。ただ……今は思いつきませんが、いずれわたしがこの国の助けを必要とするときに、役に立てばと思って……」


 それが何なのかはわからないし、もしくは何も要求しないまま時が過ぎて紙切れになるかもしれない。要するにこれは、「この機会に良好な関係を築いていきたい」と考えるアリアの善意なのだ。そのことにセルゲイは気づき、深く頭を下げた。


「お気遣い、痛み入ります。どうか……愚息をよろしくお願いします」

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