第229話 女商人は、勇者への手掛かりを手に入れる

 牢の中には、罠にかかった獲物がいた。狙っていた大賢者ではないが、この地下牢にやってきてからの手際の良さ、駆使する強力な魔法を見る限り、この者も只者ではないだろう。


「放てっ!」


 ゆえに、アジズは一切の躊躇もなく大賢者用の魔封じの結界を発動させると、弓兵に一斉射撃を命じた。牢の中の獲物は目を激しく動かせて、身を守る物を探しているようだが、そんなものはなく、男の体はハリネズミのように無数の矢が突き刺さる……はずだった。


「なに!?」


 魔法が封じられているにも拘らず、矢は先程と同じように空中でその動きを止めて地面へと落ちた。そして、そこにはなぜか青白い魔法壁が見えるように聳え立っていた。


「ど、どうして……」


 命を救われて驚いたような声を零している獲物の姿を見て、アジズはこの男がやったことではないとすぐに分かった。ならば、誰の仕業か。考えるまでもない。背筋がぞくっとする。逃げなければならないと本能が告げた。同時に、周りにいた弓兵たちが悲鳴を上げて倒れた。


「くっ!」


 迷うことはない。アジズは逃走を選んだ。こうなっては勝ち目はない。皇帝は恐らく奪還されるだろうが、そんなことを気にしている場合ではない。留まれば確実に死が待っているのだから。しかし……


「ぎゃっ!」


 背後から伸びてきた何かが体に巻き付いて、たちまち動くことができなくなった。


「逃げ切れると思ったのかな?どうやら、君とは認識にズレがあるようだな」


 その地の底から湧き上がってくるような乾いた笑い声に、アジズは恐怖のあまり振り返ることはできなかった。小便がチビリそうになる。だが、ユーグはそんな彼に優しく囁いた。


「まあ、俺も鬼じゃないから、君に助かる道を教えてあげよう」


「ど、どうすれば……」


 アジズはなおも振り返ることができず、それだけ言うのが精一杯だった。ユーグは告げる。


「なぁーに、簡単なことだよ。俺たちを勇者の下に連れてってくれればいいからさ」


「えっ!?」


 もっと難しいことを要求されると思っていたアジズは、思わず拍子抜けして訊き返した。


「本当にそれだけでよろしいので?それで助けてくれると?」


「ああ。約束しよう。俺たちは君がこの後どこに逃げようと関与しないことを」


 ユーグははっきりとそう告げた。無論、反乱に加担したのだから、この国に留まることはできないが、持てるだけの財産を持って他国に向かうのであれば見逃すと。


「それで、どうかね?引き受けてくれなくても、一人殺す手間が増えるだけでそれほどの影響はないが?」


「も、もちろん、協力させていただきます!なんでも、お命じください!」


 この場所で初めにレオナルドを迎えたときのような傲慢さが嘘のように消えて、アジズはユーグに媚びるようにして快諾した。その姿をユーグはまるで汚物を見るような目で見つめるが、アジズは気づく様子はなかった。


 ユーグは一つため息をついて気を取り直すと、今度は牢の中のレオナルドを見た。


「あれ?俺、失敗しないんじゃなかったのかな?」


「…………」


 無言のままでレオナルドは父親を睨んだ。事態は把握できた。どうやら、初めから自分は囮に使われたということだ。


「まあ、そう怒るな。こうして生きて失敗を経験できたんだ。むしろ、この偉大なるパパに感謝することだな!」


「……誰がパパだ。キモチワルイ」


 レオナルドは心底嫌そうにして、そう吐き捨てた。その姿を見て、ユーグはケラケラ笑う。レオナルドはムッとするが、ここで反応すれば相手の思うつぼ。そう思い直して、話を切り替えた。


「……それで、皇帝陛下は?」


「もちろん、無事さ。何しろ、俺、失敗しないからな!」


 あくまでも息子をいびるユーグ。そう笑いだしたところで、彼の背後から一人の、レオナルドがよく知る女性が現れた。


「もう、ユーグさん。その辺にしてもらえませんか?これも、王太子命令ですよ」


「アリア!」


 その姿、その声にレオナルドは思わず声を上げた。


「な、何でここにいるの?罠にはまった自分が言うのはアレだけど、ここ危ないよ?」


 レオナルドは心底心配してそう言った。しかし、彼女は言った。


「わたしの辞書に逃げるって文字はないわ!勇者への復讐も、ケジメの一撃も、この手で必ず成し遂げてやるんだから!」


 それはとても力強く、およそ見た目とはかけ離れた姿で……レオナルドは恨めしいように父親を見た。「どうするんだよ、これ……」と言わんばかりに。


 すると、ユーグはため息交じりで答えた。


「いやな。俺だって反対だったんだよ。でも、王太子命令だと言われてな……」


 その言葉に、レオナルドは思う。アリアに絶対的な権力を与えてはダメなのではないかと。


「さあ、勇者の下へレッツ・ゴー!これも王太子命令だから異議は認めません!」


 レオナルドやユーグの気持ちも知らず、アリアは軽快に号令を下した。偶然にも、その時二人のため息が重なった。

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