第226話 女商人は、皇帝奪還を提案する
「……そんなことがあったんですか」
朝、再びこの宰相屋敷に転移してきたアリアは、呆れ顔で迎えるユーグに呑気に言い放った。
時刻は午前10時。もちろん、今頃やってきて呑気なとユーグやサーシャ皇女らが言いたそうにしているのは察しているが、だから、どうしたと。こちらにはこちらの事情があるのだから。
「……事情って、乳繰り合ってただけだろが……」
ユーグがため息交じりに、その事情を看破して告げると、アリアとレオナルドの顔色が変わった。アリアが内心で、「なんで知ってるの」と驚いていると、ユーグが種を明かした。
未明に迎えに行ったら、艶めかしい声がドア越しに聞こえたからと。
「まあ、いいよ。俺だって、孫を早く見たいとは思ってるからさ……。だけどな……」
人が戦っているというのに、呑気にそんなことしていたらと思うと、少々イラっと来るんだよねと告げるユーグ。アリアとレオナルドは「ごめんなさい」とようやく頭を下げた。
「それで、状況はどうなってるんですか?」
こうして遅刻の件が解決したところで、アリアは改めて話を切り出した。すると、ユーグに代わってエトホルドが答える。
「皇女殿下が御健在であらせられるため、今もこうして味方となる諸侯がこの屋敷に駆け付けてくれておりますが、帝都防衛軍、近衛軍があちらに付いていますからね。やや、こちらが不利な状況でしょうか」
「でも、どうして軍はあちらに?今回の一件、皇太子の反逆ということを知らないのですか?」
不思議に思ってアリアが訊ねた。例え、皇太子であっても、普通、皇帝に仇なしたのだから鎮圧に向かわないのかと。
「軍は皇帝陛下にあくまでも忠実ですからな。その陛下の命令書がある以上、その命令に服さなければならない……まあ、そんなところでしょう」
エトホルドは、苦々し気にそう言った。王宮を支配した皇太子アフマドは、昨夜皇帝が病に倒れ、この機に乗じて反乱を企てる者がいるから警護のために参上したと称している。そして、皇帝から摂政に任じられたとして、その権限で軍を支配した。
「この筋書きを描いたものは見事ですな。ただ……あちらさんの誤算があったとすれば、大賢者殿が滞在されていたことで、皇女殿下を殺すことができなかったということでしょうか。しかし……」
それ以外が完璧に進んだ以上、皇女が健在であるといっても、この状況をひっくり返すことは難しいとエトホルドは言った。
「それじゃ、これからどうするつもり?」
「……皇女殿下」
それまで黙っていたサーシャ皇女がエトホルドに訊ねた。
「まさかと思うけど、わたしに逃げろなんて言わないわよね?」
「……殿下。ここは、一時の恥と思って、他所で再起を図られるべきかと……」
「お黙りなさい!」
エトホルドの進言に、サーシャは強い拒絶反応を示した。
「ここで逃げたとします。ですが、この国は法治国家です。時間が経つほど、兄は今日奪った権力を正当なものに作り変えていくでしょう。今、ここで戦わなければ、正義はあっても我らは反乱軍。他日の再起などありえませんわ!」
サーシャは、この場にいる全ての者に聞こえるように、はっきりとそう宣言した。
(確かにそのとおりよね……)
それは、アリアにとっても同感だった。だからこそ、横から口を挟んだ。
「……となれば、皇帝を取り返せば、この苦境をひっくり返せるわね」
「陛下を?」
アリアの言葉に、エトホルドが思わず訊き返した。すると、アリアは言った。
「だって、軍は皇帝陛下に従ってるんでしょ?だったら、皇帝陛下に出てきてもらって、命じてもらえばいいのでは?反乱軍を企てた皇太子を速やかに討伐しろって」
「しかし、そんなことは可能なのでしょうか?」
実際の所、皇帝が生きているのかどうかすらわかっていないのだ。そう思ってエトホルドはアリアに訊ねる。
「大丈夫でしょ。そうですよね、ユーグさん。あなたなら、皇帝陛下の居場所、魔力探知でわかりますよね?」
以前、ユーグが皇帝にあったと言っていたことを思い出して、アリアは言った。ユーグは、「もちろん」と答える。
「……今、いるのは……王宮の西の塔か。そこなら、闇夜に紛れれば、飛行魔法で忍び込むことはできるな。レオ、居場所は教えてやるから、おまえがやれ」
「えっ!?俺が?」
突然の指名にレオナルドは心底嫌そうにしながら答える。しかし、ユーグは言う。
「意義は認めんぞ。何しろ、おまえらが昨晩乳繰り合ってたせいで、俺、寝てないんだわ。今晩くらい、おまえが働け」
「なっ!?」
レオナルドが顔を赤くして驚きの声を上げた。しかし、この場にいたものは同じく赤面しているアリアを除いて皆笑っていて、レオナルドも言い返すことができない。
「決まりだな」
そんな若い二人を満足げに見て、ユーグは言った。こうして、今晩の作戦が決まった。
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