第225話 勇者は、盛大に勘違いする

(……まずいな。今のが決まらないとなると……)


 ユーグが魔法壁を破られて傷を負ったことに驚いている一方で、勇者アベルは実力の差を正しく理解し、焦りを感じていた。大賢者相手に魔法での勝負は端っから敵うはずもなく、こうして剣による攻撃を選択したわけだが、結果はかすり傷を一つ与えたに過ぎない。


(どうする?撤退するか?)


 アベルの中にその選択肢が生まれた。実の所、今の一撃を越える技はなく、こうしている間にも再び防御魔法で壁を作られては、打つ手がない。


 無論、クーデターを完成させるには、サーシャ皇女の存在は邪魔であり、それを守護するこの大賢者は排除しなければならない。そのことはアベルもよくわかっている。しかし、勝つ手段を持ちあわせていない以上、戦った先に待っているのは犬死しかない。


(……だが、撤退するといっても可能なのか?)


 目の前にいる大賢者は、今、こうしている間も戦闘態勢を解くことなく、こちらの出方を窺っている。もし、逃げ出そうとするならば、その瞬間、襲い掛かって来るだろう。そして、それを防ぐことはアベルの実力からすれば、とてもじゃないが不可能だ。


(結局、活路は前にしかないのか……)


 アベルは心の中でため息をつき、もう一度剣を構えた。……が、そのとき、屋敷の裏手から激しい爆発音が聞こえた。


「!」


 ユーグの顔色が変わった。……と同時に、それは別動隊が裏口からこの屋敷に侵入したとアベルは知る。


(アジズの狸親父め!さては、俺を囮に使ったな!)


 厄介な敵であるユーグをここで足止めしている間に、獲物を掠めとる。実際、アジズはこのとき、アベルの予測通りに屋敷の裏手で指揮を執っていた。ついでに、勇者も死んでくれれば儲けものとも思いながら。


「チッ……仕方ないか」


 その時ユーグが忌々し気に吐き捨てた。


「ここで確実に貴様を捕えて、アリアちゃんの前に連れて行きたいと思っていたんだがな……」


「アリア?」


 ユーグの言葉に、アベルは反応して声を漏らした。その名をどこかで聞いたような気がしながら……。


「勇者アベルよ。勝負は預けた!」


 しかし、ユーグはそんなアベルに構うことなく、そう宣言すると、転移呪文で喚声が上がった裏手に飛んだ。そちらの方角から、「なんだ、貴様!」とか、「何をしている、敵はたった一人だぞ」とかいう声も聞こえてくるが……


(今のうちに逃げよう……)


 アベルの腹は決まり、ユーグの後を追うこともなければ、アジズに加勢することもしない。元来た道を王宮に向かってただ一人帰っていった。


(しかし……アリアって誰だろう?)


 帰る道すがら、アベルは考える。そんな女がいたかなと。かつて、カミラに内緒で関係を持ったお気に入りの女を5人ほど思い浮かべたが、そのいずれも『アリア』と呼ばれる女ではない。だが、それでも妙に引っかかり、アベルはさらに記憶を掘り起こしていく。


「あ……」


 そして、王宮まであと少しというところで、アベルはようやく思い出した。約1年半前に、このムーラン帝国よりも遥か北の彼方の未開地に置き去りにした女商人のことを。


「へぇ……生きてたんだ……」


 アベルは素直に感心した。よくもまあ、あの状況から生き延びたものだと。


(しかし、なぜ大賢者があの女のことを知っている?)


 それがどうしてもわからない。もしかして、あの地に大賢者が偶々通りかかって、助けたという可能性も考えられるが、そんな都合のいい話があるのだろうか。


(ありえないな。そんなの砂漠で1枚の金貨を探すようなものだ。現実的に考えれば、知り合う可能性が一番高いのは、きっと娼館だろうな……)


 もう一度、頭の中を整理する。あの状況で生き延びる可能性があるとすれば、あのクレトとかいう村長によって、ポトスの娼館に売り飛ばされることだろうとアベルは考えた。……となれば、大賢者とあの女は客と娼婦の関係だろうと結論付ける。


(でも、それなら何で俺を探してるんだ?)


 あの女が今でも自分を想っているのならば、大賢者にしては気分のいい話ではないだろう。大枚はたいて入れ込んでいる娼婦が他の男にうつつを抜かしているのだから。もちろん、ご機嫌取りのため、ということも考えられるが……やはりどこか無理があるように思える。そう思うと、この仮説も崩れていく。


(待て。そもそも、二人はそんな関係ではないとしたら、どうだ?)


 アベルは思い出す。「大賢者には隠し子がいるのでは」といった噂話を昔聞いたことを。


(すると、もしかして……あの女は大賢者の娘!?)


 そういえば、「アリアちゃん」と親しみを込めて呼んでいたことを思い出して、アベルはその可能性を考慮する。そして、彼女は未だに自分のことを忘れることができずに、涙に暮れる娘を不憫に思った父親がこうしてこの地まで自分を探しに来た……。


「ははは……そうか。そこまで俺のアレが忘れられなかったか……」


 アベルは、かつて自分の腕の中でヒイヒイ鳴いていた女の姿を思い出して、思わずにやけた。それらの思考は色々と矛盾だらけなのだが、一度そう思い込んでしまったアベルは、それに気づくことはなかった。


 ……復讐者の足音がすぐ近くまで迫っているにもかかわらず。

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