第223話 勇者は、謀反に加担する

「何をしてるか!敵は少数であろうが!」


 寝間着姿の皇帝セルゲイが叫ぶ。不埒な侵入者はわずか百名余りと聞いている。それだけならば、この王宮に詰めいている近衛兵は三千を超えるのだから、楽々と鎮圧できる。初めはそう思っていたが……。


「ダメです!勇者の前に、近衛兵は太刀打ちできません!陛下、ここは早くお逃げください!」


「馬鹿を言うな!余は皇帝であるぞ!逃げるなどとは……」


 セルゲイは、未だに信じられない気持ちを捨てきれずにそう叫んだ。しかし、その間にも剣が交わる音と兵士たちの喚声が、この寝所に迫ってきていた。


「くっ……おのれ」


 セルゲイは枕元にあった剣を手に持つと、刀身を鞘から抜き放った。老いたとはいえ、かつては一流と呼ばれても差し支えない程の剣の腕前を誇っていたのだ。その自負が、逃走という選択肢を外した。


「陛下!来ます!」


 いよいよ喧騒の音が近づいてきたのを感じて、側に控えていた侍従官が興奮気味に告げた。それとほぼ同時に扉が開かれ、勇者アベルが姿を現す。


「……この恩知らずの狂犬が」


 目の前に立つアベルに、セルゲイは忌々し気に吐き捨てた。そして、剣を振り上げてアベルに向かって駆け出した。一撃必殺のつもりで。しかし……


「ぐふっ!」


 手をかざしたアベルは、風魔法を唱えてセルゲイを吹き飛ばした。壁に打ち付けられたセルゲイは衝撃のあまり口から血を吐き出してその場に崩れた。どうやら、内臓にダメージを与えたようだなと、アベルは冷静に分析した。


「悪く思うな。俺も生きるのに必死なのでな……」


 アベルはため息をついて一言そう言うと、倒れているセルゲイの身柄を拘束するように同行した皇太子派の兵士に命じた。そして、手足が縛られたことを確認した後、治癒魔法をかける。死なせてはダメだというアフマドの指示に従って。


「おのれ……こんなことになるのなら、引き渡しておけばよかった……」


 兵士によって強制的に立ち上がらされたセルゲイは、アベルを睨みつけてそう吐き捨てるように言った。その言葉に、アベルの眉が動く。


「引き渡し?それはどういうことだ」


 アベルは訝しく思い、セルゲイに訊ねた。しかし、その問いかけに答えることなく、セルゲイはその場から連れ出された。


(今のは一体、どういうことなのだろう?)


 もしかして、ハルシオンの追手か、と一瞬頭を過るが……あり得ないとアベルは断じた。


 あれから1年半も経っているのだ。しかも、ここはハルシオンと国交のない言わば地の果て。病に倒れた国王の跡目を巡って争って忙しい元依頼主が、口封じのためだけにわざわざこんな所まで人を遣るとは思えないし、そこまで自分を警戒する理由もないはずだと。


(それなら、さっきのは何なんだろう?)


 セルゲイの言葉はどう考えても苦し紛れの戯言とは思えない。だが……。


「アベル殿!ここにおられましたか」


 思考の海に沈みかけていたアベルは、その声に反応して振り向いた。そこには、皇太子派の重鎮で、帝都近郊の大領主でもあるアジズが立っていた。


「如何されました?皇帝は先程捕まえて殿下の下へ送りましたが」


 アベルは思考を中断してそう答えた。すると、アジズは言いずらそうにして協力を求めた。すなわち、サーシャ皇女を捕まえることができなかったので、手助けして欲しいと。


「わかりました。それで、心当たりは?」


 アベルはため息を吐きそうになるのを堪えながら、そう訊ねた。内心では、「女一人も捕まえることができないのかよ」と思いながらも。


 しかし、そんなアベルの心の中の声など知る由もなく、アジズはホッとした表情を見せて答えた。


「実は、皇女は昨夜宰相屋敷に突然向かったそうで……」


「宰相屋敷に?」


 何でそんな所に行ったのだろうかとアベルは訝しむ。しかも、クーデターを決行したのは午前1時過ぎなのだから、実際の所は宰相屋敷に泊まったということだろう。それは一体どういうことか……。


「しかし、宰相屋敷にも兵を向かわせていたはずでは?」


 皇女が宰相と男女の関係なのか、あるいはそれとは違う目的があったかなどはわからないが、それなら宰相屋敷を予定通り制圧すれば問題ないのではないか。アベルはそう思い、アジズに訊ねた。が……。


「そ、それが……上手く行っていないようなのだよ」


 アジズは懐から1枚の紙を取り出し、アベルに渡した。そこには、「難敵出現。至急救援を乞う」と書かれていた。


「先程、宰相屋敷に向かわせた兵の一人がこれを持ってわたしの下に駆け込んできたんだよ」


 アジズははっきりとそう告げた。そして、このことはまだ皇太子の耳には入れていないということも。


「つまり、俺にその難敵とやらを倒してこい、そう仰るのですな……」


 今度こそ隠さずにアベルはため息を吐き、そう言った。しかし、そんな無礼を気にする余裕もないアジズは必死に頼み込む。皇女を確保できなければ、この反乱は失敗する可能性が高いと言って。

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