第219話 伯爵は、すっぽかされる

「遅い!まだお見えにならないのか!」


 王都ルシェリーの迎賓館。本来であれば、この後に控えている正教会との協議に出席してもらうため、アリアには午前9時には到着してもらう手筈となっていたのだが……10時半となった今でも未だに姿を現さない。折衝役を務めるハラボーは焦燥に駆られていた。


「残念ながら、まだ……」


 しかし、だからといって何か状況が変わるということはなく、苛立ちを見せる上司に戦々恐々としながらも、部下はありのまま答える。ハラボーは何も返さなかったが、眉間がより険しくなる。


「閣下……。ロサリオ筆頭枢機卿殿がお見えに……」


 そして、ついに時間切れ。


「……丁重に、会議室の方へ」


 ハラボーは来訪を告げた部下にその一言だけ告げると、思案する。最早、来ない者を当てにするのではなく、それすら利用できる一手を。


「よし……」


 頭の中で方針が纏まり、ハラボーは会議室へと向かう。その顔には、先程までの苛立ちは消えていた。





「アリア王太子殿下に置かれましては、本日多忙につき、お会いすることは叶いません」


 会議室に着座するなりそう告げたハラボー。


「ハラボー殿!それはあまりにも無礼では!」


「そうですぞ。こうしてわざわざロサリオ猊下までおみ足を運ばれたというのに!」


 ……当然のことながら、正教会側から反発の声が上がる。だが、ハラボーは動じるどころか、不敵な笑みを浮かべて言った。


「それは仕方がない話では?何しろ、殿下の求めているモノをそちらはお持ちではないのですから」


 勇者解任の御教書。結局のところ、正教会はその公文書の発行を渋っているのだ。今日の会議は、アリアに勇者解任に伴う人類の喪失を説明し、その上で代替えの補償について話し合いたいというものだ。


「しかし、今日の話し合いについては、王太子殿下も承諾されたはずでは?」


 ロサリオ枢機卿の隣に座る、テレジオ枢機卿が青ざめた表情で訊ねる。このままでは、折衝役を担った自分の面目は丸つぶれとなるため、はい、そうですかと簡単に頷くわけにはいかなかった。


 すると、ハラボーは頭を下げた。


「それについては、申し訳ございません。我らとしても、まさか殿下がこれ程お怒りだとは思っておらず……」


 ハラボーはそう言って包み隠さず事情を説明する。今日、予定の時刻になっても姿を見せなかったことを。


「……王太子殿下は、正教会に余程の強い憤りを覚えられているのですね」


「猊下!?」


 思わず声を上げたテレジオを始め、この場に随行した神官たちが驚きの表情でそのような発言をしたロサリオを見るが、彼は構わず続けた。


「つまり、王太子殿下は意図的に出席しなかったのですよ。自身の怒りを示すために。そうですよね、ハラボー伯爵?」


「おそらくは、猊下の仰る通りかと。考えても見て下さい。王太子殿下は、か弱い女性の身の上にも拘らず、法の支配もなければ、秩序も存在しない未開地にただ一人置き去りにされたのですぞ。正教会が認定した法と正義の守護者であるはずの勇者によって」


 それは決して許されることではない。例えアリアが王女でなかったとしても、重大な犯罪行為なのだ。


「それなのに、正教会の方々は、それを正そうとするどころか庇い立てする。挙句、人類平和のためだから、涙を呑んでもらいたいと。さて、猊下。その行為に正義はございますかな?」


「……ないな。伯爵の仰る通りかとわたしも思う」


「猊下!」


 ハラボーの発言の正しさを認めたロサリオ枢機卿に、この場にいる神官の誰かが声を上げた。隣に座るテレジオ枢機卿も驚いた顔をして彼を見つめる。


「テレジオ君。わたしは何か変なことを言ったのかね?」


「いえ……ですが……」


 それでよろしいのでしょうかと小声で訊ねた。すると、ロサリオは小さくため息をつき、机を挟んで対面に座るハラボーにも聞こえるように言った。


「君は、これほど重大で悪質な犯罪行為を行った者を勇者として崇めることができるのか?仮に、そのような男が魔王を討伐したとする。そのあとはどうなる?」


「どうなるって……」


 ロサリオの言葉に、テレジオは言葉を詰まらせた。魔王が討伐された後、どうなるのか何て考えたことすらない。


「つまり、英雄となった勇者アベルを掣肘する者はいない。そうなれば、ヤツが好き勝手し始めたとしても、誰も止める者がいない。そして、これまでのことを考えれば、魔王を倒しても、新たな火種になる、猊下はそう見ておられると?」


 テレジオに代わって、ハラボーがそう指摘すると、ロサリオは頷いた。


「ですので、それならば新しい勇者を選定し直した方がマシでしょう。魔王を倒しても、それに匹敵する質の悪い存在となられるのであれば、ね」


 ロサリオはそう言って、話を締めくくると、ハルシオン側の要求を受け入れることを表明した。

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