第213話 勇者は、悪寒を感じながらも陰謀に加担する

「!」


 アベルは急に悪寒のようなものを感じて、思わず振り返った。


「ん?如何なさいましたかな」


 そんな彼の様子を不思議そうに見つめながら、ムーラン帝国の皇太子、アフマドは言った。その視線の先を共に見るが、人払いをしているため、そこには誰もいない。


「いや……何か、悪寒を感じたような気がして……」


「ほう……勇者ともあろうお方がお風邪ですかな?」


 それはいけませんな、とアフマドは揶揄うようにして笑った。もちろん、馬鹿にしているわけではない。場を和ますための彼なりの気づかいだ。


「そうじゃなくて……」


 しかし、当のアベルには通じなかったようで、彼は呟くように言葉を吐き出した。


 例えるなら、何かに追いかけられているような感覚。アベルはもう一度、視線の先に誰かいないかと思い、確認するが、やはり誰もいなかった。


(気のせいか……)


 アベルは結局そう結論付けた。そして、アフマドとの話に戻る。


「それで、皇太子殿下は、わたしに何をお頼みで?」


 与えられた宿所で休んでいるところを突然呼び出されて、さらにはこの先に宴席を用意して待っているという。そんな話だったことを思い出して、アベルはアフマドに問い質した。


「おや?勇者殿はせっかちですな。まあ、それは酒を酌み交わしながらでもいいではないですか?」


「あいにく、その手の話はろくでもない話が多いからな。酔わされて迂闊な返事はできないのさ。だから、何を頼みたいのかはわからないが、今話してくれないか?」


 それがイヤなら帰らしてもらうが、とアベルが告げると、アフマドは仕方ないと一つため息をつき、中庭に出た。その池の畔には、石造りのテーブルと腰掛が置かれている。


「それでは、そちらでお話させていただきましょう」


 アフマドの誘いに、アベルは了承した。





「ほう……つまり、立場が危ういから父帝を殺して帝位を奪うと?それは随分アコギな話ですな」


 アフマドの話を聞いて、アベルが発した第一声はそれだった。しかし、アフマドは慌てて訂正を入れた。


「こ、殺すだなどと、誰も言ってはおらん!ただ、病にかかって頂いて、半年後にお亡くなりに……」


「幽閉して、その後は毒を少しずつ食事に混入して、と言いましたよね?どこが違うのやら」


 アベルは先程のお返しとばかりに、揶揄うように言って笑った。


「それで、皇帝を押し込めるために、力を貸してほしいということですか?」


「そうだ。あなたの力なら、王宮の近衛兵など敵ではないでしょう?」


 マルツェルでの活躍は知っている。この国の精鋭が束になっても負けることが多い魔族を相手に勝ち続けた話を。ゆえに、アフマドは確信を持って言った。


(まあ、できないことはないが……)


 アベルは心の中でそう呟いた。ただ、頼られて満更ではない気持ちもあるが、問題は、この男に付いて行っていいのかということだ。


 何しろ、この皇太子は、半年前の魔族との戦いで敵に恐れをなして敵前逃亡を図ったと噂されているのだ。だから、父親である皇帝の逆鱗に触れて廃嫡間近だということも。


(……となれば、噂話は事実ということになるな)


 祈るように返事を待つこの男を見て、アベルは確信した。その上で考える。この話を断った時のことを。


(皇太子が廃嫡された場合、あの皇女が後継者になるわけだが……)


 王宮に招かれてすでに10日。それだけあれば、アベルの耳にも色々な情報が入ってくる。そして、その中には、サーシャ皇女がマルツェルでの出来事を知り、アベルを招くことをやめるように、最後まで皇帝に進言していたことも。


(……おもしろくないな)


 皇帝に拝謁した時に向けられた薄汚い物を見つめるような視線を思い出して、アベルの心は決まった。


「わかったよ。協力させてもらうよ」


 アベルはそうはっきり告げた。あんな女に皇帝になられるくらいなら、この愚か者を押し上げて操った方がマシだと。


「うむ!それはめでたい!では、あちらで固めの杯でも」


 アフマドは「善は急げ」と言わんばかりに立ち上がり、アベルを宴席へと誘おうとした。その姿にアベルは苦笑した。仮にこの男の願いがかなったとしても、その幸福な時間は短いだろうなと思いながら。


 何しろ、アベルは決意したのだ。この国全てを我が物にするということを。


(そうなると、あとはあの糞生意気な皇女をどうするかだが……)


 もし、マルツェルでの話がなければ、いつかのように、「愛をささやいた挙句、見知らぬ土地に置き去りにすれば問題は解決するのにな」と、アベルは冗談めかしくこの時思った。まさか、その置き去りにした女が、自分に復讐を遂げるために追い回しているとも知らずに……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る