第212話 女商人は、過密スケジュールに頭を悩ます
「……この手紙には、『勇者の弱点はないか』と書かれてるんだけど、これってどういうこと?」
手紙をさらに読み進んだところで、アリアはエラルドに訊ねた。なぜ、そのようなことを訊ねるのか。何か理由があるのかと。
「実は、スメーツ殿は魔族に対抗するために、勇者の力を借りたらしいのですが、それが裏目に出たというか……」
「裏目?」
「何しろ、腐っても外道に落ちても、勇者は勇者ですからな。好き勝手をしても誰も掣肘できないようで……」
今、マルツェルの町は、『外道勇者アベルとならず者の手下たち』によって支配される欲望と暴力の町と化していると、エラルドは言った。
「酒代を請求した店主は殺されるわ、美女とすれ違えば、所構わず裏路地に連れ込んで襲うわ……。訪問した際に、この目でも見ましたし、本当に酷い有様でした。あと、町の者の中には、連れてきたスメーツ殿を非難する声も大きく、このままだと……」
「反乱が起こりそうね。でも、そんなことしたって……」
「はい。結局、勇者がいる限りは何も変わらないかと……」
アリアの脳裏に、友の姿が浮かんだ。病弱なお兄様の助けになろうと、遠い異国のルクレティアまできて学んだ努力家。そんな彼女が、あの糞のせいで死ぬ?それはあってはならないことだ。
「つまり、勇者の弱点を知ることで、その首に鈴を付けたいわけね。わたしが思いっきり跳ね飛ばしたい首に……」
アリアは唇で薄く笑ってそう言った。その姿に、エラルドはつい見惚れて息を飲み込んだ。そして、自分の選択が正しかったことを確信した。やはり、勇者への怨念は並々ならぬものがあることを。
「まあ、勇者の弱点はともかくとして、これでようやく本懐が遂げられるわけですな。おめでとうございます」
「ありがとうございます、エラルドさん。このご恩は決して忘れませんわ」
アリアは上機嫌でエラルドに右手を差し出した。もちろん、エラルドはこの手をがっちりと掴んだ。
アリアに恩を売る——。
それは即ち、大国ハルシオン王国に恩を売るのと同義なのだ。本人は王太子であるということに触れられたくないようではあるが、だからと言って利用をためらうようでは商人として名を成すことはできない。だから、エラルドは更なる手を打つ。もっと恩を売るために。
「……それで、いつ立たれますか?」
それに合わせて船を用意させていただくと、エラルドは申し出た。しかし、アリアはどういうわけか反応が鈍く……
「レオ、どうしよう。すぐにでも行きたいんだけど、わたし、スケジュール一杯だわ」
明日は北部同盟の閣議があり、明後日はハルシオンに行って、先のベルナールの反乱で傷ついた近衛軍第3連隊を見舞う予定だ。そして、その次の日も、次の次の日も、行事は目白押しだ。
「来週の日曜日は何も予定は入っていないけど、次の日には、正教会から何とかっていう枢機卿とかが来るらしいし……」
詳しい話は聞いていないが、ハラボー伯爵からは是非とも出席して欲しいと要請されているのだ。無碍に断るわけにはいかない。アリアは頭を抱えた。そして、ちらりとレオナルドを見た。
「な、なに……?」
嫌な予感がして、レオナルドは思わず後ろずさんだ。すると、アリアは言った。
「ねぇ、レオ。船で5日ほどお出かけしてくれないかしら?」
「えぇ…とぉ……」
言っていることを理解して、レオナルドは言葉に詰まる。先のハルシオンまでの船旅は、彼にとっては楽しいものではなかったからだ。いくら魔法で船酔いを防げるとは言っても、あの揺れる感覚は堪らなく嫌いだ。
「で、でも、俺がいなくなったら、ハルシオンやポトスとの往来はどうするんだい?」
「それは、ユーグさんにお願いするわ。レオと一緒で、転移魔法を使えるみたいだし……」
「えっ!?」
そのとき、アリアの話にレオナルドは思わず声を上げた。その姿に、アリアは訝しみ、訊ねる。
「もしかして……知らなかったとか?」
レオナルドは、コクリと頷いた。そして、罵る。「あのくそ爺がぁ!」と。それを見てアリアは思う。親子関係の構築って難しいなぁと。だが、それは二人の間の話であって、マルツェル行きの船の話には関係はない。
「まあ、そういうわけで、レオは心置きなく旅に出れるわね」
アリアはまだ憤っているレオナルドに容赦することなく告げると、エラルドに一言、「お願いしますわね」と言った。エラルドは、苦笑いを浮かべながらもこれを承諾した。
「それでは、明後日の朝9時に出港ということで……」
多少遅れても待ちますので、安心してきてくださいねと告げるエラルド。レオナルドはまだ船に乗ってもいないというのに、青ざめたのだった。
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