第211話 女商人は、同窓生からの手紙を受け取る
「申し訳ありませんでした。何度も足を運んでいただいたようで」
「い、いえ……そんな畏れ多いことを……今日だって呼びつけていただけたら、駆けつけたものを……」
アブラーモ商会の応接室で、会頭であるエラルドは、額に汗を滲ませてそう言った。何しろ、目の前に座っているのは、大国ハルシオンの王太子殿下なのだ。今までのように気安く声を掛けていい相手ではない。
「あの……」
「な、なんでしょうか!王太子殿下!」
「その……王太子というのはやめていただけないでしょうか?この大陸にいる間は、その肩書に縛られたくないので……」
目に見えてガチガチになっているエラルドを見かねて、アリアは苦笑いを浮かべながら告げた。商人の姿をしているときは、商人として接して欲しいと。
「仰せとあらば……」
「だ・か・ら!そういうのをやめてもらえないかなって言ってんのよ!」
しかし、それでも改まらないエラルドに、ついにアリアは声を荒げた。
「ア、アリア……抑えて……」
「もう!何なのよ、まったく!店に行けばこれ見よがしに王家の旗が掲げられて、殿下、殿下とうるさいし、町を歩けば、『馬車じゃないの?』って子供に指差されるし……誰も、好きで王太子になったわけじゃないのよ!それなのに……」
宥めにかかるレオナルドの声を押し切って、アリアは不満をつらつらとぶちまける。
「大体、ベルナール一派が失脚したんだから、わたしが王太子になる必要なんてないのよ!そうだわ!今からでも、アイシャさんに押し付けて……うぐ!?」
流石にそれ以上エスカレートさせるのはまずいと思って、レオナルドが慌ててアリアの口を塞ぐ。……自分の唇で。
「もう……レオったら……」
頬を赤く染めて、アリアが呟いた。もう先程までの怒りの熱はどこにもない。その一連の出来事に、エラルドは理解が追い付かず、しばし呆気にとられたが、やがて理解が追い付いたとき……吹き出した!
「あはははは!もうダメ!面白過ぎる!」
口を塞ごうとしたのはわかるが、キスする必要がどこにあると、エラルドは笑いながら言った。
「エラルドさん!?」
その声に、そう言えばエラルドがこの場にいたことを思い出して、アリアは恥ずかし気に声を上げた。
「……だけど、アリアさんはやっぱりアリアさんですね。すみませんでした。変な壁を作っちまって」
エラルドはそう言って、頭を下げた。だが、それは先程までの王太子に対しての謝罪でないことは明らかで、アリアは微笑みながら、これを許した。
「それで、お話というのは?」
改めて仕切り直して、アリアは話を切り出すと、エラルドはカバンの中から1通の手紙を差し出した。
「これは……」
手紙に書かれていた差出人の名前を見たアリアは驚き、声を零した。
「やはり、スメーツ嬢とはお知り合いの様ですね」
「ええ、大学時代の同窓生で……」
そう呟きながら、アリアは手紙の封を切り、中身を取り出しては読み進める。そして、文中にある『勇者』の文字に至った時……
「いた……」
ただ一言だけ呟いた。
「いた?何がいたんだい?」
不思議に思ったレオナルドが訊ねるが、アリアはすでにうわの空で……
「っしゃあ!!エラルドさん!どこ!?このスメーツがいるマルツェルって町は!?」
突然、奇声を上げたかと思うと、その勢いのまま、対面に座っていたはずのエラルドを押し倒して、問い質すように叫んだ。
(ち、近いんですけど……)
息が顔にかかるくらいの近さで迫るアリアに、エラルドは赤面した。好みのタイプではないはずだが、流石に女性特有の香りと、色々と柔らかいものが体に当たっている今の状況ではそんなことはいってられない。思わずこのまま行けるところまで行こうかとも、頭の中を過るが……。
「アリア、ストップ!エラルドさんが困ってるよ!!」
そんなエラルドの思惑に気づいたのかはわからないが、レオナルドが慌てて声を上げた。
「あ……」
そして、如何に自分がはしたないことをしていたかに気づいて、再び赤面する。
「ご、ごめんなさい……」
「い、いえ……」
アリアが恥ずかしさを誤魔化しつつ、ゆっくりエラルドから離れてソファーに座り直すと、彼も同様に座り直した。そして、エラルドはひとつ咳払いをして、気を取り直して先程の質問に対する答えを告げた。
「マルツェルとは、ムーラン帝国の北部にある港町です。このポトスからだと、海路で5日といったところでしょう」
「ポトスから海路で5日?」
その言葉に、「意外に近くに潜んでいたものね」と、アリアは率直にそう思った。
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