第207話 勇者は、旅立つにあたり……

 次の日の夕方、スメーツは勇者たちがたむろする宿屋に単身赴いた。ギルド長から贈られた女性用の衣服に身を包んで。


(つまり、エマと同じ目に遭ってこいということね……)


 その姿は小奇麗ではあるが、領主の妹が纏うものにしては粗末だ。だが、これは亡くなったエマが生前よく着ていた衣服だと言われれば、拒むことなどできない。


(もし……この身が穢されようものなら、そのときは……)


 そして、スメーツは覚悟を決める。ドアノブに手をかけて押して中に入ると、そこには酒とたばこの匂いが充満していた。


「おや?その顔は……もしかして、スメーツ様かい?」


「え、ええ……勇者アベル殿に話があって来たんだけど……」


 ドアのすぐ傍にいた男に声を掛けられて、スメーツは少し硬くなりながらもそう告げると、男の手がスメーツの大きく開かれた胸元に伸びた。


「きゃっ!?」


「ん?これは、本物のおっぱいみたいだな。いやいや、いつも男の姿をしていたから、女装でもしているのかと思いましたよ」


 胸元の布を引っ張って、その中に二つの丘があることを確認しながら、男が下卑た笑いを浮かべてそう言った。


「ぶ、無礼ですよ!わたしは仮にも領主の妹で……」


「だったら、どうしたって言うんだ?おれたちは、『勇者アベルとその仲間たち』だぞ。領主ごとき、何を恐れるって言うんだ?」


 そう言って、男はスメーツを抱きかかえて、そのまま中央に進み、テーブルの上に仰向けで下ろした。すると、この部屋にいた男たちがあっという間に周囲を取り囲んだ。


「な、なにを……」


 スメーツが怯えて呟くと、さっきの男とは別の男が言った。


「あいにく、アベルさんは留守でね。それまで、退屈でしょうから、俺たちの相手をしてくれませんか、スメーツお嬢様?……なぁに、天井のシミを数えていれば、すぐに気持ちよくなりますよ!」


 男はそう言って、彼女の衣服を引き裂こうと手を伸ばしてきた。スメーツは拒絶しようとするも、両手、両足は押さえつけられていて何もすることはできない。


(……お父様!お母様!)


 恐怖で言葉を失い、心の中で亡くなった父母の顔を思い浮かべて、瞳からは大粒の涙をこぼした。そして、決意する。舌を噛み切ろうと。こんな奴らに穢されるくらいなら、その方がマシだと思って……。


「おい!これは何の騒ぎだ!?」


 そのとき、部屋に大きな声が響き渡った。


「ア、アベルさん……」


 スメーツに群がっていた男たちがあっという間に離れて、彼女は自由を取り戻した。


「大丈夫か……って、おまえ、女だったのか!?」


「……悪かったわね、女で」


 アベルが差し出された手を掴んで、スメーツはそう言いながらテーブルの上で体を起こした。


「それで、何の用だ?女の姿でこんな所に来るなんて……まさか、欲求不満?」


「そんなわけないでしょ!今日は、あなたにいいお話を持ってきたのよ!!」


「いい話だと?」


 その言葉に訝しげな表情をしたアベル。スメーツは、兄から預かった皇宮からの手紙を読んで聞かせた。


「つまり、俺のことを知った皇帝が雇いたいというわけだな?」


「そういうことよ。帝都近郊にも魔族の軍勢が迫っているようで、勇者であるあなたの力を借りたいらしいわ」


 条件もいいみたいよと、スメーツは忘れずに念を押す。間違っても、「この町に残留する」などと言わせないために。


「しかし、それではこの町は……」


「この町なら大丈夫よ。あなたを送り出す代わりに、多額の資金を援助してくれるそうだから、何とかなるでしょ。むしろ、ここで断られると、うちの立場はないわ」


 だから、何も心配せずに帝都に旅立ってくれと、スメーツは言った。すると、アベルはクスっと笑った。


「どうしたの?」


 その態度を訝しく思って、スメーツが訊ねると、アベルは「なんでもない」と前置きして、


「わかった。それじゃ、お言葉に甘えて帝都に向かうことにするよ」


 素直に要請に応じることを表明した。そして……


「そうなると、最後に片づけておく仕事があるな」


 アベルはそう言って、突然、手をかざした。その瞬間、この部屋にいたならず者どもは、一斉に口から泡を吹いてその場に倒れた。


「い、一体、これは……」


「すまなかった。こいつらが俺の名を利用して好き勝手してきたことは知っている。それに、おまえにも迷惑をかけたな。罪滅ぼしにはならないだろうが、こいつらを縛り首にするなりして、町の連中の留飲を下げてやってくれ」


 少なくとも、あと半日は目覚めないからと言い残して、アベルは荷物を取りに部屋に向かう。どうやら、このまま町を去るらしい。その後ろ姿を見ながら、スメーツは、自らの貞操が守られたこと、そして問題が解決したことに、ホッと胸を撫で下ろしたのだった。

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