第205話 枢機卿は、青ざめる

「これは、これは、ハラボー伯爵。今日は何用でございますかな?」


 そう言って、恭しくこの正教会で枢機卿の要職にあるアルバーノ・テレジオは、応接室に入るなり、ソファーに腰を掛けている男に言葉を掛けた。……とはいっても、要件は凡そ察している。勇者アベルから『勇者の称号』を剥奪して欲しいというものだろう。


 しかも、今日で6度目の訪問。内心では「またか」と思いつつも、仮にも相手は大国ハルシオンの内大臣。そのような態度を表に出すわけにはいかず、穏やかな笑みを浮かべながら、正面の席に着いた。


「それで、枢機卿。教皇猊下の裁可は得られましたかな?」


 ハラボーは、出された茶に口をつけた後、そう切り出してきた。これも予想通りだ。だから、アルバーノも予定通りの答えを返す。


「貴国のご要望は、もちろん最もなお話で、教皇猊下ご臨席の御前会議でも審議されました。……しかしながら、魔王の脅威が徐々に増している今、我々は勇者を失うわけにはいかないのです。そういうわけで、残念ながら……」


「しかし、その勇者ですが、この1年半、何か役に立ったというお話はございますかな?」


「う……それは……」


 アルバーノは、話を中断させられて返された問いに答えることができずに固まった。最後に報告があった成果と言えば、2年以上前に遡る。確か、南方のエマール王国で、石に変えられた村人を救出したという話だったか……。


「し、しかし、全く見どころがないわけでもないでしょう?今は雌伏の時と考えて、長い目で見ていただければ……」


「ですが、どこで何をしているのかも正教会では把握されていないというお話でしたよね?雌伏の時と言われまずが、役目を放棄して逃走した可能性もあるのでは?それとも、そうではないと言い切れる根拠がおありなのですかな?ああ……そういうことですか。居場所も活動状況も把握しているが、我が国王陛下にウソを仰られた?」


「そ、そのようなことは決して!ほ、本当に我らも知らないのです!!」


 この部屋に入った時にあった余裕など完全に失い、アルバーノは必死に弁明した。魔族との共存共栄を謳う『新教』が勢力を拡大している今、大国ハルシオンの支持を失うことがあれば、「飛んでもない話になる」、そう思って。


 すると、ハラボーはひとつ息を吐いて言った。


「そんなに慌てられなくても、陛下のお心は常に正教会と共にあります。例え、今までのお話が嘘であったとしても、信仰を変えられることはないでしょう。ただ……」


「ただ?」


「陛下はそうであったとしても、次代はわかりませんぞ。何しろ、継がれるのはアリア王太子殿下ですからな」


「あ……」


 アルバーノは、ハラボーの言わんとしていることに気がつき、思わず言葉を漏らした。つまり、この一件で正教会と敵対することになったアリアが即位すれば、そのときこそ正教会は見捨てられると言っているのだ。そして、そうならないために、「要求を飲め」と。


「し、しかし……先程も申し上げた通り、勇者を失っては……」


「それでしたら、新しい勇者を選定すればよいのでは?」


「新しい勇者ですと!?」


 アルバーノは思わず声を上げた。ハラボーの言っていることは理解できないわけではないが、事はそんなに簡単な話ではない。


「もちろん、事情は承知しておりますよ。確か、勇者は同時に二人存在することはない。例え、何かしらの原因で力を失ったとしても……そうでしたかな?」


「いかにも。ですから、貴国のご要望通りにアベルから勇者の称号とそれに付随する能力を剥奪したとしても、彼の者が生きている限りは……って、まさか!?」


「殺せばよいでしょう。第一、彼の者は我が国の次期国王に危害を加えようとした『大逆犯』なのです。生かしておく必要などどこにありますかな?」


 ハラボーは、クククと不敵に笑いながら、ティーカップに残っていたお茶を一気に飲み干して席を立つ。


「そういうわけで、正教会には賢明なご判断をお願いしたいのですな。もちろん、事が成った暁に行われる『新勇者選定の儀』にかかる費用は、我が国が全面的に支援させていただきますから、ご安心を」


 そう言い放ったハラボーは、アルバーノの返事を待たずに部屋を後にした。コツコツという足音が次第に遠ざかっていく。やがて何も聞こえなくなったが、一人取り残されたアルバーノは、青ざめたまま中々立ち上がることができなかった。

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