第200話 元王子様は、落ちぶれた我が身に戸惑い、苛立つ
「あの……」
「話は聞いてるわ。大丈夫、任せてくれればいいから。あなたはこれからお仕事なんでしょ?」
かつての宮殿とは比べ物にならないみすぼらしい小屋に押し込められてから、すでに1週間。階下から陽気な声が聞こえて、ヴァレリーは寝起きのそのままの姿で1階へと下りて行く。
「あら?その子がアリアさんが言っていたボクちゃんね?」
その気安い態度にもそうだが、いきなり「ボクちゃん」呼ばわりされて、ヴァレリーはイラつく。この無礼な女に身の程を教えてやろうと鞭を打つように側付きの者に命じようとして気づく。すでにそのような者はいないということを……。
「それじゃ、よろしくお願いします」
父・ベルナールは仕方がないようにそう言って、家を後にした。今日から『北部同盟』という国の農政大臣として出仕するとは聞いていたから、もしかしたら、この女は新しく雇ったメイド長なのかもしれない。そう思っていると……
「さあ、早く着替えて。そのあと、うちの息子たちと一緒に朝食を食べましょうね」
彼女は「少ししたら迎えに来るわ」と言って、そのまま家を出て行った。
(え?メイドなのに、着替えを手伝ってくれないのか?)
ヴァレリーは、戸惑いながら立ち尽くした。
「なあ!おまえら、アリア姉ちゃんの従弟だってな!だったら、俺たちは親戚ということだ。今日から、俺の事、『アニキ』と呼ぶんだぞ!!」
(こいつ、一体何を言ってるんだ?)
食事の後、あのマチルダという女から、その息子たちを紹介されて、こうして一緒に遊ぶことになったヴァレリーだが、いきなりマウントを取るように言いだしたこのダリルというガキに普通に苛立ちを覚えた。
「なんで、おまえが俺の兄上になるんだよ!」
ヴァレリーはそう言って反抗した。本当なら、側付きの者に命じて、剣の錆にしてやりたいところだが、そのような者はもういない。そのことを考えると悲しくなるが、そのことを口に出せば、キリがないことは自覚している。
だから、こうして自分の口で思いをぶつける。納得できないと、はっきりと。大体、年齢は一緒なのだ。おかしいだろうとも付け足して。
すると、ダリルはキョトンとしたような顔をして言った。
「だって、おまえ、9月生まれだろ?俺、8月生まれ。だったら、俺の方が年上じゃん!」
さも当然のように言うダリル。8月生まれと言っても、彼は30日。一方、ヴァレリーは、9月生まれと言っても、1日生まれ。わずか2日だけ早いに過ぎない。
「ふざけんな!この無礼者が!!」
ついにヴァレリーはキレて、ダリルに掴みかかった。そして、その顔にパンチをお見舞いした。
「なにすんだよ!」
一方のダリルも負けてはいない。お返しとばかりに、蹴りをその腹にお見舞いした。
「ぐっ!」
ヴァレリーは、その衝撃で後ろに倒れて、お尻を地べたにつけた。
「お兄様ぁ!」
その姿に、傍で見ていたエミリアは声を上げた。そして、ダリオがさらに殴りつけようと馬乗りになったのを見て泣き出した。
「兄ちゃん!やめなよ!母ちゃんに怒られるよ!!」
そして、ジルドもダリルを後ろから羽交い絞めにして、止めに入る。そこに、騒ぎを聞きつけて駆けつけたマチルダが一喝する。
「あなたたち、やめなさい!」と。
「ごめんな……。あとで、レオ兄ちゃんに頼んで、治癒魔法を使ってもらうからさ……」
マチルダ夫人に揃って叱られた後、ブスッと不貞腐れた顔をして、ただ椅子に座っているヴァレリーに、ダリルが声を掛けてきた。
「何の用だよ……」
ヴァレリーは素っ気なくそう答えた。今はこいつと話したくはない。そんな気持ちを抱いて。
しかし、ダリルはそんなヴァレリーの気持ちに気づかなかったのか、それとも気にしなかったのか、その隣に椅子を置いて座り、独り言のように言葉と綴った。
「俺な……本当は嬉しかったんだ。おまえらがここに来てくれて」
思わぬ言葉に、ヴァレリーはキョトンとした。一体何の話をしているのか、理解が追い付かない。だが、ダリルは続ける。
「すまなかった。別に『アニキ』って呼ばなくてもいいからさ、仲良くしてくれないかな?」
ダリルはそう言って、右手を差し出した。それは、仲直りの握手を求めていると、ヴァレリーは気づく。そして、同時に部屋の入口で、どうなるのか様子を窺っている妹とジルドの姿にも。
(はぁ……泣かしちゃったからな……)
見れば、エミリアの目は少し腫れたままになっているのがわかった。正直言って、この男と仲直りしたいかと言えば、そんな気持ちは全くないが、これ以上妹を泣かすわけにはいかないと思い、ヴァレリーはその手を取った。
「……こちらこそ、わるかったな」
ただ一言、そう言って。すると、ダリルは満面の笑顔を浮かべて、そんなヴァレリーの背中を叩いて言った。「いいってことよ!」と。同時に、「イタ!」という悲鳴が上がる。
「……おまえな。ホントバカ力だな……」
少し涙目になりながら、ヴァレリーは言うと、ダリルは悪気はなかったと言って素直に謝った。だが、そんな彼を見て、ヴァレリーは急に可笑しくなって笑った。
「な、なんだよ。何がおかしい……」
「だって、おまえ……」
そこまで言ったとき、ヴァレリーもなぜ自分が笑っているのだろうかと思った。笑うところなど何もなかったはずなのにと。
(でも、悪くはないな……)
笑えば笑うほど、気持ちが軽くなっていく。抱えていた苛立ちも困惑も全部溶けていくような気がした。だから、目の前で戸惑っている彼には悪いが、ヴァレリーはしばらくの間笑い続けたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます